ほんとうの題名は「ナカダイ」 | 村上信夫 オフィシャルブログ ことばの種まき

村上信夫 オフィシャルブログ ことばの種まき

元NHKエグゼクティブアナウンサー、村上信夫のオフィシャルブログです。

90歳。年齢が独り歩きしているが、確かにこの人は、去年12月、90歳になった。この人は、果敢にも膨大なセリフを諳んじ、軽やかに舞台に現れ、80分の一人芝居に挑んでいる。

仲代達矢さん演じる『バリモア』を、居住まいを正しながら見てきた。

かつて、仲代さんにインタビューしたとき、「役をとればただの者」と言われた。翻れば、役を生きているときは、只者ものではなくなる。

実在した老優、ジョン・バリモアを描いたものだが、老優、仲代達矢を重ねて見てしまう。

この芝居には、シェイクスピアもギリシア悲劇も喜劇も古典劇も現代劇も、何でもござれの仲代さんのすべてが詰まっている。仲代達矢が味わい尽くせる。芝居の題名は『バリモア』だが、本当の題名は『ナカダイ』ではなかろうか。

 

1942年、ニューヨークの小さな劇場に佇む一人の老優──。
何代も続く芸能一家に育ち、ハリウッドで華々しく活躍した大スター、ジョン・バリモア。アルコール依存で破滅しかけている彼は、今、新しい舞台のリハーサルに挑んでいる。
サポートは馴染みのプロンプターただ1人。演目は彼のかつての当たり役「リチャード三世」。
これが崖っぷちの彼に残された、再起への最後のチャンスだ。
暗い劇場に響くシェイクスピアの台詞、
それはいつしか、彼、バリモア自身の追憶を辿る独白となってゆく…。
一人の役者の栄光と凋落、再起にかける情熱をどこか自虐的に描いた作品だ。

 

仲代さんは、意気地なしで、心配性だそうだ。頻繫に医者に行くおかげで、大きな病気もせずにこの歳までやってこられたという。

役者としても心配性。いまだに「今度の舞台、大丈夫かな」と思うと眠れなくなるそうだ。セリフは大丈夫か、声はちゃんと出るか。常に心配だから、その分、事前の準備は徹底的にする。

子どものころから人前で何かをするのが苦手な引っ込み思案だった。、「役を演じる」ことで、そんな自分を打破してきた人生だったのかもしれない。

 

役者というのは、脚本に書かれたセリフの本質を理解して演じるという意味では芸術家という面もあるが、最終的にはそれを自分の身体を使って表現するという意味ではアスリートのようなところもある。

だから、若いころから毎日ジョギングをして、それなりに体は鍛えてきた。ただ、70歳まではヘビースモーカーで、ぜん息持ちだったこともあって、医者に「ここでタバコをやめないと声が出なくなって役者を続けられなくなる」と言われてスパッとやめた。

90歳で現役の役者を続ける原動力は、「もっとうまくなりたい」という思い。ひとつの舞台、ひとつの作品を終えると、「あそこはもっとこうすればよかったな」と思うことが、今でもしょっちゅうある。「次はもっとこうしよう」と思うから、いまだに続けられているのかもしれない。

 

今回のバリモアは、初演の81歳のときも苦労して演じた役だが、90歳になった今の自分がこれをどう演じ切るのか、あえて自分で自分にプレッシャーをかけているようなところもある。

だいたい役者は60~70代くらいになると「名優」扱いされるが、体力、精神力は落ちてくるし、若い人の何倍も努力をして、精進しないと追いつけない。「名優」と言われることにあぐらをかいてる場合ではない。

役者の実力がそのままさらけ出されるのが舞台。

舞台でしっかり演じることができれば、その役者は映画やテレビに行ってもきちんと通用する、というのが仲代さんの持論。

 

終わったとき、「ああ、もう一本やりたい」と思うかもしれないので、「これが最後の舞台」とは言いたくない。だが、もしかすると、これが最後になるかもしれない。そのつもりで、全身全霊をかけて挑んでいる。

 

仲代さんの主宰する「無名塾」は、創設48年。

次世代を担う若い人たちに何かを手渡していくことは、長く生きた者の責任でもあると考えている。

すぐれた芸能・芸術というものは、「人間とは何か」を観る者に問いかけてくるものだ。そして、悪しき大きな力に対して「個」に何ができるのかをつねに突きつける。

今はパソコンやスマホの中だけですべてが完結してしまい、人と人が生身で関わる機会が減っている。だからこそ、次世代を担う若い人たちには、生身の役者が舞台で発する熱量を知ってもらいたい。本物の芸能・芸術に触れて、「人間とは何か」「平和とは何か」を自分なりに考えてもらいたい。そう仲代さんは思い続けている。

 

『バリモア』は、北千住のシアター1010で、23日まで上演。

そのあと、5月中旬まで、全国各地を巡業する。

90歳の旅興行は、まだまだ続く。