世界のマエストロ、小澤征爾さんと一度だけすれ違ったことがある。
2005年2月21日。東京・有楽町の国際フォーラムの舞台。
その日、スマトラ島沖地震復興支援チャリティコンサートの司会を仰せつかった。フルート奏者の山形由美さんと緊張の面持ちでマイクを握っていた。
チケットがわずか20分で売り切れてしまうという状況の中、
復興を望む5000人もの観客が詰めかけた。
小澤征爾さん、大友直人さん、飯守泰次郎さん、外山雄三さんの4人のマエストロたちが指揮するのは、各オーケストラ、フリーの演奏家、音大教授たちによる一夜限りの特別編成オーケストラ。
二期会合唱団、日本オペラ振興財団の有志の皆さんによる合唱。
そして大倉正之助さん(大鼓)、佐藤しのぶさん(ソプラノ)、錦織健さん(テノール)、前橋汀子さん・樫本大進さん(ヴァイオリン)、横山幸雄さん(ピアノ)、須川展也さん(サキソフォーン)がそれぞれ心のこもった演奏をした。
小澤征爾さんはバッハの「G線上のアリア」を振り終わっても、身動きせず、拍手も求めなかった。
その小澤さんが、舞台に登場する時、ほんの一瞬、すれ違ったのだ。
彼が現れただけで、その場の空気が変わった。みんなが敬意を込めて
マエストロの登場を迎える空気になった。眼光するどく、その眼差しは、スマトラ島に注がれているようだった。
地球に80億近くの人がいるが、どれだけの人が、小澤征爾さんとすれ違えることか。それだけでも幸せなことだと思う。
小澤征爾さんが亡くなり、その追悼記事の扱いなどを見るにつけ、いかに大きい存在だったかがわかる。
小澤征爾が亡くなったのは、今月6日。享年88。
その死が公表されたのは、9日の午後7時。通常演奏会の開演時刻だ。演奏会に影響を与えないよう、なにがしかの配慮があったのかもしれないと、指揮者の山田和樹さんは語る。
その日、山田さんは、演奏会の休憩明けに、偉大なマエストロの死を観客に告げた上で、「音楽は楽しいものとして共有した。黙とうはしない」と話した。
10日付けの朝日新聞・天声人語は、「魔法のタクト一本で、国籍を溶かし、国境をひょいと飛び越えてしまう」世界のオザワだったと表現した。
征爾の名は、関東軍の板垣征四郎と石原莞爾からつけられた。日中戦争の悲惨な歴史を振り返りながら、目を真っ赤にして指揮棒を振ったこともある。
楽団員たちは、よく「小澤の目力」という言葉を口にした。目が合った瞬間音が出てしまうのだそうだ。なのに、他の奏者たちとぴったり揃ってしまうのだそうだ。
やりたいことを絶対やり抜く意志力、けた外れの行動力、愛すべき無鉄砲さ、誰にも壁を作らない生き方が、一目も二目もおかれるゆえんだろう。
朝日新聞11日付け朝刊には、一面すべてを使い、親交のあった村上春樹さんの追悼文を掲載した。
その中で、村上さんは、ネジに例えてこんな表現をしていた。
ゆっくりと、ひとつひとつ丁寧に細部のネジを締めていく人だった。オーケストラの出す音に注意深く耳を傾け、問題があればそれを指摘し、どこがいけないかをユーモアを交えてフレンドリーに説明し、その部分のネジを締める。
彼がネジをひとつ締めるたびに、その音楽は少しずつより自由で、より風通しのよいものになっていくのだ。
ネジをぎゅっと締めることによってその結果、驚くほどすんなりと演奏から肩の力が抜けていくのだ。そしてその音楽はよりナチュラルな、より柔軟性を持つものとなっていく。生命が吹き込まれていく。僕はそれこそが『小澤マジック』のひとつの神髄ではないかと思っている。