長久手市長を突然訪ねる | 村上信夫 オフィシャルブログ ことばの種まき

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元NHKエグゼクティブアナウンサー、村上信夫のオフィシャルブログです。







にこやかにムラカミと語り合うのは、愛知県長久手市長の吉田一平さん。


名古屋時代からの付き合いだから、20年あまりになる。


だが、ここ2年あまり、ご無沙汰だった。


それにはわけがある。


吉田さんは、老若男女がともに暮らす、ともに集える場を運営していた。


その名も「ゴジカラ村」。


雑木林の中に、幼稚園、介護福祉の学校、託児所、特別養護老人ホーム、ショートステイ、デイサービスセンターなどが点在している。


経済が優先し、利益第一主義の社会では何ごとにも効率が重んじられ、


無駄は悪とされる。吉田さんは、これを「時間に追われる国」の尺度とし、


一方でゴジカラ村を「時間に追われない国」と定義して運営してきた。


ここには、


会社が終われば別世界の住人となる「五時から人間」が集っていた。


枠や慣習や制度に縛られない「自由」があった。


その吉田さんが市長選挙に出るというから反対した。


官僚組織に入ったら、自由を奪われ慣例に縛られ


吉田さんらしさが発揮出来ないと憂えたからである。

結果、2011年夏、吉田さんは出馬し、当選したのだが、


なんとなくその後、互いに連絡を取らないでいた。


昨日、名古屋で時間が出来たので、


突然、市長になった吉田さんに会いに行こうと思った。


「市長に突然の来訪は至難の技だと思いますが・・・」とメールしたら、


偶々あいていて、「積もる話がしたいから、ぜひ会いたい」と返事が来たので、


長久手市長室を表敬訪問したのだ。












市長の机の上には、何も置かれていない。


市長は、庁内にいないことが多い。


時間さえあれば、市内をくまなく歩いて回っているそうだ。




長久手は、戦国時代の天正12年(1584年)に


徳川・羽柴両軍が対決した「小牧・長久手の戦い」の舞台になった。


2005 年日本国際博覧会(愛・地球博)のメイン会場の地となった。


市の東西を貫くように


東部丘陵線(日本唯一の磁気浮上式リニアモーターカー)が走っている。


市内に4つも大学がある学術都市でもある。

長久手市は「日本一の福祉のまち」を目標に、


住民プロジェクト「絆」を展開している。


単に施設やサービスが日本一ということではなく、


そこに暮らす人たちが支え合う『絆』で結ばれた


「幸福度の高いまち」


「生きとし生けるものがつながって暮らすまち」という意味だ。


吉田市長は、


人が幸せに暮らすためには、「人に愛されること」「人に褒められること」


「人の役にたつこと」「人に必要とされること」が必要という。


誰にでも居場所と「たつせがある」まちを目指し、


誰もが主人公となり、一人ひとりの幸福度の高いまちづくりを進めている。


基本は、ゴジカラで培ってきたことが、生かされている。


市長になったからと言って、何も変わっていなかった。













ネクタイもジャケットも身につけず、


代わりに着ていたのは、「防災ジャケット」のようなもの。


背中部分に「まちづくり まずは笑顔でこんにちわ」と書かれている。


吉田さんは就任直後、役所内に笑顔と挨拶が少ないことに気づいた。


そこで、このジャケットを仕事着にした。


結果、職員の応対がよくなったそうだ。


ホスピタリティの第一歩は、笑顔と挨拶。










吉田さんの名刺は、2枚1組。


「自然も雑木林も子どももお年寄りも


 生きとし生けるものがつながって暮らす。」と書かれている。


ゴジカラ時代からのキャッチフレーズだ。


ゴジカラ村から土俵が大きくなっただけで、


分け隔てなく幸せ感が広がる環境を作ろうとする想いが同じだ。


市長になっても、なんら変わらぬ一平さんに安心した。