今年の8月は雨と共に過ぎ去ってゆく。明日から9月。シャワーの水温は下がってきており、かかりの水シャワーはそろそろ限界だ。浴室には秋の気配が漂っている。シャンプー時に掛けるシャワーの温度設定を3℃上げた。

 

いつもなら、家にいると近所の子供らの遊ぶ声が響いて心が癒されるのだが、昨日、今日は雨模様で、家の前の旧国道を通る車の騒音以外聞こえてこない。週明けは新学期、子供らも最後の追い込みなのかもしれない。

 

これまでの私は、夏が過ぎ行くことに寂しい陰を感じていたのだが、今年は秋の到来を歓迎している。

 

熱中症の危険性が薄らいでゆくこともあるが、その他にも今年は高温のリスクが多すぎて、それが解消されることを期待しているのだ。まず、これまであまり顕在してなかった疫病が蔓延していることだ。その殆どがアフリカを発生地とするウィルス性のものだが、ワクチンや特効薬がないものや、薬品への耐性が進み、抑制効果が得られずに蔓延化しているものなど、死に至るものも多くあり、巷は危険に満ち溢れている。

 

それは何も今年に限ったことではなく、毎年何かが出てくるのだが、我々は知らずに過ごしてきたと思う。ただ、知らないうちに沈静化する程度のものだったのだろう。いや、その裏で多くの人が懸命に取り組んでくれていたおかげだったのかもしれない。でも、切羽詰まった状態には感じられなかった。

 

だが今年は、余計なことを知ってしまったからか、恐ろしい感染症が音もなく迫ってきていると怖れている。日本は衛生状態が極めて良い国だから、なんとか広がりを抑えることが出来てきたと思う。だが、大抵の感染症は高温多湿を好む。今年は例年よりも気温湿度とも高い傾向があり、危険視されていた。だが、秋の到来で、その心配もなんとか解消されるだろう。

 

電車の中の悪臭も減ると思う。夕方、ポロシャツやTシャツ姿の人から放たれる汗臭さは鼻が曲りそうになるほど酷いものもある。混んだ車内では逃げることも叶わず、弱冷車は地獄と化す。地元の駅に到着してホームに降り立った時、まさに「生き返った」と思う。あの嫌な思いが間もなく消えてゆくと思うと嬉しくなる。

 

暑過ぎて味も判らずにただ喉越しだけで飲んでいたビールも、適温で飲めるようになり、これからが美味しくなる。菜膳も味と香りが深まり、食欲が湧く。このところ、増える体重に気を揉んでいる私とすれば、食べる量を減らす工夫が必要となるだろう。エアコンによる寝冷えが常態化していたが、それも解消だ。で、秋が早く来て欲しいと思う。

 

でも、夏が去ることを望んでいるという事は、暮らしの中のアクティビティが落ちているということになる。古希を迎えた今、それは老齢化の促進を意味することになり、気を引き締めなければならない。今も次々と発症する癌で苦しんでいる私には、活力の減退は死に通じることであり、体力を上げてアクティビティを落とさないようにしなければならない。

 

でも、気力を高めることこそ重要だ。だから、秋よ、早く来てくれ。そして、凌ぎ易い気候が一日でも長く続いて欲しい。

日本が第二次世界大戦で負けて74年経った。戦後生まれの私は終戦時を知るはずはないが、今日が何の日であるか、どういう重みを持っているか、親たちから聞かされ、当時の新聞を調べ、様々な図書を読み、頭の中にしっかりと刻まれている。静かに黙祷し、そして、背筋を伸ばして姿勢を正す日だ。多くの人が犠牲になった戦争という人類最大の罪をしっかり覚えておかなければならない日なのだ。

 

特に、戦局が決まっていたにもかかわらず、終戦を早めるためと称して生体実験のように二度も核爆弾を落とした米国と、終戦まぎわになって一方的に不可侵条約を破棄して火事場泥棒然と侵略してきたソ連(ロシア)の大罪は許すべきでないと思っている。自国さえよければ、というのが戦争の姿勢だが、すべての国がそういうエゴを露骨にした結果であった。負けた国も、勝った国も、罪を正当化することは許されない。

 

