明治の日本にもジョブスやゲイツがいた!? | 村上信夫 オフィシャルブログ ことばの種まき

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元NHKエグゼクティブアナウンサー、村上信夫のオフィシャルブログです。

明治時代に、腹の据わった、懐の広い経営者たちがいた。

いわば、日本版ジョブスやゲイツが。

質実剛健、我慢強く和を大切にという日本型経営者のイメージは、

戦後の高度経済成長期に作られたもの。

しかし、明治の日本には、ベンチャー精神のある自由奔放な剛毅な経営者がいたのだ。

 

梅屋庄吉。

孫文の辛亥革命のために全財産を惜しげもなく、つぎ込んだ。

14歳で上海、19歳でアメリカに。冒険好きで破天荒。

アジアを列強諸国から守ろうとする正義感は、人一倍強かった。

国境の枠に全くとらわれない豪快な生き方をした人だった。

 

薩摩治郎八。

当時のお金で800億円をつぎこみ、パリの社交界で名を知られた男。藤田嗣治の有力なパトロンであった。

戦後、無一文になって帰国したが、浅草で放蕩もして再婚もした。

「潔く破産することの快楽」すら感じていたのかもしれない。

ピンキリを楽しんで生きた人だった。

 

大倉喜八郎。

幕末、武器調達で大儲けする。 

その潤沢な資金を元手に、日本初の事業を手掛けていく。

ホテルオークラ、大成建設、サッポロビール、帝国劇場…。

90歳のとき、大人数を従えて、赤石岳登頂をやってのけた。

 

土倉庄三郎。

吉野の山林王として、奈良の片田舎で君臨した。

多くの元勲たちが、土倉詣でをしたという。

自由民権運動を支援。

同志社大学、日本女子大創設に多額の寄付をした。

 

山崎種二。

相場の神様と呼ばれたが、堅実、着実な投資家であった。

「儲けた金には損がついて回る。貯めた金には信用がつく」という信念があった。「成功のタネは必ず苦しいときに芽生え、失敗は有頂天のときに原因が生じている」ということも戒めにしていた。

横山大観たち日本画家を支援し、

日本画専門の「山種美術館」を設立した。

 

御木本幸吉。言わずと知れた「世界の真珠王」。

明治天皇の前で「世界中の女性の首を真珠でしめてごらんに入れます」と豪語し、実際、その通りになった。

伊勢志摩国立公園の誕生にも尽力し、地元の観光に貢献した。

 

足立全康。

島根県の文化発展に尽くし「足立美術館」を設立させた。

横山大観の作品展示もさることながら、庭園も見応えがある。

「自分以外はわが師」という謙虚さもあり、「命がけで取り組めば、必ず実現する」という強固な信念も持っていた。

 

「もっと、もっと」と学び、それを人生の糧としていけば、大成出来る。

人生に降りかかる成功も失敗も、次の道の進む力へと変えていく。

7人の経営者には、共通する圧倒的スケール感があった。