(世阿弥とされる木像)
齋藤孝さんの本を読むのは何十冊目だろうか。
どの本も、ためになる、知識が増える、面白い。
今回は、新刊『型破りの発想力』
学校では教えてくれない、
新しい価値を生むための方法が書いてある。
日本人のクリエイティブ能力は、想像以上に高い。
日本の芸術や文化を見渡せば、
さまざまな新しい価値を生み出してきた。 そうした伝統文化を「型通り」とも言うが、 「型」があってこそ「型破り」もできる。
それこそが、日本の創造力の源泉なのだ。 この本では、歴史上の人物5人を取り上げ、 彼らの発想力・創造力を紹介する。
能を大成した世阿弥、 武道を究めた宮本武蔵、
俳句を創始した松尾芭蕉、
わび茶を完成させた千利休、
江戸時代を代表する浮世絵師の葛飾北斎。
まずは、世阿弥。 「人の心に思ひも寄らぬ感を催す手立、これ花なり」 花とは、人の心に意外性を感じさせる手段だと言っている。 「秘せずば花なるべからずとなり」 わかられてしまったら面白くないということだ。
齋藤さんの本にも、「離見の見」が出てきた。 演じている自分の姿を客席から見る眼。 客観視する物差しを持つことが大事と説いた。 その上で、 「衆人愛敬を以て、一座建立の寿福とせり」 すべての人に愛され、気持ちよくすることを 一座の幸福とせよと諭す。 芸能は、衆人の心を和らげ、満足させるものでなければならないということなのだ。 ただ、「めづらしきばかりをすれば、めづらしきからず」。珍しいことばかりしていては、珍しくなくなるので、古いものに新しいものを交ぜると、両方が珍しいものになると教えている。 世阿弥は、時に応じ、相手に応じ、変わり続けることをよしとした。
「初心忘るべからず」は、学び始めた頃の謙虚な気持ちを忘れてはならないという意味に受け取られがちだが、 「初心者の未熟を自覚せよ」という自己満足に対する戒めなのだ。 一流の人は、自分のやっていることに終わりはなく、 どこまでも奥行きがあると考えている。 人は、ともすれば過去の栄光に固執してしまいがちだ。固定観念を持ちがちだ。 だが、世阿弥は、常に観客の目を意識し、自分の芸を、その時々の要求に合わせて変えていかねばならないと思っていた。変化を恐れなかった。だから型を破ることが出来たのだ。
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