大桃美代子さんは、若年性の白内障と緑内障を同時に患った。
少し早く、年齢を重ねた自分が想像出来るようになり、
ふだんの生活を見直せたとポジティブに受け止めている。
3年前の2月に、白内障と正常眼圧緑内障と診断された。
その後、右目の白内障が急速に進行し、
濁った水晶体取り出し、人口レンズを入れる手術を受けた。
目の曇りは心の曇りと思った。
目を閉じて、心を見るようにした。
新しい目で見たいのは、争いでなく笑顔。
他人を責めず、自分の曇りを晴らすのが先と思った。
2004年10月23日、
たまたま実家に足を踏み入れた瞬間、中越地震が起きた。
地震が人生を変えたと言ってもいい。
地域の繋がりが強くならないと復興は出来ないと、農業を始めた。
震災を風化させたくないから、
被災地からの発信をするための農業であった。
町おこしではなく、町のこし。
農業が、仕事に対するスタンスも変えた。
仕事をこなすだけではなくなった。あせらなくなった。
幼いころから、自分のやりたいことだけをやってきた。
父から、勘当だ、戸籍を抜く、墓に入れないと言われても
己を突き通した。
せっかく勤めた銀行を辞めて、芸能界に足を踏み入れた。
そして、いつも「利己」のため生きてきた。
地震が、目の病気が、「利他」に生きることを教えてくれた。
二度と戻るまいと思って出た故郷・新潟にも、
農業や地元テレビ局の仕事で頻繁に戻っている。
対立していた父との会話も増えた。
久しぶりに会った大桃さんは、力みが消えて、柔和な表情をしていた。
清流5月号の対談をお楽しみに。