アルビノ白くまのぽかぽか日和ヾ(=^▽^=)ノ -161ページ目

アルビノ白くまのぽかぽか日和ヾ(=^▽^=)ノ

アルビノという個性と共に暮らしています。

日々感じた事、思った事を綴っています♪

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一昨日の日記ですm(__)m
2続けて、また書きながら眠ってしまいました(;^_^A

昨日(14日)は、おかげさまで37回目の、お誕生日を迎える事ができました(*^_^*)

今日(15日)も多くの方々からの温かいメッセージをいただき本当にありがとうございます。

今日は秋葉原のヨドバシカメラに写真の現像とカメラのネックストラップを購入するのと、HPS患者の会のヨハンナさんから誕生日のお祝いと長崎での慰霊のお話と報告させていただきましたm(__)m

今回の鹿児島・長崎慰霊の旅で、鹿児島ではマイミクさんのぶにせさんのご紹介で鳥浜明久さんにお会いして、しかもお車で案内までしていただきましたm(__)m

長崎では、ヨハンナさんのご紹介で、聖コルベ資料に行かせていただき、小崎登明修道士さんにもお会いさせていただき被爆体験をお聞きしましたm(__)m

実は、聖コルベ神父さんが殉教された日が、なんと!私の誕生日と同じ8月14日だったんです。

そのこともヨハンナさんは知っていて、私に頼んだそうです。
おかげで、本当によい出会いがありました。

その他にも大浦天主堂や浦上天主堂の事もすべてヨハンナさんのアドバイスをいただいて、巡りました。

永井隆博士に関しては子供の頃に母から聞いた事をうっすら覚えていましたが、ヨハンナさんのアドバイスで如己堂の事や、聖コルベ神父の診察をしたのが永井隆博士で、小崎登明修道士が学生時代に理科の先生だったのが永井隆博士だったのです。

人と人のご縁は、こうして繋がっているんですよね

私も、これからも人と人のご縁を大切にしながら、活動をさせていただきますね^ー^)人(^ー^

みなさん、いつもありがとうございますm(__)m

これからも、宜しくお願いしますね(*^_^*)
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今日は本当に多くのみなさんから、お祝いのメールやコメントやお電話や実際にお祝いに駆け付けていただき本当にありがとうございましたm(__)m

こうして37歳となり、また新たな目標をもって次へ進みたいと思っています(^-^)

歩みはカタツムリの様に進んでいるのか分からないかもしれません、でもそれが一番大切だと思います。

一気に進んで、流行、そして忘れられてしまうより、確実にじっくりと浸透する様な活動を目指してさせていただきますねm(__)m

そして、今日のお誕生日に白くまハウスのポストへ『人間力大賞受賞式典』のご案内と『レセプションの招待状』が届いていました゜+。(*′∇`)。+゜

今日の37回目の誕生日に招待状が届き嬉しく思います(*^_^*)

これも、神様からのプレゼントなんでしょうね゜+。(*′∇`)。+゜

感謝ですm(__)m

ありがとうございます(*^_^*)

産んで下さった母に感謝♪

育てて下さった家族に感謝♪

そして、みなさんに感謝ですm(__)m
去年の香川県に引き続き、アルビノ.ドーナツの会の出張交流会です(*^_^*)
今年は初の東北での交流会のご案内です。
お近くにお住まいの方がいらっしゃいましたら、是非、お越し下さいね♪

今年もあなたの街へ会いに行きます(*^_^*)
集まって、わいわいと楽しい時間を過ごしませんか??☆

◆日にち 2010年9月19日(日)
◆場所 岩手県内
◆時間 13時~17時
◆参加費 1000円(おひとり又はおひと家族)
◆参加対象 アルビノ当事者又はご家族、関係者

◇おむつ交換台有り
◇キッズプレイルーム有り
◇図書館有り

お近くの方は、ぜひいらしてください☆
会場でお会いさせていただけますこと、楽しみにしております


お問い合わせはアルビノ.ドーナツの会のHPからお願い致しますm(__)m

アルビノ.ドーナツの会
http://park.geocities.jp/dounuts2007/

募集期限 9月10日までにお願い致します。
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闘争だの戦争だのという騒ぎは、おくびょう者がやるのである。
「愛」の人は、すなわち「勇」の人であり、勇の人は武装しない。
武装しない人は戦わない。
つまり「平和」の人である。


