大阪のことば磨き塾は、増殖中。
エントリーが40人を超え、
昨夜の参加者だけで30人は超えていた。
嬉しい悲鳴。
ことばのエネルギーがほとばしっていた。
みんな、ことばに対する危機感を持ちあわせ、
ゆえに、ことばを大事にしたいという想いは共通している。
だが、気軽に使えるはずの「ことば」なのに、気軽に使うのは難しい。
難しくていいのだ。
ことばはぞんざいに扱わないでほしい。
ないがしろにしないでほしい。
丁寧にラッピングして、優しく包み込んで、相手に渡してほしい。
ゆっくり熟成させて、発酵させて使ってほしい。
人の「ことば使い」を意識して聴ける場が、そんなにない。
ことば磨き塾は、それが出来る貴重な場なのだ。
インタビュー。
まさにインターをビューすること。
新人時代、先輩に言われたことを、いまだに金科玉条にしている。
人の心の内を詳らかにする。
人の心の引き出しを開ける。
聞き手、答え手、そのやりとりを聴く人の思いが、
ジグソーパズルのピースが合わさるように、
ぴったり符合したときほど、気持ちいいことはない。
新人のムラカミアナウンサーは、
質問することばかり考えていた。
相手の答えを上の空で聞いていた。
あるとき、とめどなく弾みながら面白くて深い話をするゲストに出会った。
質問することを忘れていた。
ただ聴き入っていた。
これでいいのだと気づかされた。
練りに練った質問など、自己満足にすぎない。
水を差さず、ただひたすら「聴く」ことなのだ。
聴き手は黒子でいいのだ。
ただ、いないと困る黒子でなければならない。
相手が話しやすい「愛づち」がうてる人でなければならない。
塾生のインタビューに応じながら、
インターをビューする面白さを体感してもらいたいと、
ことばを吟味しながら、答えるようにしていた。
己を「無」にして「素」にして、「構え」を取り払った人は、
インターをビューするのがうまい。
はぐらかすわけにもいかず、真摯に答えているうに、
身ぐるみ剥がされたような気分になった。