気象キャスターの先駆け的存在、倉嶋厚さんが亡くなられた。
享年93。
倉嶋さんには、どれだけお世話になったことか。
倉嶋さんのエッセイ『風のたより お茶の間歳時記』は、
新人アナウンサー時代のバイブルだった。
当時、おぼつかないボクにFMの1時間のDJを任されたのだが、
テーマ曲に乗せての冒頭の挨拶ネタが見つからない。
そんなとき、倉嶋さんの豊かな知識に基づいた文章を、
よく「借用」したものだ。
そのことは、後年、「おはよう日本」でご一緒したとき、
後付けでおことわりした。
好々爺のような倉嶋さんは、役に立ったことを喜んでくださった。
1924年の生まれ。
1984年、気象庁を定年退職後、NHKに招聘され、
『ニュースセンター9時』などの気象コーナーを担当。
それまでの「お堅い」気象情報が、一気に柔らかく身近になった。
『おはよう日本』の“倉嶋厚の季節の旅人”では、全国を訪ね歩き、
気さくな人柄そのままのリポートをした。
この時、スタジオでご一緒したのだ。
その後、妻の死を切っ掛けにうつ病を発症し、
自殺まで考えたが、お手伝いさんの助けで入院治療し快復。
自らのうつ病体験を綴った『やまない雨はない』を執筆し出版した。
「やまない雨なない」ということばは、うつに限らず、
悩める多くの人にとって、励ましのことばだ。