天と地と羽生結弦と | 村上信夫 オフィシャルブログ ことばの種まき

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元NHKエグゼクティブアナウンサー、村上信夫のオフィシャルブログです。

羽生結弦が選んだ曲は「天と地と」だった。

1969年のNHK大河ドラマのテーマ曲。

富田勲さんが、琵琶の音や馬の鳴き声などを取り入れ、

冬の越後をイメージして作曲した。

50年も前の曲を、1994年生まれの羽生が知る由もない。

だが、羽生は意識的に、全日本選手権フリーの演技に、

この曲を選んだ。

ボクも、最初、聞き覚えのある音楽だなと思っていたら、

はたしてNHK大河のテーマ曲そのものだった。

 

羽生にとって、今年2月の4大陸選手権(ソウル)以来、およそ10カ月ぶりとなる公式戦のリンク。新型コロナウイルスの感染拡大が収まらない中での出場に胸中は複雑だった。

「コロナ禍という暗い世の中での、自分自身がつかみとりたい光に対して手を伸ばしくて、葛藤の末、出場を決めた」

拠点のカナダに渡ることはできずに国内での調整を強いられた。

身近にコーチがいないので、1人で考え込むことも多かった。

「1人だけ取り残されたようで、どん底の暗闇の底に落ちていくような感覚の時期があった。もう1人でやるの嫌だ、疲れたな、もうやめようと思った」こともあったという。

 

去年、GPファイナルで、アメリカのチェンに敗れ、全日本選手権でも後輩の宇野に初めて屈した。そして思いもよらぬコロナ禍であらゆるものが分断された。

そんな時に琴線に触れたのが戦国時代の武将、上杉謙信の考えだったという。犠牲と葛藤、闘いの美学。天才型の武将にも葛藤があり、最後は出家して悟りの境地を開いたストーリーに共感を感じた。

奇しくも、全日本選手権の会場は、上杉謙信と武田信玄の激闘で知られる川中島の戦いがあった場所からもそう遠くない距離にあった。

これまでも幾度となく、逆境を乗り越えてきた王者は、探し求めた闘う理由と意義に答えを出して暗闇から抜けだし、5年ぶりに、王座を奪回した。

優勝後のインタビューで、羽生はこう語った。
「震災を経験した僕にとって、自分の好きなスケートをさせてもらって、競技の場を設けてもらって、最後まで戦い抜かせていただいて、申し訳ないというか、罪悪感もちょっとある。ただ、少しでも自分の演技が、その時だけでも、僕の演技が終わって1秒だけでもいいので、生きる活力になったらいいなと思う」

滑走を終えた羽生は、勝負を超越した軍神が乗り移ったかのような

表情をしていた。その姿が、閉塞感を打破してくれた。1秒どころか、長持ちする活力をもらった人が多かったはずだ。