駄目は必要なこと~京都ことば磨き塾 | 村上信夫 オフィシャルブログ ことばの種まき

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元NHKエグゼクティブアナウンサー、村上信夫のオフィシャルブログです。

京都ことば磨き塾(25日)は、猛暑の影響か、

参加者が8人にとどまった。

そのぶん、ゆっくり時間をかけて、

塾長へのインタビューにトライしてもらった。

テーマは、前回に引き続き、「面白いこと」。

 

塾長が面白がっていることを引き出してもらいたいのだが、

なかなか扉を開けてもらえない。

ついつい自分のことを語ってしまう。

ついつい思い込みから抜け出せなくなってしまう。

ついつい一つに絞り込めなくなってしまう。

この「ついつい」が積もり重なると、

なかなか聞き役に徹することが難しい。

 

今期の塾生の中に、全盲の高橋和人さんがいる。

彼は、熱心なラジオリスナーで、

毎日のように投稿してくれていた。

とにかく明るいので、塾のムードメーカーだ。

人の話をよく聞いているので、的確な感想を言ってくれる。

インタビューがうまくいかなかったと思い込んで、

「私って駄目ですね」と

いささかしょげている女性に、彼がズバリこう言い放った。

高橋さんは、囲碁を趣味にしているのだが、

囲碁用語に「駄目」というのがある。

「駄目というのは、駄目じゃないんです。碁石が生きられる場所として存在するもので、駄目が多いほどいいんです」

 

ボクも囲碁に詳しくないので、

蛇足になるが、「駄」は、役に立たないことを示す字だ。

だからと言って、「駄目」も「役にたたない目」かと思うと、

単純にそうともいえないようだ。

囲碁は324あるマス目の数の多い少ないを争うゲームだ。

打っても意味のない目を作らないように、

目を無駄にしないようにするゲームだ。

「駄目」は、勝負のかけひき上、必要な存在なのだ。

相手が打ってもしかたない「駄目」を効果的に作れば、

それは「自分が生きる目」ということだ。

有意義な無駄とでもいおうか。

最初から「駄目」と諦めたら、

「駄目」が「駄目」と言おうもの。