さらに、核保有国のエゴを前提とした不公平体制を認めてはいけない。現在の核保有国は言うまでもなく、非人道的な軍事大国である。大国は核保有の既得権を主張し、新規保有国を認めない。不公平だ。じゃあ、新規保有を認めるのか。いや、そうではない。新規保有を認めず、既保有国もその核を廃棄するべきだろう。ところが、核大国は、「抑止力」を隠れ蓑に、水面下でせっせと核を増産している。一時的に減少していた核も今は以前にもまして増えている。ふざけるな、と言いたい。

 

我々日本人は、唯一の被爆国の者として、今日8月15日を平和記念日とし、戦争の愚かさを改めて学び、非侵略の姿勢の大切さを叫び、地上から核兵器を廃絶するための決意の日としなければならない。歴史を学ばなければならないのは日本のみならず、中ロ米英印以と南北朝鮮などは自らの本当の歴史を知るべきだろう。

 

さて、そんな8月15日であるが、今年は様相を一変した。8月特有の「雨台風」がゆっくりとした速度で日本を襲ったのだ。勢力範囲の広い大型の台風がゆっくり進むのである。その影響時間は実に長い。おかげで、夏期休暇の民族大移動に異変が生じた。交通機関や道路は大混乱だ。多くの利用者が苦難を受けている。

 

雨は、降り続く時間がすごく長いために記録的な降水量となっている。山や平地にしみこんだ水は莫大な量だ。それらが姿を現し、集まる。土砂崩れや河川の氾濫による被害はこれからが本番だ。物は失っても何とかなるが、生命は、身体は、かけがえのないものだ。危険だと感じたら、とにかく避難をして欲しい。そして、安全が確認されるまで、決して自宅へ戻ったりしないで欲しい。

 

戦争でなくす命も、災害でなくす命も、その重さ、尊さは同じである。

今年最初の上陸台風も低気圧となって北東海上に去り、わが街泉州は台風一過の蒸し暑い昼下がりにあえいでいる。窓から見える空は一面に薄曇りのようなのだが、真上に近いあたりは青空で、強い日差しがバルコニーを熱している。しかし、風がある分、まだ凌ぎ易い。近所の立ち木にいる数匹ぐらいのセミがすごい大合唱をしている。命短きが故に早期に種を残す使命を果たしたくて精一杯鳴くのだろう。

 

梅雨も明け、うるさかった選挙も終り、夏本番を迎えた初めての日曜日の午後、我が家はいつもの夏の様子を呈している。我が愛するカミさんは、カウチで窮屈そうに横になり、録り溜めた韓ドラを観ている。中韓排除を叫んでいる私を無視して、「アイ ラブ コリア」を平然と叫ぶ。熟慮した結果の行為ではなく、ただ単に私への対抗心、当て付けに過ぎないのだと思うが、こういう不埒な女一人を押さえることも出来ない私はなんと無力な男なのだろうか。愛は時として勇気と力を与えてくれるが、逆にそれらを奪うこともある。私は後者である今を、実は喜んでいるのかもしれない。

 

それにしても、今年の夏はかなり暑くなりそうな気配だ。我が家では7月半ばからエアコンに依存して暮らしている。カミさんも私も、リビングで過ごす時はもとより、それぞれの自室で寝る時も使っている。おかげで身体が冷えてしまい、血圧が10以上上がっている。その上、冷たい飲み物を求めてしまうので、腹周りに脂肪がつき、醜い体形がさらに醜くなってきた。

 

梅雨ではわが街でもそれなりに雨が降っていた。しかし、近く出る7月の統計数値を見るまでもなく、降水量は例年に比べてかなり少ないようだ。高温下で水源の放水量が少ないと水質に影響が出る。夏は水道を供給する事業者にとって厳しい時期なのだ。特に今年は、昨年に熱波、地震、台風と災害に振り回されたツケが出てきており、例年にない試練の年かもしれない。日々の暮らしを陰で支えてくれている水道事業者に感謝である。

 

夏期の休暇を申請した。合計で10日間の予定だ。GWで11日間休んだから、10日間に対しては後ろめたさがあまり感じない。しかし、冷静になって考えれば、ちょっと異常かもしれない。自分自身の感覚がずれ始めていることに危惧を感じる。でも、休みはしっかり取るぞ。そして、カミさん孝行するつもりだ。しかし、10日間も私が家にいることをカミさんは嫌がっているようだ。どこかへ行ったらと外出を勧める。いやはや、である。

昨日7月20日、私は誕生日を迎えた。満70歳である。ついに70代となった。思えば、63歳で癌の手術を受け、以来7年、よく生きてきたなと自分のことながら感心する。それと共に、病の私を支え続けてくれているカミさんに深く感謝する。

