斎藤孝さんは、今年還暦を迎える。
人生の終幕をどう迎えるか、考える年齢だ。
45歳で大病した斎藤さんは、その後を「余生」ととらえている。
博識の斎藤さんの引き出しに入っている古今東西の賢人たちの
死生観を紹介する本は、読み応えがあった。
死生観とは、生と死に対する個人の考え方。
生の意味を問い続けて死の不安に打ち克つこと。
死生観を培うのに必要なのは、「吟味」「工夫」「鍛錬」。
よく吟味し、よく工夫し、反復強化し鍛錬する。
〈賢人たちのことば〉
●「生は死の仲間であって、死は生の始まりだ」(荘子)
●「生物は遺伝子を残すための乗り物に過ぎない」(生物学者・リーチャード・ドーキンス)
●「命を守ることに執着しない方が危険に遭うことは少ない」(老子)
●「あらゆる生命の目標は死である」(フロイト)
●「すべての世代は、次の世代の到来を可能にするため死なねばならない」(神話学者・ジョーゼフ・キャンベル)
●「いつかは死ぬではなく、いつでも死ぬ」(樹木希林)
●「白露や 死んでゆく日も 帯締めて」(三橋慶女)
●「老いて学べば 死して朽ちず」(佐藤一斎)
斎藤さんは、10代の頃から死生観マニアだったそうだ。
高度な精神性をもった人たちから命の意味を学び、
感謝の気持ちを込めて恥ずかしくない生き方をしていきたいと思っていた。真剣に生きるためには、しっかりと死を見つめておく必要がある。自分の死生観を鍛えておきたい。
そして、普通なら平静でいられないような状況に追い込まれても、
平静さを保っていられる人間になりたかった。
(コロナ禍のいま、いちばん大切な処世訓だと思う)
仕事で追い詰められても、そうは見えない人間でいるのが理想。
何があっても頷きながら、身体をほぐして生きていたい。
煙のように軽くなり、上機嫌で朗らかに笑い、すっと亡くなるというのが、斎藤さんの理想の死に方だ。
見た目のアンチエイジングより魂のアンチエイジングが大事。
魂が若返り続けていく中で死んでいくのを目指している。
死を意識出来るのは、人間だからこそ。天から与えられた恩恵。
日頃、死生観を持っている人は、冷静な判断が出来る。
ピンチがあってこそ、死生観は鍛えられる。
いまの稀な状況を、災難としてだけでなく、自らの死生観を養う
いい機会にしたらいいと、斎藤さんは提案する。
今を生き抜くキーワードは、「泰然自若」。