本郷高校の恩師、三浦先生と50年ぶりの再会 | 村上信夫 オフィシャルブログ ことばの種まき

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元NHKエグゼクティブアナウンサー、村上信夫のオフィシャルブログです。

先日、ミニコミ紙『湘南よみうり』の一面トップに載せていただき、かなりの反響をいただいた。さすが16万部の威力。

中でも、本郷高校時代の恩師、三浦脩先生が、新聞をご覧になり新聞社に問い合わせをされたことから、先生と再会することが出来た。

卒業以来、50年ぶりのことだ。

先生は、いま84歳。藤沢に住んで、小さなギャラリーを営みながら、

一人旅を楽しんでいる。

 

三浦先生は、本郷高校には国語教師として、5年間しか在籍されなかったが、ボクにとっては印象深い先生だ。先生も「村上くんはいちばん前の席で、熱心に授業聞いていた」と、印象深かったようだ。

ボクが大学に入ってほどなく、登校拒否をしていたMくんの家庭教師をしてくれないかと依頼を受けた。僕には荷が重い気がしたが、彼の話し相手になってくれたらいいからと言われ、それならなんとか出来るかもしれないと引き受けた。ボクを見込んでくれた三浦先生の名指しが嬉しくもあった。

父が亡くなり、母一人子一人の家庭に赴き、まさに勉強を見るより、彼と語らう時間が長かった。ボクにとっても、距離感の測り方など、学ぶことが多かった。その後も年賀状のやりとりは欠かさなかった。いま宇宙に関する仕事をしている。

そのことやら、当時の先生方の消息やら、近況やら、話に止めどはない。「なんだか思い出話をしていると、身体が温かくなってくるねー」と先生は、昔と変わらぬ柔和な表情で言われる。確かに身体が火照ってくる。

 

昔は坊主頭で修行僧のような雰囲気があったのだが、いま先生は、世の中の変貌を憂えている。公衆道徳も嘆く。社会インフラも嘆く。

それを公衆の面前で口にしてしまう。確かに正論なのだが、血の気が多いのが、災いしてトラブルに巻き込まれかけたこともあったという。なるべく嬉しいことばを使うようにしてくださいと恩師を諭してしまった。

そうしたら、「出藍の誉れだね」と、激賞してもらった。