本当の平和をもたらすものはややこしい会議や思想ではなく、ごく単純な愛の力による。

この言葉を残されたのは、著書「長崎の鐘」で、ご存じの方も多いと思いますが、永井隆博士の言葉です。

永井隆博士はレントゲン技師で、戦時中にレントゲンの写真フィルムが不足していたために危険なのは承知で患者さんのために目視しで直接レントゲンを見ていたために放射線で、白血病になり「余命3ヵ月」と診断されました。

それでも、研究はやめずいました。

そんな時に長崎に原爆が落とされました。

永井隆博士は病院でレントゲンの写真の整理をしていた時に被爆しました。
病院の窓ガラスは全て粉々に吹き飛び、永井さんも吹き飛ばされ大怪我をされました。

そして、ご自分も怪我をしているのにもかかわらず、病院に運ばれてくる多くの患者の診察にあたりましたが、白血病と被爆症の両方にかかっていましたので、意識を失っては倒れ、意識が回復しては、また診察を繰り返していました。

そして一段落がついた、3日後に自宅に戻ったらご自宅は全壊していて奥様は亡くなられていました。
台所付近の茶わんの近くに焼け溶けたロザリオを見つけました。
そのロザリオには、奥様の遺骨も一緒についた状態でした。

お子さんは、たまたま疎開していましたので助かりました。

そして、永井隆博士は自分の最期が近いのを知りながらも精力的に、長崎の復興に向けてご尽力なされましたと同時に研究者として「原爆症」の研究もされていましたが、倒れられ教会の仲間が建ててくれた2畳一間の家にお子さんを呼び戻し、一緒に暮らしながら「こんな私でも出来ることはあるはず」と執筆活動に入りました。

その小屋が永井隆さんが名付けた『如己堂(にょこどう)』です。

ここで、数々のベストセラーを出しました。

そして最後の最後まで執筆活動を続けられていたそうです。

昨日、立ち寄らせて、いただいた長崎市永井隆記念館でも、ご自分の命をかけてご尽力された永井隆博士の生きざまに感銘を受けました。

実は、昨日のスケジュールは、違うところに行こうとしていましたが、HPS患者の会 代表のヨハンナさんから「永井隆記念館と浦上天主堂には行ってほしい」とアドバイスをいただき、今回のスケジュールを急遽、前夜に決めて時間的な事も考えて帰りの荷造りと送る荷物を夜のうちに送り昨日は朝から巡りました。

そして、次ぎに浦上天主堂へ行きました。

浦上天主堂は、浦上の小高い丘の上に建つ東洋一の教会で、原爆で壊滅状態になっていましたが復興された教会です。

正面に2本の塔が高くそびえ、とても大きな赤レンガづくりの教会で、堂内に入ると天井は高く、ステンドグラスが見事でした。

その一角に被爆の有名なマリア像があります。

そして、教会の方に、今回の旅が慰霊の旅であること、ヨハンナさんのこと、などをお話しましたら、特別に祭壇の一番前で祈る事を許可して下さいました。

ここ浦上天主堂でも神父さまや信徒さんが多く亡くなられています。

この旅の最後に、祈らせていただきました。

教会に来る事が出来なかった、ヨハンナさんにメールして「いまから祈ります」と言い遠くても、思いは届くと思いました。

11時から12時過ぎまで祈り、ちょうど12時には、倒壊した教会の中から無事に壊れずみつかったアンジェラスの鐘の音が鳴り響いていました。

正に平和の鐘です。

鐘は1日に3回鳴らすそうで、私は偶然にもお昼の鐘の鐘をきかせていただくことができました。

この鐘が鳴りますと、教会のみなさんは作業の手を止めて「お告げの祈り」をされるそうです。

教会からホテルへの帰り道、時間が少しありましたので、出島にも立ち寄りました。

よく社会の教科書で扇型の出島の絵を見ましたが、いまは街中にあります。

ここから、日本中に様々な文化が広まったと思うと、何だかとても歴史を感じました。

今回の鹿児島と長崎の旅は慰霊と祈りの旅でした。

また、私の心の図書館に次に伝えていかなくてはいけない大切なお話を収める事ができました。

お世話になりました鳥浜明久さん、尾崎登明修道士、総理さんご家族とご友人と幼稚園の先生、原爆資料館で案内をして下さった方(お名前を聞けばよかった)、永井隆記念館の職員の方、浦上天主堂の職員の方、実はもっともっといろんな方々にお世話になっていますが、この場を借りてお礼申し上げます。