 

これまでの人生を振り返ると、幾つかの大きな節があった。その都度、自分としては何かの展望を持っていたわけではない。ただ夢中に生きてきただけだ。それでも私は運が良いのだなと思うことが多々ある。金運にはあまり恵まれていないが、人には恵まれた。その結果、楽しい仕事に従事できた。そうするとさらに人との接点が増えた。そういう人脈、人とのつながりが私の財産となっている。

 

さらに、病との闘いで、早期発見、早期治療が出来る受け皿が出来ていた。だから、新たに癌が発見されても、その対応が素早く出来た。最初の癌での経過観察として毎月の検査が功を奏していると思う。一つの病と上手く付き合っている人はそういう受け皿を持っていることになる。実に有難いことだ。

 

昨日は娘夫婦が誕生祝にやって来てくれた。息子夫婦は幼子がまだ本復していないので、祝い品を郵送し、さらにテレビ電話で孫の様子を知らせてくれた。10日前から風邪でダウンしていたカミさんはすっかり快復していたが、娘の顔を見るとさらに明るくなった。いつものことながら、やはり女親は娘と暮らすのが最適なのかもしれない。でも、今はまだ私を見捨ててもらっては困るが・・・。

 

70歳の私を取り巻く社会は相変わらず問題を山積しているが、その抜本的な解決を後回しにしてうわべの軽楽な事案にばかり歩みを向けている。いつの世も同じだが、国民は敢えて自分の目を塞ぎ、薄氷の上にある平和と繁栄に慣れきっているのかもしれない。それでも、私が生きてきた70年間、日本は何とかやってこられた。だから、これからも大丈夫だろうとは決して言えないと思う。

 

特に経済の舵取りは、今ほど難しい時代はないと思う。今まで恩恵を享受してきたグローバル化が足を引っ張り始めている。八方美人で世界の国々と対峙し続けて来た日本が顔を向ける方向は範囲を狭める必要があると思う。特に近隣諸国には向き合う姿勢を強くしなくてはいけない。

 

今、暮らしの中に海外製品が充満している。グローバル化の結果だ。価格のみでそれらの品物を選ぶと身の安全が脅かされるということにそろそろ気付くべきだ。品質の安全性もあるが、何よりも日本以外の国の製品を買うと、その国に富を運ぶことになり、国の安全が危うくなるということだ。

 

中国、韓国など、礼儀をわきまえぬ国と仲良くできるはずがない。今は原材料の輸入が主なロシアも、油断するといつまた寝首をかかれることになるか判らない。元々ロシアの南下政策はあの民族の習性であるし、彼らには第二次世界大戦終結時の火事場泥棒という前科がある。信じてはいけない。

 

そういう意味で今の政権は、問題の本質を隠し、解決を先送りするだけにとどまらず、ツケを未来に残そうとしている。吹けば飛ぶような「好景気」で国民を騙し、日本人が暮らし易い世の中から離れていっていると言わざるを得ない。

 

インバウンドの増加がもたらす「経済効果」を当てにする産業が幾つかあり、その数字が経済指標を助けている。でも、その結果、どこへ行っても外国人ばかり目立つようになった。モラールの低い人種が闊歩する街は実に不快だ。有効求人倍率が高いというが、3K製造業、農林水産業、サービス業が押し上げているだけで、青年が本当に就きたいと思っている将来性のある堅実な仕事はまだまだ買い手市場だ。

 

そんな中で、満70歳の私が今出来る事は、今日が投票日の参院選挙に行き、これはと思う候補者に草の根の1票を投じることと、身辺に充満している外国製品、特に中国製品、韓国製品を買わないようにすることぐらいだろう。ああいう国が兵器を増やすことはさせてはならない。

2019-07-12 痛いって!

