長崎原爆の日。
1945年8月9日午前11時2分。
一瞬にして7万人を超える人の命が奪われた。
多くの人の「あたりまえの暮らし」が奪われた。
広島から3日後、終戦まであと6日のことであった。
当時、長崎医大の放射線医学の専門家であった永井隆助教授は、
病院内で被爆した。
浦上天主堂近くの自宅にいた妻は、即死した。
体調が思わしくない中、
永井は、救護活動にあたりながら、放射能調査も続けた。
爆風で大けがもしていた。白血病も進み、病床に臥すことが多くなった。
長崎の真実を書き残すべく、17冊の著作を病床で書いた。
カトリック信者でもあった永井には、人生の指針としたことばがあった。
それは「如己愛人」~己の如く、隣人を愛せよ。
家族内の平穏、地域社会の平穏といった身近なことを意識していけば、
その延長に、世界平和がある。