村上家に所蔵されていた文書。
今回、ボクも初めて見るものばかりだった。
中でも、従軍先の父に宛てた軍事郵便の束に驚いた。
きょうも、NHKファミリーヒストリー風にまとめてみた。
学徒出陣した息子・久夫に宛てた葉書の束が見つかった。
いずれも、東京・福生にある立川陸軍航空整備部隊森岡隊に
所属する久夫に宛てて、家族が出したものだ。
いちばん多いのは、母のきく。
祖父の秀二や、、妹いく子のものも含まれていた。
昭和20年1月26日の消印がある母・きくの葉書には、
母の愛情が満ち溢れている。
「昨夜は、あんたが帰りましたと言って、元気よくいつものような姿で
家に帰ってきた夢を見ました」という書き出しで始まっている。
遠く離れた地にいる息子を案じている様子が痛いほど伝わってくる。
「きっと久夫からの便りがあるぞと、皆で待っておりましたら、違わず
張り切って訓練を受けている由、お葉書が参りました」と、息子からの便りを心待ちにしていたことを伝えている。
「今が寒さの真最中です。こちらも毎日雪が降っております。でも、皆は元気一杯それぞれ精出しておりますから、ご安心ください」と留守宅を案じないよう気配りしている。
そして「立派に奉公してくれますよう念願しています。憎らしい敵機の来襲、何とかして一日も早く勝ち抜かねばなりません」と軍人の母らしい毅然とした文章で締めくくられている。
女手ひとつで2人の子を育てた祖母のきくは、孫のボクにも毅然と接した人だった。ボクにもよく葉書をくれたが、叱責されることが多かった。
88歳で亡くなる直前に来た葉書には「インタビューの時の相槌の打ち方がなっていない」とたしなめるものだった。
(父の履歴書 大学に復学し卒業を控え、
就職のために書いたものか)
(黒井幼稚園 昭和6年卒園)
(黒井尋常高等小学校 昭和12年卒業)
(尋常小学校1年生の通信簿)
(柏原中学校 昭和17年卒業)
(同志社大学 昭和21年9月卒業)