森下洋子さんの「鎌倉」 | 村上信夫 オフィシャルブログ ことばの種まき

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元NHKエグゼクティブアナウンサー、村上信夫のオフィシャルブログです。

鎌倉といえば、エリアナ・パヴロワ。

ロシア革命から逃れて日本に入国し、鎌倉に、日本初のバレエの稽古場をひらいた。いわば鎌倉は、日本でのバレエの礎の地といえる。

エリアナ・パヴロワが来日したのは、1919年(大正8)。

そして、1927年に鎌倉・七里ガ浜に日本初の「パヴロワ・バレエスクール」を設立する。

パヴロワは今日の日本のバレエの基礎を築いた人々を育てた。

その中には、日本バレエ協会の初代会長の服部智恵子をはじめ、

東勇作(松山樹子の師)、橘秋子、貝谷八百子がいる。

1937年に日本への帰化を許可され、エリアナ・パヴロワは霧島エリ子と改名した。

1941年日本軍慰問中の南京で死去、軍属の戦病死として扱われ、鎌倉市は市葬を行った。

スタジオは長く「鎌倉パヴロワ記念館」として公開されていた。

エリアナの妹のナデジダ・パブロワに、森下洋子さんは、大変かわいがってもらったそうだ。

松山バレエ学校の湘南鎌倉校では、エリアナ・パヴロワ精神を受け継ぎながら、古都鎌倉で芸術の花を咲かせようとしている。

 

その鎌倉で、新「白鳥の湖」の公演がある。

(2月23日14時~ 鎌倉芸術館大ホール)

1994年に初演。2014年には、石巻で復興支援公演の演目に選ばれた。東日本大震災を機に、どんなに絶望的な状況でも決して屈しない白鳥達の澄んだ魂の輝きをより強く描き出せるように演出を大きく変えた。松山バレエ団のプリマバレリーナたちが、心をつないでいくスペシャルバージョンだ。

「能登の震災も起きた中で、より強く共に手を取り合うあたたかさや、前へと進む希望を届けられるようにしたい」と、森下さんは、穏やかに語っていた。

 

舞台歴70年の人が、大作の主役を踊る例は皆無だ。

でも、「いまだから表せる10代の輝きもある」という。

被爆地広島生まれの森下さんは、常に世界平和を願って踊ってきた。

一瞬一瞬に、今の自分のすべてを出し切っている。

稽古のたびに新しい発見がある。あれが出来ない これが出来ないとマイナスに考えない。こういう気持ちの発露が、長い芸歴の支えになっているのだろう。

パートナーの清水哲太郎さんは、

「稽古場で誰よりも早く「ハイ!」と返事する。あらゆる人の助言を素直に受け入れられる」という。

レジェンドなはずなのに、いつも初心に帰ることが出来るのも、これまでの支えなのだろう。

「理屈を超えたバランス、感覚の妙が特大で、普遍的な人間調和の直感が住んでいる。彼女の身体の水田から稲穂が生まれて伸びていくようだ」と独特の表現で賛辞を送る。

 

これまでにも、何度か、森下さんとは対談してきたが、このたびは、出迎えサプライズの高揚感の中で、お互いに新鮮な気持ちで対談出来たように思う。

森下洋子さんのインタビューは、「ナミの鎌倉ナビ」で2月7日と14日放送予定。