宇和島で種まき | 村上信夫 オフィシャルブログ ことばの種まき

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元NHKエグゼクティブアナウンサー、村上信夫のオフィシャルブログです。

愛媛県には、何度か足を運んでいるが、宇和島は初めて。

伊達十万石の城下町だ。

伊達政宗の長男、秀宗が入城して以来400年。

古色蒼然たる城は、当時のまま、いまに残る。

全国に12ある現存天守閣のうちの一つだ。

苔むした石垣を見ながら登っていくと、途中で武士が姿を現しそうだ。

400を超える珍しい植物も残っている。

今回の愛媛滞在中、ほとんど雨にあうことはなかったのだが、

登城中だけ、雨に見舞われ、天守まで行くのは断念した。

 

(石垣に寄り添うようにして咲く紫陽花)

(天守へ登る道)

(ホテルの部屋から天守を望む)

 

伊達家ゆかりの大名庭園「天赦園」にも行った。

七代藩主、伊達宗紀(むねただ)(春山)が隠居の場所として

建造した庭園。名の由来は、伊達政宗が隠居後詠んだ
馬上に少年過ぎ 世は平にして白髪多し
残躯は天の赦す所 楽しまずして是を如何せん

という漢詩から採ったものだ。

園内には多くの藤棚がある。

伊達家の先祖が藤原鎌足ということから、藤は珍重された。

また、伊達家の家紋「竹に雀」にちなみ、

さまざまな珍しい種類の竹が池を巡るように植栽されている。

(天赦園の藤棚太鼓橋)

 

和霊神社にも参拝してきた。

漁業を中心に広く産業の神として、

中四国で崇められている和霊信仰。その総本山といえる神社。

祭神である山家清兵衛(やんべせえべえ)は、米沢の生まれ。

伊達秀宗のもとで、産業の拡充、民政の安定に手腕を発揮したが、

元和6年(1620)凶刃に倒れた。

その後、事件に関与した者が相次いで海難や落雷で変死したため、人々は清兵衛の怨霊だと恐れ、その霊を祀った。

 

(和霊神社)

(これから逆立ちでもしようとする!?狛犬)

 

宇和島といえば、じゃこ天が名物だが、

ボクは、蕎麦屋を探した。

宇和島駅前にある「まえの」。

うまかった。田舎ともりの2枚で量もけっこうあるのに、1200円。

出し巻も、1人前だと量が多いからと、卵2個分にしてくれ400円。

蕎麦もさることながら、山葵が絶品だった。

ご主人のお母さんが、大きな山葵をせっせせっせとおろしていた。

「山葵職人ですね」というと、お母さんは恥ずかしそうにしていたが、

喉越しのいい山葵だった。

 

(宇和島で見つけた蕎麦屋「まえの」)

(これは、出し巻)

(これは、もりそば)

(これは、田舎そば)

 

宇和島に行った目的は、

内外情勢調査会宇和島支部の講演会(28日)。

宇和島市役所、愛南町や鬼北町の学校教育関係者、伊予銀行や四国電力の人たちを前に、種まきしてきた。

鬼北町教育長の筒井亀さんからは、嬉しいメールをいただいた。

「熱い思いを持たれて行動される村上様に負けないように
今、自分にできることを、亀のごとく進めたいと思いました。

エレベーターの中で、見知らぬ人に「おはようございます」となかなか言えませんが、ぜひ挑戦してみようと思います。

者の責任ではなく、伝えて来なかった我々の問題だ!

その通りですね。

私たちが「ありがとうございました。」と言って、下車する姿が普通になったら、若者も真似してくれると思います。

「パチパチのほし」の絵本や「ひらがなの生き方」など

多くの方に紹介したく思いました。

「伝える」「伝わる」・・・言葉の重みを感じました。

「ことば」を大切にされる様々な取組みは、

次の世代への大きなプレゼントになると思います。

子どもたちや保護者の皆様にも、

お話いただければいいなと思いました」。

またご縁が繋がるといいな。

 

(撮影・筒井亀さん)