クラブハウスで知り合った防災士の三原麻弓さんにお誘いいただき、
阪神淡路大震災報道のエピソードを語った。
三原さんと話していると、当時のことを振り返るだけでなく、考えていたこと、考えるべきことの整理が出来、気づきもある。
1995年1月17日。
阪神淡路大震災の第一報に携わった。
暗中模索しながら、次々飛び込む惨状をひたすら伝えていた。
誰に向かって伝えているのだろうか…。
被災地が真に求めていることに答えているだろうか…。
避難所でマイクを突き出しインタビューする必要があるのだろうか…。
地震の起きたメカニズムを、いまここで説明する意味があるのだろうか…。自問自答しながら伝えていた。
震災が起きて数日後、今井義典キャスターに同行して神戸に向かった。新幹線が新大阪で止まっていたので、天保山から船で神戸に入った。変わり果てた三ノ宮の光景に、ことばを失った。
神戸に向かう車中で聴いた今井さんのことばが忘れられない。
「ボクたちは、こういうとき無力だよね」
自分に何かが出来ると思いあがってはならない。
特にマスコミに身を置く人間が、「伝える」特権のようなものを振りかざしてはならない。
「自分たちには、なんの力もないんだ」という謙虚さを持ち続け、
その中で出来ることを模索するしかないと思う。
伝えなくていいことは伝えず、本当に伝えるべきことだけを伝える。
そういう姿勢を忘れてはならないと思う。
いまのコロナ報道にも通じることだと思うのだ。
(左から2番目が今井義典さん)