大正時代の童謡詩人・金子みすゞが蘇ったのは昭和57(1982)年。
今年で35年になる。ボクがNHK山口放送局に赴任した年だ。
当時、無名だったみすゞも、いまや知らぬ人はいない存在になった。
JULA出版局の英断で、みすゞ再発見の2年後、昭和59(1984)年には、『金子みすゞ全集』が刊行されたことで、一気に広がりを見せた。
その『金子みすゞ全集』を、いち早く手に入れ読んだ妊婦がいた。
翔子さんを妊娠中の金澤泰子さんだ。
つまり、のちの書家・翔子さんは
母が声を出して読むみすゞの詩を、胎教で聞いていたのだ。
そして翔子さんは、中学1年生の頃、
誰に言われたわけでもないのに、みすゞの詩を書写しはじめた。
翔子さんの成長の傍らには、いつもみすゞの詩があった。
4年ほど前から、翔子さんは、みすゞの詩を揮毫しはじめた。
時代も、表現のしかたも全く違うふたり。
だが、その作品が出会ったとき、
ふたりの魂がみごとに呼応しあうことに驚かされる。
ふたりに共通する「無償の愛」と「屈託なき心」。
それが、奥深いところで響き合い、
翔子さんの筆先から、みすゞの想いがほとばしり出るのであろう。
金子みすゞ・金澤翔子展は、明後日8日(月)まで、
日本橋三越本店の本館7階ギャラリーで開かれている。