今年の8月は雨と共に過ぎ去ってゆく。明日から9月。シャワーの水温は下がってきており、かかりの水シャワーはそろそろ限界だ。浴室には秋の気配が漂っている。シャンプー時に掛けるシャワーの温度設定を3℃上げた。
いつもなら、家にいると近所の子供らの遊ぶ声が響いて心が癒されるのだが、昨日、今日は雨模様で、家の前の旧国道を通る車の騒音以外聞こえてこない。週明けは新学期、子供らも最後の追い込みなのかもしれない。
これまでの私は、夏が過ぎ行くことに寂しい陰を感じていたのだが、今年は秋の到来を歓迎している。
熱中症の危険性が薄らいでゆくこともあるが、その他にも今年は高温のリスクが多すぎて、それが解消されることを期待しているのだ。まず、これまであまり顕在してなかった疫病が蔓延していることだ。その殆どがアフリカを発生地とするウィルス性のものだが、ワクチンや特効薬がないものや、薬品への耐性が進み、抑制効果が得られずに蔓延化しているものなど、死に至るものも多くあり、巷は危険に満ち溢れている。
それは何も今年に限ったことではなく、毎年何かが出てくるのだが、我々は知らずに過ごしてきたと思う。ただ、知らないうちに沈静化する程度のものだったのだろう。いや、その裏で多くの人が懸命に取り組んでくれていたおかげだったのかもしれない。でも、切羽詰まった状態には感じられなかった。
だが今年は、余計なことを知ってしまったからか、恐ろしい感染症が音もなく迫ってきていると怖れている。日本は衛生状態が極めて良い国だから、なんとか広がりを抑えることが出来てきたと思う。だが、大抵の感染症は高温多湿を好む。今年は例年よりも気温湿度とも高い傾向があり、危険視されていた。だが、秋の到来で、その心配もなんとか解消されるだろう。
電車の中の悪臭も減ると思う。夕方、ポロシャツやTシャツ姿の人から放たれる汗臭さは鼻が曲りそうになるほど酷いものもある。混んだ車内では逃げることも叶わず、弱冷車は地獄と化す。地元の駅に到着してホームに降り立った時、まさに「生き返った」と思う。あの嫌な思いが間もなく消えてゆくと思うと嬉しくなる。
暑過ぎて味も判らずにただ喉越しだけで飲んでいたビールも、適温で飲めるようになり、これからが美味しくなる。菜膳も味と香りが深まり、食欲が湧く。このところ、増える体重に気を揉んでいる私とすれば、食べる量を減らす工夫が必要となるだろう。エアコンによる寝冷えが常態化していたが、それも解消だ。で、秋が早く来て欲しいと思う。
でも、夏が去ることを望んでいるという事は、暮らしの中のアクティビティが落ちているということになる。古希を迎えた今、それは老齢化の促進を意味することになり、気を引き締めなければならない。今も次々と発症する癌で苦しんでいる私には、活力の減退は死に通じることであり、体力を上げてアクティビティを落とさないようにしなければならない。
でも、気力を高めることこそ重要だ。だから、秋よ、早く来てくれ。そして、凌ぎ易い気候が一日でも長く続いて欲しい。