 

12日(金曜日)、通院での検査日だった。CT検査だ。診察も新たな診療科といつもの診療科の2回が入っており、長丁場になりそうだから、8時より前にいって再診受付機の前に並んだ。この日の私の受付番号は19。かなり早いほうだ。19は重苦ではなく、充久と読むことにした。

 

実は、2ヶ月前にCT検査で肺に影が出てから、検査の頻度と内容の濃さが増した。あらゆる数値が限りなく黒に近い濃グレーで、今回も影がどういうサイズかをみて、拡大していたら呼吸器外科を交えた合同チーム化を検討するということになっていた。

 

そういう事情を背負って望んだCT検査だったが、着合いを入れ過ぎたのか、予約よりも早く着き過ぎた。でも、あまり待つことなく検査室に呼び込まれた。縁起担ぎをしてしまう私は、その時に対応してくれる看護師のレベルでその結果を占ってしまう。なんと愚かな、と思う人もいるかと思うが、これが小市民的な、翌週に古希を迎える男の心情だとも言える。

 

向かった検査室の入口で待っていたのは、やや小柄で比較的愛想のよい明るく若い看護師で、アタリだった。こういう検査室では、いつもは無愛想でやや「お局」的な人が担当するハズレが多いのだが、この日は珍しく雰囲気のいい人だった。

 

とまあ、スムーズに検査がスタートするはずだったが、いつもは問題なく進む造影剤投与のための注射針セットでずっこけた。なんと、その可愛い看護師が私の右手で2箇所失敗した。針が上手く入らないのだ。ちゃんと入ればさほど痛くないのに、結構痛かった。造影剤注入用の針は採血や点滴のものよりも少し太いのだ。そこで、そのチャーミングナースは隣の操作室で待機していた男性医師を呼んだ。

 

やって来たのはまだインターン中のような若い医師。右腕の状態を見て、自分は左腕にすると言い、いろいろな器具を左側に移して、私の腕に針を刺した。それが、ものすごく痛い。これまでこの病院で,年に数回×7年間も受けてきた造影剤撮影のための注射針挿入では体験したことがないほど痛かった。まさに激痛である。勿論、針は静脈をはずし、神経のようなとんでもないところに当たっているのだろう。

 

慌てた新米君はすぐにギブアップして、先輩医師に交替した。その先輩医師はまだ若いが数年以上の経験があるのだろう。さすがに様子をすぐに理解し、針痕周辺の色が変わっていた左腕の状態をみて、元の右側に移動し、いとも簡単に針を右腕にセットした。チャーミングナースは都度、ごめんねと優しく謝ってくれたので、私は別の腹を立てることなく、いや、むしろこういう異常な事態を楽しんでいたのかもしれない。

 

「トラウマになるかもしれませんね。ごめんなさい」

「いやいや、次回も君だったら、何回でも許すよ」

ちょっとエロ爺だったかな。

 

おかげで、その後、病院にいた4時間半の間、私の腕はかなり目立っただろう。

でも、検査の結果は、やはりアタリナースのおかげ(?)で、影がかなり小さくなっていた。診察室で担当医から「いい傾向です。心配しないで、もう少し様子見をしましょう」と嬉しい言をもらった。初期の癌では、早目に対策を採れば、癌も消滅することが結構あるという。私の場合はまだ癌は消滅していないと思われるが、軽い対策でも効果が出ており、拡張は避けられそうだ。医師と、ナースと、カミさんと、私の運(イコール 私の亡き両親やご先祖様)に感謝だ。

 

それにしても私は恵まれていると思う。なぜなら、7年前に罹った5年生存率が数パーセントといわれる厳しい癌も克服してきたし、昨年末から年初に掛けて対処してもらった新たな癌も経過は順調だし、今回も何とか頑張れそうだからだ。その要因として挙げられるのは、すべて初期での発見であり、受け皿がすぐに得られたということ。

 

つまり、最初の癌は高血圧症で毎月通っていたすぐ近所の病院で発見できたし、その後7年間の経過観察の中で体調不良から次の癌も見つかり、そして、今回も最初の癌の経過観察でのCT検査で見つかったものだ。数値が低くても発症していないとは言えず、あまり当てにならないといわれている腫瘍マーカーが、私の場合、癌発症の都度に異常値を示してくれて、注意喚起を促してくれたこともよかった。

 

癌に完治なし、と言われる。確かにそう思う。でも、罹ったら、それを嘆いていても後退するしかない。治したいのであれば、治すのだという意志を強く持って、癌と上手く付き合うことだ。まさに「一病息災」である。何か病があると、体調に注意が行くし、おかしくなればすぐに相談できる医師もいる。つまりは、早期発見に繋がるのだ。

 

注射針の痕は、それぞれが小さな痣となっている。当分は消えないと思う。蒸し暑い毎日だが、ここ暫くは長袖にするか。

あ・つ・い・・・。たまらない。昨日と違って今日は風が少なく、午後から少々呆けたようになっているなと自覚できる。いよいよ、この季節がやって来た。夏、本番だ。つい先日、梅雨入りしたばかりの大阪泉州なのだが、もう梅雨明けしたかと思わせるような強い日差しだ。ついつい、無意識にこの言葉が口から漏れる。

