新春最初の素読は、
「性、相近し。習い、相遠し」。
人間の本来の性格にはそれほどの違いはないが、後天的な習慣や環境による変化によっては、大きな差異が生じてくることをいう。
「人生は習慣の織物」とは、安岡正篤の言葉だ。
人生の行為において習慣は主義以上の価値を持っている。何となれば習慣は生きた主義であり、肉体となり本能となった主義だからである。誰でもが主義を改造するのは何でもないことである。それは書名を変えるほどのことに過ぎぬ。新しい習慣を学ぶことが万事である。それは生活の核心に到達するゆえんである。生活とは習慣の織物に外ならない。
習慣は徳性と離すことのできないもので、第二の天性といわれる。知も技もこれに結ばれなければ本物にはならない。習慣を軽んずるのは人間の破滅である。
と、ここまで言い切っている。
毎日の習慣、小さな変化を作り出す努力がいかに大切かということだ。
挨拶をきちんとする、いつも笑みを絶やさない、毎日時間を決めて読書する…なにげないことの積み重ねが、自分の感性を育み豊かにしていく。
祖父の正篤は、孫の定子さんに「自分の心の帰る場所を持ちなさい」とも言っていた。祖父にとっては東洋の古典が心の拠り所だったのだろう。いま定子さんも「論語を伝え広める場」が心の帰る場所になっている。
毎月第二火曜日の論語塾に足を運ぶことが、受講生にとっても習慣になり、心の帰る場所になっていれば、この上ない喜びだ。
熱心な受講生の高野登さんは、「自分の心の帰る場所のひとつになってきている。乱れがちな心と気持ちを調律する場があるのは、なんと有難いことか」と感想を述べている。
右から、長男、長女、次男