「怪物見た?」
「怪物よかったよ」
各方面から「怪物」の評判が聞こえてきた。
これは見なくてはならないと、間隙作って行ってきた。
是枝作品に外れはない。
綿密に計算されつくしたストーリー展開。
俳優陣の演技力。
坂本龍一さんの遺作となった音楽。
すべてが結晶となって、見るものの心を打つ。
学校で起こった、とある出来事。
母親に見えている風景と、教師に見えている風景とではまるで異なっている。そして子供から見た風景もまた…。
映画はまず、母親(安藤サクラ)の視点から始まる。
母親は、学校のひどい対応のせいで息子が傷ついたと思っている。
母親は怒って学校に乗り込む。しかし校長(田中裕子)は木で鼻をくくった対応に終始する。
担任(永山瑛太)は無神経な発言を繰り返す。
シリアスかと思えばコミカルであり、コミカルかと思うと、いつのまにかシリアスに変わっている。そんな不思議な味わいがある。
母親は学校という組織が理解できずに怪物だと思う。
学校側は母親をモンスターとみなす。
子どもも自分の中に芽生えた、えたいの知れない感情の向こうに怪物を見る。
世界中至るところに断絶や分断がある。理解できるものとできないものを色分けして、理解できないものは排除する。見えないことは見ない、存在しないことにするという状況が、加速度的に進んでいる。
責任の押し付け、なすりつけ、放り投げ。決して交わらない会話。
そんな現代の状況も浮き彫りになる。
人は、誰しも自分の中に一匹の怪物を飼っている。
「ふつうの人」が突然「怪物」に変身し、また何事もなかったかのように
「ふつうの人」に戻る。
内なる怪物を、上手に手なづけながら生きていくのが人生なのかもしれない。時に怪物が暴走したら、呆然とするしかないのかもしれない。
だが、この映画のラストシーンには「希望」があると感じた。
怪物が出現しようがしまいが「何も変わらない」日常がある。
日常を淡々と生きることが、怪物とつかず離れず付き合う極意なのかもしれない。