「暑い」

なるべく言わないでおこうとするのだが、やはり出てしまう。でも、この言葉は、あるいは言っても構わないものかもしれない。言うことで実は涼しくなるのだ。いや、これは失言だろう。裏づけなどない。でも、私の中では、「暑い」ということで涼しさを感じているのだ。だから、ついつい・・・。でも、周囲はたまらないだろうな。聞きたくないよな。

 

そのような私だが、同じ口癖でも言ってはいけないと思っているものもある。

「よいしょ」

「どっこいしょ」

 

自分が老いてゆくことを望む人はいまい。私も、出る腹を引っ込め、気がつけば丸くなっている背筋をのばし、突き出している顎を引き、開いている口を閉じて、少しでも加齢に抗おうとする事は大切な気構えだと思っている。だから、「よいしょ」も「どっこいしょ」も言わないように心掛けている。それだけでは物足りないのか、カミさんをはじめ、まわりの同世代諸氏がそれらの言葉を口にすると、あえてそれを罵ることで、自分に対して言わせないように追い込んでいる。

 

美しく歳を取りたい。誰しも思うそのことを、私はこう解釈して自分を戒めている。「紳士たれ」と。紳士の条件は多岐に及ぶ。当然ながら世俗的で小人(しょうじん)で軽々しい私は紳士とはかけ離れた状態だ。まず、到達することはないと自他共に認める。しかし、そうありたいと心底から望み、少しでも近づけるように常々意識している。

 

例えば、歩く時はなるべく人の流れを損なわないようにしながらも、せかせかせず、ましてや人を押しのけたり、割り込んだりしないようにしている。出入り口では先を譲り、交錯しそうになると前を横切るのではなく、後部を取るように努めている。足元を見たり、わき見をしながら歩くのではなく、視線を前に保ちながらも周囲には気を配るようにしている。いいカッコを言っているのではない。本当にそうしている。簡単なことだ。自分に言い聞かせればいいのだ。常に誰か知り合い(の異性)に見られているのだ、と・・・。

 

そして、いつも書くことだが、歳をとった自分が最も嫌っている行為は、紙をめくったりする時に指を舐めないこと。皮脂や汗が止まり、指紋がなくなった今、確かに本のページをめくるのは大変だ。でも、あれだけはしたくない。

 

さらに、周囲に対して無神経を装い、厚かましく振舞うこともしたくない。年寄りだからしょうがないか、と周りにあきらめさせればいい、なんて思う事は愚の骨頂である。年寄りが唯我独尊になると手がつけられなくなる。人の言に耳を貸さず、思い込みを重ね、ついには誰も信じなくなる。いや、その反対で、甘言に誘われ、窮地に陥る事にもなる。こんな馬鹿な話に乗って・・・と思うような見え透いた詐欺に引っ掛かるのも、周囲と心を通わせていない人に多い事象だ。常々、心を穏やかに開き、謙虚に、しかし、堂々としていれば、そういう状況になることはない。

 

つまり、美しく歳を取る事は、無難に、安全に歳を取ることでもある。常に誰かに背中を見られていることを忘れず、努めて「いいカッコ」を意識していれば、無様な年寄りにはならない、と私は思っている。でも、カミさんに言わせると、「あなたって、臭くてサイテーのジジー」とボロボロだ。トホホ、である。

 

それにしても、あ・つ・いー!

気候は同じ都道府県でも地域により違いがある。北海道のような広い土地は言うに及ばず、日本で最小面積を競っている香川や大阪でも東西南北の地域で随分と違いが出てくる。それは、主に地形によるものだろうが、海への遠近により空気の乾湿もしっかり異なるし、風の流れ方で隣接する地域間でも気温がかなり変わることもある。

 

私の住む泉州地域は、南からの湿った空気が紀伊半島の山地にしっかり雨を降らせ、除湿された乾いた空気が紀伊山脈を越えてやって来るため、フェーン現象のような気候となり、雨が少なく、気温もやや高めとなる。だから、大阪府で雨の予報が出ていても、それは大阪市中央区にある気象観測点の予報で、泉州地域では雨のないことが多い。私は南海本線の沿線に住んでいるが、大阪市内では雨がかなり降っているのに、大和川を越えて堺市に入ると小降りになり、さらに南下してわが街に入る頃には道路や屋根に雨の痕跡がない、なんてことがよくある。でも、そんな土地だが海に近く、風もよく通るので湿度は適当にあり、当たり前だが決して砂漠地帯ではない。

