若菜さんは、気は優しくて力持ち | 村上信夫 オフィシャルブログ ことばの種まき

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元NHKエグゼクティブアナウンサー、村上信夫のオフィシャルブログです。

クラブハウス「ことば湯」男湯のゲストに、

元プロ野球選手の若菜嘉晴さんを迎えた。

往年の名捕手。ライオンズ、タイガース、ホエールズ、ファイターズと

4つの球団に在籍し、それぞれの場で存在感を発揮した。

監督やコーチとも真向勝負、女性との浮名もよく流した。

いまは、24歳差の妻と、穏やかに暮らす。

そして、クラブハウスでも、よく見かける。

クラブハウスがなければ、若菜さんと話す機会もなかっただろう。

若菜さんは、スピーカールームに来た女性陣のことも、一人一人をよく認識している。彼女たちの共通した若菜評は「気は優しくて力持ち」。

ボクもそう思う。

 

若菜さんは、1953年生まれ。

開口一番「村上さんとボクとは、同い年なんですね」。

同じ年に生まれ、同じ時代の空気を吸ってきたというだけで嬉しい。

小学6年生まで習っていた書道では全国大会で入選し、文部大臣賞を受賞している。実用英語技能検定1級の資格も持っている。語学力を生かし、外国人選手との会話などに困ることはなかった。

福岡の柳川商高から、プロ野球の道に入った。

東尾修、小林繁、江本孟紀の投球をノーサインで受けたこともある。

「ユニフォームを着たら、自分はスーパーマンだと思っていた」とは、

男の矜持だろう。

 

1997年から、福岡ダイエーホークスの一軍バッテリーコーチに就任した。のちにWBCやアテネ五輪でも活躍する城島健司の育ての親となる。なかなか捕手としての技能が向上しない城島を巡って、当時の王貞治監督とたびたび衝突した。王監督は、城島のリードや捕球のまずさを指摘し、内野手へのコンバートを示唆した。

若菜さんは反論し、辞めようと思った。東京の王さんの自宅に電話を入れたところ、王夫人だ出た。王監督とは代わらずに「主人から話は聞いています。お仕事に口を挟むようで申し訳ないのですが、今、あなたと主人との板ばさみになって困るのは城島君ではないでしょうか。お電話のことは主人に私からお伝えしておくので、もう一度考えてみてください」と上手くとりなされた。

王さんにも若菜さんが謝罪していると伝え、夫人の仲介で両者は和解することができ、城島もコンバートせずに捕手として成長していった。

微に入り細を穿つようにこの話を聞くことが出来て、ワクワクした。

 

再三、母親の話をした。

「母は、シーズン中は、好きな酒を断ち、ボクの活躍を念じてくれていた」

「丈夫な身体に産んでくれて感謝している」

「母ともっと話をしたかった」

母親の話をするとき、声音が一層優しくなったような気がした。

 

(阪神時代の若菜さん)

 

(応援チアガールに囲まれた若菜さん)