なぜいま「モモ」なのか | 村上信夫 オフィシャルブログ ことばの種まき

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元NHKエグゼクティブアナウンサー、村上信夫のオフィシャルブログです。

ミヒャエル・エンデの名作『モモ』が、最近また読まれているという。

ネット書店ランキング上位に入っている。

なぜ、いま『モモ』なのか、文化放送『日曜はがんばらない』で、鎌田實先生と読み解いてみた。

 

『モモ』という作品は、1973年の発売当初、ドイツ国内の文化人から「ノンポリ的逃避文学」として非難された。当時は第二次世界大戦からの復興が成し遂げられて、経済が高度成長していた時代。だから、勤勉で一所懸命働くプロテスタントのまじめな人々の神経を逆なでしたのだろう。暮らしそのものが科学技術の進歩によってどんどん合理化されて、無駄な時間が減って、みんなが豊かになるのは何が悪いのかと。でもエンデはさらにその一歩先を見ていた。

 

廃墟となった「円形劇場」に住みついた、粗末な身なりをした女の子・モモ。町の人がモモに話を聞いてもらうと、何故か硬くなった心が柔らかくなり、悩みは消えていく。モモは、「相手の話を聞く」素晴らしい才能の持ち主。モモは「ただじっと座って注意深く聞いているだけ」。誰もが、モモに向かって話しているうちに自分で答えを見つけていく。「自分のどこにそんなものが潜んでいたのかと驚くような考えが、すうっと浮かび上がってくる」。不思議な力を持つモモは、次第に町の人にとってかけがえのない存在になった。

ところがある日、街に「灰色の男たち」が現れる。「時間をムダにしてはいけない!あなたの時間を「時間貯蓄銀行」に預けると良い!」と言葉巧みな彼らの誘いに乗って、町の人は自分の時間を「時間貯蓄銀行」に預ける。町の人から「時間」が奪われていった。

小さな女の子・モモが、灰色の男たちに奪われた時間を取り戻そうと奮闘するストーリーだ。

 

エンデは、現代人の時間のつかい方への痛烈な批判をしている。効率至上主義を全否定している。仕事で1分の無駄もなく、雑談することもなく働き続けても楽しくない。むしろ雑談のない職場では、いいアイデアは生まれない。オンライン化が進み、会話を控えよと言われる時代、

「雑談」が消えている。エンデが生きていたら、さぞかし嘆くことだろう。

 

モモを時間の国へと案内した、カメのカシオペイアも名脇役。

カシオペイアはひたすらゆっくり歩く。

「ねえ、おねがい。」モモはカシオペイアに言いました。「もうちょっとはやく歩けない?」
「オソイホドハヤイ」
浦島太郎を竜宮城に連れていったのもカメだったが、モモを時間の国に連れていくのもカメ。「オソイホドハヤイ」は、ローマ帝国初代皇帝のアウグストゥスが好んだ言葉「ゆっくり急げ」にも通じる。

だけど急がされることを嫌がることは、人間の本性の一つだ。

エンデは、無駄な時間をなくすことにどれだけの価値があるのか、と繰り返し問い続ける。エンデは、この物語を書くのに6年の歳月をかけた。ゆっくり、夢中になって書き上げたのだろう。

 

エンデは、あとがきでこう書いている。

「過去に起こったことのように話したが、将来起こることとしてお話ししてもよかった」 

いまの時代、モモが再び読まれ始めている理由も、ここにあるかもしれない。

『モモ』を読み解く文化放送『日曜はがんばらない』は、24日6:20~放送予定。