 

そのような土地柄だから、昔から溜池が多く作られてきた。その水利を巡って諍いがよく起きていたのだが、それについては40年前に結婚して泉州地域に住むようになったときに郷土史資料を数冊買って読んだことがあり、自分なりの考察を時々日記に書いてきたので、ここでは省くとする。

 

さて、わが街の降水量データだが、まだ詳しくは調べていない。いずれ市役所かウェザーサービスのオフィスに行って調べてくるつもりだが、インターネットの情報収集レベルでみても、今年の6月と7月(4日分)は例年に比べて多いとはいえないものだ。ここ数年では昨年は多かったが、今年はその半分くらいかもしれない。同じ4日分の降水量をみると、豪雨災害に見舞われている鹿児島南部の40分の1、和歌山の三分の一ぐらいかと思う。

 

雨が少ないと洗濯指数は上がるが、街は埃っぽくなり、喉も痛め易くなる。といっても、乾燥地域よりはずっとましだ。私は仕事で中国に住んだことがあるが、江南の比較的多雨な地域でも日本とは比べものにならないほど乾燥しており、(理由は多々あるが・・・)街は汚れていたし、何度も喉を痛めた。特に冬場は風邪を引きやすく、静電気にも悩まされた。北京に一ヶ月出張した時は本当に参った。それでも土地の人から「今年はまだましだよ」とサラリと言われた。短期出張では海外のいろいろな所へ行ったが、殆どが日本よりも低湿な地で、多湿なところは少なかった。そういうことを考えても、私は日本以外には住みたくはない。

 

実は、我が家ではずっと雨季の洗濯時に単独の乾燥機を活用してきた。乾かすためというよりも絶乾することで嫌なにおいを消すことが出来るからで、多少生地が傷んでも使ってきた。それが、先日、樹脂の部品が壊れ、20数年の役割を終えた。その後は数年前に買い換えた洗濯機に付与されている乾燥機能のみとなっているが、カミさんに訊くと、使いにくいから洗濯槽のカビ除去以外には使っていないようだ。子供たちも離れて行き、残された老夫婦が歳を取って日々のアクティビティが落としている中で、洗濯物が減り、洗濯機を使用する頻度が大きく低下したためだと思う。寂しい現実がここにある。

 

さて、水がめ琵琶湖の水位だが、心配はあまりなさそうだ。しかし、これから夏が本格化してゆくうちにそういう話題も出てくるだろう。でも、あまり節水を考えることはない。水道は、ある程度水を動かしていないと水質が悪くなるので、普段からの過度な節水はあまり感心しない。といって、出しっ放しのようにふんだんに使うことは水源や給水の能力を脅かすことになり、もっと感心できない。「適度に使う」ということが肝要なのだ。

 

実は、水管は水が通るほどに汚れる。だからといって、滞留させると水質悪化を招く。汚れを取り除き、水質や給水機能を維持管理する事は水道事業者のするべき当然の業務であり、「ある種の嬉しい負担」であって、高い水道料金を支払っている我々市民は「ひねるとジャー」の水道という便利な文化の恩恵を堂々と享受すればいいのだ。そういうインフラをコツコツと気付き上げてくれた先人達と、日々黙々と水道を維持管理してくれている職員諸氏に感謝して・・・。

雨が好きになったのはいつ頃からだろう。

 

梅雨、暗くてどんよりした空、ジメジメした空気、カビは生えやすく、足元が濡れ、行動範囲が狭くなる。特に冬季は身体が芯から冷える。だから、多くの人が雨を嫌う。必要なものだとは判っていても、雨はなるべく降らないほうがいいと思ってしまうもの。私もそう思っていた。

 

だが、ある日を境に、雨が好きになり、空が雨模様になると心が躍り、降り出すと鼻歌が出るようになった。あれはいつのことか、思い出そうとするが、出てこない。さして重要な転機イベントが自分自身にあったとは思っていない。「雨に唄えば」のジーン・ケリーになる出来事もなかった。でも、なにかがあったのだろう。

 