本当に感謝と祈りの素晴らしい5日間でした。

ありがとうございます。
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昨日はHPS患者の会 代表ヨハンナさんからのご紹介で「長崎に慰霊の旅にでるなら、ここへ行ってみたら」と教えていただいた長崎市本河内町2丁目2-1にあります『聖コルベ記念館』へ行って来ました。

コルベ神父さまは、どんな方かと申しますと昭和5年に長崎にこられ、昭和6年に無原罪の園修道院を開設、5年後に修道院内に聖母の騎士学園の前身である「本河内神学校」を開校してました、その後ポーランドに戻って、第二次世界大戦でアウシュビッツ捕虜収容所で死刑を命じられた受刑者の身代わりとなって殉教し聖人になられた神父さまです。

そして、そこの館長をされていらっしゃるのが小崎登明(とうめい)修道士さんです。

この方は昭和3年に今の北朝鮮(本籍地は長崎県外海町黒崎)で生まれましたが精肉店をしていたお父様が病気で亡くなり本人も病気になり長崎へ帰国、帰国後も入院していましたが回復して、お母様とふたりで暮らしていました、そして昭和20年8月9日に長崎・浦上の三菱トンネル兵器工場で原爆に遭いお母様を原爆で亡くされ、2ヵ月後、長崎・聖母の騎士修道院(コンベンツアル聖フランシスコ修道会)へ入られ、その後は長年、月刊「聖母の騎士」編集に携わる。
聖母の騎士小学校・椿原中学校校長を経て、現在、聖コルベ記念館の館長を勤める。

この小崎登明さんに会ってきてほしいと、頼まれました。

とにかく来る事が出来ないヨハンナさんのためにも小崎登明さんに会わなくてはとの思いで会館時間ちょっと前に間に合う様に行きましたが、ネットで調べた時には地図がなくて「行けば分かるだろう」と住所などのデータだけプリントしていきました。

念の為、番所バス停に着いた時に運転手さんにも聞いてみたら「あの山の上だよ」と教えていただきましたが坂道が急で大変でした。

そして、すぐ番地が離れている事に気がつき、引き返しましたが、道が入り組んでいて変なところへ迷い込んでしまいました。

その時なんだか知りませんが「会館時間に間に合わなくては」と必死でした「神様どうかヨハンナさんの願いを叶えて下さい」と祈りながら歩いていると、すぐ前から地元の人がきました。

その方に聖コルベ記念館をたずねると、やはり間違えていました。

その方が、とても親切で「私もすぐ近くまで行きますので、ご案内します」と言って下さって無事に聖コルベ記念館に着きました。

そこで最初に目に入ってきたのが、両腕を空へ向かって広げ、顔も空を見上げる聖フランシスコさんの銅像でした。

そして館内に入ると黒い修道服?(すいません正式名が分かりません)の修道士さんがいましたので「小崎登明さんいらっしゃいますか?」と尋ねますと「いま中にいますので、お呼びします」とすぐに呼んできて下さいました。

小崎登明さんはなぜか?普段着で私も「あれ?修道士さんですよね?」と思いました。

そして、ヨハンナさんから紹介していただき千葉から来た事を伝えると「ここのところ本当に忙しく昨日は慰霊の日で母の命日なのに、お墓参りもしてないのでいまから行くところなんです」と言っていましたが「せっかく来て下さったから」と私のお話を聞いて下さいました。

ヨハンナさんの事、HPSとアルビノ事をお話してきました。

そうしたら「一緒に写真を撮ろう!」と言っていただき「ちょっと待って着替えてくるから」と部屋に入っていかれ、すぐに黒い修道服を着て出てきて下さり「ここで撮影しましょう」とマリア様に向かって祈る聖コルベ神父の絵が飾られた前で撮影しました。

