去年5月以来、久しぶりの永さんシリーズ。
丹波の家は、宝の宝庫。
またまた貴重な資料が出て来た。
2003年の「文藝春秋」誌上で、永六輔さんと、
NHKの大先輩、加賀美幸子さんが対談した記事が出て来た。
ラジオ職人を名乗っていた永さんが、「ラジオはことばを守る砦」だと言っている。だからこそ、ラジオで使うことばに気を配っていた。
「自分が言ってることが相手にわかるかわからないかに一番集中する」「お年寄りから子どもまで誰にも伝わるように、心を尽くして瞬時にことばを言い換える」
「ラジオに育てられた人の話は、要点をついて鋭く、しかも品があってや優しさに溢れている」
「ラジオ番組のベテランは。短いセンテンスがずっと並んでいくので語りにリズムがある」
「見えるように聴かせる」
「ことばを削り取れば削り取るほど想像力は掻き立てられる」
「ひたすら聞き役に回ると、相手からいただけるものが多い」
このところ「クラブハウス」なる新しいSNSが大人気だ。
いわば「声のツイート」?
同時多発的にことばを交換しあう社交場みたいなもの?
いま、爆発的に参加者が増えているのは、コロナ時代、「社交」を禁じられた人たちが、語らう居場所を求めているのだろうか。
ボクもさっそくエントリーして参加してみた。
ただ単なる「おしゃべり不足」のストレス解消の場にしてしまってはもったいない。共感共有共振しあう人たちが、テーマを決めて、お互いを高め合う場にしないともったいない。
参加していて思った。これはラジオだと。ラジオ公開トークライブだと。
途中から参加した人にも内容のリフレインも必要。
誰が何の話をしているのか字幕スーパーも必要。
そして、永さんが指摘したような「ことば選び」に対する配慮も必要。
だってパーソナルではなくソーシャルなんだから。
ことばを垂れ流す場ではなく、ことばを磨く場であってほしい。
ただ、使い方使われ方しだいでは、
ラジオの強力なライバルになり得ると思う。
永さんが生きていたら「クラブハウス」のことを、どう思ったろうか。
「それって美味しいの?どんなサンドウィッチ?」と冗談めかして、
スルリとかわしたかもしれない。