考え事をするには雨の中を歩くのがちょうどいい、という事を知るのにしっかりとしたきっかけは要らなかったと思う。一人、傘の中で、急ぐわけでもなく、周囲に気を配りながら、足がぬれないようにゆっくり歩くと、なぜか自分を見つめることが出来るのだ。

 

そんな雨好き人なのだが、梅雨のように連日雨が降り続く場合はやはり気持ちが重くなることもある。濡れた靴が重く、靴下までびしょびしょになったりすると、ブルーな気分が充満する。だからといって、長靴は履かない。第一、釣り用以外は持っていない。駅前に住むようになり、職場も地下鉄繋がりで、傘を持つことがほとんどなくなると、いつもの革靴しか履かなくなった。その頃から雨の景色がさらに好きになった。

 

いつからか、まだ考えながら書いている。そう、人生の目的は楽しむことであり、何でも楽しもうと思い始めた時からかもしれない。だから、その後に癌を患った時も、辛い病気だからと罹ったことをくよくよするよりも、誰もが経験することではないものだから、選ばれた者なのだと開き直り、いっそ楽しんじゃえ、と考えられるようになった。そうとでも思わないと苦しみに押しつぶされそうになるということもあるが・・・。

 

雨は一年中降るわけではない。降らない日のほうがはるかに多い。だから、たまに降る雨が愛しくなり、楽しまなければ勿体無い、なんて思う。日本は水道の水をそのまま飲める所が多い、世界でも珍しい国(15カ国しかないといわれている)だ。これは適度な降雨量が山を豊かにし、河川が網羅され、大地を潤わし、人の暮らしを支えているからで、雨の健気な役割を私は称賛したい。勿論のことだが、大阪に住んでいると台風以外に雨が怖いという感覚はないからそう言えるのだろう。それについては、豪雨被害に苦しむ人たちには申し訳無いとは思う。

 

ここ数年、梅雨のイメージが少しずつ変わってきていると思う。シトシト降りの続くのが梅雨の定式だったが、最近は降らない日が多く、降る時はかなり大胆に降ってくれる。しかも、振り出したらある程度タンクが空になるまで出ずっぱりのスプリンクラーのように同じ場所を濡らし続ける。まるで、山間部や高低差の大きな傾斜地を攻める「いじめ」だ。何事も平庸がいいのに・・・。

 

山からすぐに海がある、平地の少ない日本は、太古より水害と日照りに悩まされてきた。そのため、先人達は山に木を植えてそれを守り、平地にため池を作って雨水を大切にして、自然がもたらす実りを手に入れるようになった。だが、近年の乱開発でそういう崇高なインフラが消滅している。愚かしいことだ。

 

大阪は前回日記をULした後に遅ればせながら梅雨入りし、空梅雨になるかと思ったら台風をきっかけに南の湿った空気が流れ込んで、暫くは雨が続く予報だ。カミさんは洗濯の心配をしているが、それは乾燥機の使用や部屋干しなど、方法がないわけではない。軽視するわけではないが、深刻なものでもない。なので、カミさんも雨を楽しんで欲しいのだが、A型の女性には無理なことかも・・・。

6月25日、今日も雨は降らなかった。近畿中部は明日から崩れ始め、明後日27日には大雨が予想されている。これで近畿地方も入梅となってくれるわけであるが、今年は太平洋高気圧の張り出しがまだ弱いので、梅雨前線はしばらく低緯度にあり、南西海上の低気圧が東へ去ったら再び晴れが続きそうな気がする。もしそうなれば梅雨はほとんど空梅雨状態になり、そのうちに太平洋高気圧が一気に勢力を増してきて、梅雨前線を日本海へと押し上げてしまうかもしれない。つまり、実質的な梅雨なし年になる。

 

灌漑設備が整備されていなかった昔なら、初夏の乾きは飢饉を招き、多くの餓死者を出したことだろう。しかし、先人たちの尊い汗でインフラが整い、農業用水の確保が容易くなって、今の日本は飢饉というものから縁遠くなった。しかも、先進国では最低の39%という食料自給率のため、自国の不作が深刻な影響を及ぼすこともあまりないだろう。だが、それはとりもなおさず食料の輸入依存性が高いということであり、世界的規模の飢饉が起きた場合は備蓄がなければ大変なことになる。

 