そして原爆の体験談を聞きました、原爆が落下した時にはトンネル工場でしたので、「ドカ~ン!」と言う大きな音と揺れで、そうとう大きな爆弾が落ちたと思ったそうです。
そして、そうこうしているうちに怪我人がぞくぞくトンネル内に入ってきて、凄まじい威力の爆弾だと、分かったそうです。
そうしていると海軍の兵隊に「元気な奴は外に出てろ!」と追い出されたそうです。
そして、外に出てみると一面火の海で、いままで見た事がない状態だったそうです。
そして、すぐ母親を探しに行きましたが、爆心地に近かった自宅は完全になくなっていたそうです。
そして母親も亡くなっていました。
「とにかく、ここから離れなくては」と思って歩いていると、女性が担架に乗せられて苦しんでいて、その人を運ぶのを手伝ってほしいと頼まれて運んでいましたが、今度はアメリカ軍の戦闘機が上空から襲ってきて、その女性を置き去りにして逃げざるえない状態だったそうです。
そして、今度は川を渡っていると両足が焼け焦げた少年に足をつかまれ「助けて」と言われましたが、とてもそんな重傷の子供を運んでいられないと「無理だ、あとで必ず助けが来るからそこでじっとしていろ」と言っても「嫌だ!助けて!家に連れていってくれ!」叫んだそうです。
でも、助けられないと、手をふりほどいて、その場から逃げたそうです。

その後、修道院に入りコルベ神父の話を知って「私は人を見捨てたのに、コルベ神父は死刑が決まった人の身代わりを自らなのった…」と知って衝撃と感銘を受けたそうです。

その後、小崎登明さんはアウシュビッツ捕虜収容所で、コルベ神父が身代わりになって下さったおかげで生き残った方とお会いしたそうです。

小崎登明さんは、おっしゃっていました「あの極限状態の中では人間の本能としては『見捨てる事が当然』そうしないと自分が死んでしまう、だけどコルベ神父は、あの極限状態の中であっても、自らの命を見ず知らずの人与えた、そこが違います、私もこうして生かされた以上は、原爆体験を伝える活動をしていきます」とおっしゃっていました。

小崎登明さんは本当にお急がしい様で電話がきて記念館を出ていきました。

その際に両手でかたく握手をして「頑張りなさい!ヨハンナさんにも私からそう言っていたと伝えて下さい」と言っていただきました。

今度は、バスから市電に乗り換えて、長崎原爆資料館に移動しました。

そこで、ボランティアの平和ガイドさんがいました。

実はその方も被爆者の方で、その当時は小学生5年生でした。

そして原爆で生き残ったクラスメイトは、男子がご本人合わせて2名、女子が1名だったそうです。

ご説明も、実体験をされている方なので本当に詳しく、本当に悲惨な現状だった事がよく分かりました。

それから国立長崎原爆死没者追討平和祈念館に行きました。

そこでは、亡くなられた方々の遺影や死没者名簿があり、爆心地に向かっての祈りの空間がありました。
ここでも心静かに祈らせていただきました。

更に奥に進んで、映像で体験談を聞かせていただくコーナーで、たまたま流れていた映像がイギリス人の方で長崎の捕虜収容所で被爆なされた方のお話を聞きましたが、最後に知ったのがアメリカなどの連合国軍は、長崎に仲間が収容されている事を知りながら原爆を落としました。

戦争とは、勝つためにはどんな手段も選べないとは言いますが、仲間を殺してまで勝たなくてはならないなんて、本当に悲しくなりました。

その方は、幸い生き残りましたが「いったい何を信じたらいいんだろう」と思った事でしょう。

そして、思ったより見終わるのが早かったのでホテル近くの大浦天主堂でも祈らせていただきました。
ちょうど、コルベ神父の企画展もあり、運命を感じました。

最後に天主堂横のグラバー邸に立ち寄りましたが、夏休みと言う事もあり家族連れが多く子供たちのはしゃぐ声が元気にしていました。

この子供たちの声が、ずっとずっと笑い声でありますようにと、あらためて「戦争のない世界の実現」に向けて祈らせていただきました。

長崎は数百年もの間、厳しいキリシタンの弾圧に命をかけて抵抗し、祈り続けた「祈りの街」この街に、いま私が来させていただいたのも、きっと何か意味があると思います。

これからも平和を祈り続けます。