忖度(下) | 村上信夫 オフィシャルブログ ことばの種まき

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元NHKエグゼクティブアナウンサー、村上信夫のオフィシャルブログです。

今朝の朝日新聞でも「忖度」が大きく取り上げられていた。

この中で、「忖度文化は、社会が同一の価値観で動いていた時代には、

効率的に働いたシステム」という大学教授の分析があった。なるほど。

さらに別の大学教授は、

「言い切らないで相手に推量させる。あえて、ことばにしなくても、

 価値観を共有しあっていることを示す」と説明している。

さて、きょう紹介したい「忖度」のおはなしも、その説明に近い。

 

大阪市の中心部、中之島。堂島川と土佐堀川に挟まれた中州。

緑豊かなこの場所は、

周辺のビジネス街に勤める人たちの憩いの場になっている。

その一角に、大阪市立東洋陶磁美術館がある。
収蔵品は、朝鮮半島や中国の陶磁を中心に、国宝2件、重要文化財13点など、4000点の陶磁器がある。

収蔵品の多くは、安宅英一という大変な目利きが集めた「安宅コレクション」が

中心である。東洋陶磁では、日本一のコレクションである。

大阪市立東洋陶磁美術館名誉館長の伊藤郁太郎さんは、85歳。

伊藤さんは、安宅英一の側近として、手となり足となり、

コレクションの収集に当たった人だ。

朝鮮陶磁の普及に貢献したということで韓国政府から文化勲章を授与され、

東洋陶磁の研究により文化庁長官表彰も受けている。

 

伊藤さんは、東北大学で美学・美術史を学び、恩師の紹介で安宅産業に入った。なれないデスクワークに勤しんでいたら、

入社一ヶ月ほどして、安宅さんの秘書からメモを渡された。

『展覧会を見てきなさい』というものだった。
その時の展覧会は、今も忘れられない衝撃的なものになった。

中国・宋時代の陶磁器の名品との最初の出会いだった。
それからというもの、秘書からの伝言で、あれを見ろ、これを見ろと指示が来た。古美術商を訪問する同行も命じられた。

本来業務をこなした上で、アフター5のことだった。
安宅会長が趣味人で、

美術品の収集に興味を持っているということは知っていたが、

骨董修行の訓練なのか、ただ見るだけなのかが皆目わからない。

こういう所がよいとか、見所の説明とか、一切の解説や説明もない。
そのうちに、家に呼ばれ、幾つかの作品を見せられ、

『いいと思った順に並べなさい』と言われた。

これは、テストだと思い、緊張して、おずおずと並べ替えると、

『ふっふっ』と微笑んで、『まだ、無理ですかね』と言う。

答えは教えてくれない。

 

すごいものは、忘れられない。好きになるものだ。

展覧会に行って、100点の作品が展示されていたら、

100点を全て見なければならないと思う人がいる。そんなことはない。

自分の心に引っかかった作品を見つけ、それをじっくり見るだけでいい。

見ていると、その作品と対話できるようになる。

好きな物であれば、言葉を尽くさなくても心を通わすことが出来る。
無言のうちに推し量る、感じ取る・・・

「忖度する」ということを安宅さんから教えられた。

伊藤さんは、「いまはおかゆ文化になってしまった」と嘆く。

何でも噛み砕いて教え過ぎる。

何でも理詰めで考え過ぎる。

「わからない」と言えることはすごいことなのだ。
結局、骨董修行とは、自分の感性を磨き、自分でつかむものなのだ。

「安宅さんは、私を追い込んで、自らの道を探らせようとしていたのだろう」と

伊藤さんは振り返る。

『何でも、一流のものを見聞きしなさい』と、

コンサートやオペラ鑑賞、能や歌舞伎、バレエ鑑賞などに連れていってくれた。

芸術家や趣味人との骨董談義にも加えてもらい、

そうしたことの全てが、美術品を見る肥やしになった。

 

そして、安宅さんに命じられるまま、古美術品の買い付けに駆け回った。

韓国や中国に何度も赴いた。

大金を抱えながら、美術商と互いに一世一代のやりとり。

修羅場を幾度も潜り抜けた。

安宅産業が経営破綻した後、

そのコレクションが散逸することを惜しむ声が各方面から上がり、

東洋陶磁美術館がオープンしたのだ。
会社の崩壊と共に、伊藤さんもサラリーマン生活に終止符を打ったが、

館長に就任した。50歳の時だった。
「毎日、作品に囲まれていると、

いつも、安宅さんに『しっかりしろ』と言われているような気がして、

上司が安宅さんから美術品に代わっただけ」と笑う。

安宅さんが収集に及んだのは、個人的に美術品が好きだっただけでなく、

「社員が美術や文化に触れることで、社員の教養を高め、

精神的にも豊かな生活をして欲しいという気持ちがあったようだ」。

その恩恵に、最も浴したのが伊藤さんだったかもしれない。

伊藤さん自身も自らを「世界で一番幸福なサラリーマンだった」と思っている。

そのことも、自分なりに「忖度」したのだった。

(ラジオビタミンに出演時 伊藤郁太郎さんと)

 

(東洋陶磁美術館)