マチ工場のオンナ | 村上信夫 オフィシャルブログ ことばの種まき

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元NHKエグゼクティブアナウンサー、村上信夫のオフィシャルブログです。

(諏訪さんと対談したとき 2013.3 @撮影・鶴崎燃)

 

NHKドラマ『マチ工場のオンナ』(金曜22:00~)が面白い。

諏訪貴子さんのエッセイ『町工場の娘』をもとに制作されている。

舞台は、大田区蒲田から名古屋に設定されているが、

内容は、かなり真実に近い。

内山理名さんの「青天の霹靂社長」ぶりがいい。

諏訪さんとは、4年前に対談しているから親近感もあり、

毎週、熱心に見て、笑ったり泣いたりしている。 

 

諏訪さんは幼い頃から、父の会社の跡取りとして育てられてきた。

跡取りとなるはずだった兄が白血病を患って6歳でこの世を去り、

その2年後の昭和46(1971)年に、貴子さんが生まれた。

ずっと「兄の生まれ変わり」と言われ続けてきた。

兄と顔が似ていて、誕生日も一週間違いだった。

中学生の頃、兄の分骨していた骨を納骨しに行ったとき、

父が骨壷にすがって号泣したことがあった。

「父の涙を見たのは最初で最後だったけど、その姿を見たときから兄の代わりとして生きていかなくてはならない」と思うようになった。
幼い頃から取引先に連れていかれた。駐車場が遊び場だった。

父の用事がすむまで、取引先の駐車場で遊んで待っていた。

大学も「工学部に行きなさい」という父の言葉に従った。


大手自動車部品メーカーのエンジニアを経て、結婚。

妻として、一人息子の母として、家庭を支えていたところ、

父に請われて「ダイヤ精機」に2度入ったが、2度ともやめさせられた。「会社がよくなる方法を見つけてくれと父に言われたので、

リストラ案を出したら二度ともクビになりました」と笑って話す。

父が亡くなる二か月前に、また手伝ってほしいと言われたが、断った。夫のアメリカ転勤も決まっていたので、帰国してから考えるつもりだった。だが、父が急逝して事態は大きく変わった。


最後、父は、リンパが腫れて声が出なくなっていた。

普通は感傷的な場面となるはずなのに、

父にかけた言葉は必要に迫られて「実印はどこにあるの?」。

父との最期の会話は、金庫の暗証番号を尋ねることだった。

父が紙に書いた番号を見たとき、貴子さんは、思わず泣いた。

万一のときに思いつけるよう、家族に関係のある番号だった。

数字から、父の思いが伝わってきた。
「父は、強いまなざしでじっと私の顔を見つめながら息を引き取ったんですが、その目に圧倒されて思わず、『会社は大丈夫だから』と言っていました。言葉はなくても、そのとき『頼むぞ』と言われた気がしたんです」。いまわの際に、言葉にはならない目と目の会話をした。

亡くなった父の顔は笑顔だった。「短くても悔いのない人生を送ったんだなと思え、私も自分の人生を閉じるときは『ああ、おもしろかった』と言える生き方をしようと思うようになりました」

 

貴子さんは、社長に就任して半年後くらいに趣味でバレエを始めた。

これも父が引き合わせてくれたようなものだ。

ストレスがたまって、父とよく行った喫茶店に出かけてみたら、そこがバレエ教室に変わっていた。直感でやってみようと思った。
バレエと出会って、社長という肩書き抜きの世界を見つけ、作業着姿とトウシューズ姿の切り替えも楽しく、とてもいい感じなんだそうだ。

バレエシーンは、ドラマに出てくるのだろうか・・・。

今夜も楽しみに見よっと。

 

(諏訪さんの原作)

 

(ボクの本にも、諏訪さんとの対談が掲載されている)