誰の人生にも「わけあり」だ。
わけのない人などいない。
しかし、この人の「わけ」は半端ではない。
両親の介護に加え、自らはパーキンソン病を患っている。
中日新聞記者の三浦耕喜さんは、
かつて政治部の官邸キャップや、ドイツのベルリン特派員をつとめ、
最前線で活躍してきた。
だが、6年前、うつ病を発症。
療養を経て、職場復帰を果たし、生活部に移った。
その頃から、両親の介護がのしかかる。
さらに追い打ちをかけるように、
三浦さん自身がパーキンソン病と診断された。
記事を書くときも、以前の3倍の時間がかかる。
キーボードを指1本でこつこつ打っていく。
滑舌も悪くなり、電話取材も、相手にことばが伝わりにくい。
三浦さんの母は、認知症が進行し、息子の名前が思い出せない。
三浦さんの記事が胸を打つ。
母はいろんな喜怒哀楽を込め、
数千回、数万回、私の名前を呼んだのだろう。
そのかなりに対し、私はぞんざいに応じたのだろう。
でも、今なら分かる。
名前を呼ばれるということ。
そのかなりに対し、私はぞんざいに応じたのだろう。
でも、今なら分かる。
名前を呼ばれるということ。
その一つ一つが、いかに奇跡に満ちていたのかを。
母はいつも私の名を呼んでいた。
母は忘れても大丈夫だ。私は、ちゃんと覚えていますから。
ボクは、母に、ぞんざいなことば使いをしてしまっていた。
晩年、しきりに「痛い痛い」を繰り返す母に、うんざりして、
「痛いのは生きてる証拠」と口走ってしまった。
「痛いね」と寄り添えばよかったのだが、後悔先にたたずだ。
「痛い」「辛い」「しんどい」「さみしい」・・・
マイナスことばばかり口にする母にマイナスことばを返していた
親不孝な息子が、
罪滅ぼしに「嬉しいことばの種まき」をしているのかもしれない。
その点、「わけ」を抱えながら、
両親に優しいことばをかける三浦さんには頭が下がる。
「耕喜」~喜びを耕す~なんて素適な名前をつけてもらったんだろう。
その名の通りの生き方をしている。
三浦さんはこうも書いている。
「ハンディを持っているからこそ、気づいたり、感じたり、共感したりっていうことが、きっとある。実際ありました。
『わけあり』こそ、人を動かす力になる、人を励ます力になるということを、自分自身の『わけ』を通じて証明していきたい。」
4月15日の「おはよう日本」の放送をたまたま拝見。
共感したので紹介した。