ともあれ、今の日本では気候が原因で餓死する人が出ることはないだろう。いつだったか、米穀の不作で海外から緊急輸入を実施した年があったが、無理に集めた米が美味しくなく、不人気なタイ米が多く残り、社会問題となったことはまだ記憶に新しい。あれを契機に日本人の米離れが加速されたことは確かだ。

 

いずれにせよ、空梅雨の影響が昔ほどは深刻ではなくなったと思う。だが、やはり空梅雨は厳しい。なにより最も大切な生活用水が不足することになる。自然の水流が滞り、水質が悪化する場合もある。水は絶えず動いていないといけないのだ。近畿の水がめといわれる琵琶湖も水量が減り、悪臭がきつくなって、水道の塩素も増量され、まずい水を飲まなければならなくなるだろう。各地で水源からの取水制限が始まり、給水がパートタイム化する可能性が高まるだろう。副作用として、人はいやでも水の大切さを学ぶこととなる。

 

海への影響も大きい。山に雨が降らないと川が干上がり、山の栄養が流れ込まなくなって、水産資源が大きく減少することになる。その結果は単年に留まらず、元に戻るには長い年月が必要となるだろう。年々悪化する水産環境は日本人の食生活を変え、日本人のアイデンティティを引き下げ、世界と大差ない民族に変えてゆくかもしれない。世界に誇る日本人の感性が崩れることになる。

 

梅雨が来ないと被害は想像以上に大きいものとなるだろう。恵みの雨が気持ちよくやってきて、気持ちよく去ってゆくことを願っている。

6月10日(月)の朝、毛虫に刺された。雨の中、風に飛ばされた毛虫が腕についたのだ。慌てて払った。ほんの一瞬のことだったが、目に見えない毛虫の毒針は私の腕にしっかり刺さっていた。暫くして腕に異常を感じたので、掻かずにきちんと処置した。それが功を奏して、被害は最小限にとどめたと思う。

 

2年前に同じ種類の毛虫にやられた時は相手の実態が判らず、患部が半身に広がり、痛痒さにかなり苦しんだ。今回の私は、ドン臭いながらも一応の学習機能が働いたと思う。ただ、今回も0.1~0.2mmという目に見えない極小の毒針に苦戦している。というのは、初日にほぼ完全に除去したつもりであったが、まだかなりの毒針が残っていたようだ。4日目の昨日、もう大丈夫かとドレッシング材を使ったハイドロラッピングを外したとき、腕の皮膚に残っていた毒針を少し広い範囲に拡散させてしまったのだ。おかげで、腕の紅班が拡がり、改めて2倍の面積のハイドロラッピングをするハメに陥った。針の毒はまだ消えていなかったのだ。患部に触れた指には毒針が付着することを軽視していた。まだ、ラッピングを剥がすべきではなかった。

 

おかげで、抗ヒスタミン剤も通常の2倍量服用しなければならなくなった。だから今日は、ついつい眠気に負けてしまう一日だった。昼から車で数箇所まわった時、眠くて危険な瞬間が何度かあった。このことは大反省である。運転を控えての眠気を誘う医薬品の服用は厳禁である。もし、薬を飲んでしまった時は運転してはいけない。この当たり前のルールを軽視してしまった。運転技術の過信から来る驕りだ。万が一でも事故が起きたら失われるものが大きい事は誰でも判る。まして、誰かに迷惑をかけることになる。きつく自分を戒めた。

 

この時期、ツバキやサザンカなどの木の葉の裏には毒針を持った毛虫がついており、雨が降ったり、強い風が吹く時は要注意だ。木の葉にちょっと触れただけで落下して腕や首筋に取り付く。見つけたらすぐに使い捨てのポリエチレン手袋などをして、毛虫をそっと除去し、ガムテープなど粘着性の強いテープで毒針を取り除かなければならない。毒針には抜け防止のかえりがあり、簡単には抜けないようになっている。だから水で洗うだけでは除去できないのだ。

 

毒針が拡散しないように処置したら、すぐにそのまま皮膚科へ急ぐべきだ。その時は大して被害を感じないかもしれないが、徐々に腫れあがり、痛痒さが増してくる。被害は徐々に判明してくるが、紅班が見え始めるのは1時間後だ。それからは腫れが酷くなり、炎症が鎮まるまで1週間以上かかる。2年前では首筋から衣服内に入った毛虫の毒針が胸、腹、背中を襲った。広げたのは私自身の指だ。今、思い出しても怖い。

 

人間は強いようで脆い生き物だ。改めてそれを自覚させられる出来事だった。