気温が上下を繰り返しながら冬に向かっているのが判る。昨日は日中からかなり肌寒かったが、今日はまた南大阪では穏やかな小春日和となった。今年は、「食欲の秋」をあまり実感せずに冬になってしまいそうだ。でも、冬は魚も美味く、温かい食べ物が豊富で、秋よりも食欲が高まる季節なのだ。ただ、今週は体調を崩し、きつい一週間だった。

 

先週末にカミさんが布団を冬用の羽毛へと交換してくれた。薄い夏用の掛け布団ではさすがに耐えられなかったが、それでも変化を嫌う保守的な私は横着にも身を震わせながら寝ていた。見るに見かねてカミさんが断行してくれたのだ。ところが、歳を取ったせいだと思うが、僅かのコンディション変化にも適応できなくなっているようで、月曜日の明け方に気がつくと布団を蹴飛ばし、寒さで震えていた。

 

あ、やってしまった。

 

しっかりと風邪を引いた。くしゃみが続き、鼻水が出て、頭痛がし、身体の節々がだるさを通り越して痛い。朝食後のいつもの服薬に感冒薬も加えた。仕事は休みたくない。このシーズンで初めてカシミヤの薄手のセーターを着た。

 

昼間は気が張っているから何とか勤めを果たし、いつもの時刻に帰宅したが、どうも身体が重い。なぜか胸がむかつき、食欲がない。風邪が消化器系に異常を来たしているようだ。夕食を用意してくれていたカミさんに詫びて、すぐに寝床を用意し、食事もせずに寝た。

 

翌朝、少し悪寒があるためにシャワーは諦めて、小寒い中をすべて着替えて出勤の用意をした。当然、カミさんからは休むように勧められたが、私としてはこの程度で休んで家にいるよりは仕事のほどよい緊張感が気分的に楽になるので、行くことにした。しかし、食事は喉を通らず、ヨーグルトだけ食べて服薬した。カミさんが早朝から作ってくれていた弁当を大事に持って、出勤した。

 

仕事は身体的に楽なので、難なくこなし、弁当も時間をかけたが完食した。帰宅したら、テーブルの上にゼリーが置いてあった。かつて、抗癌剤の副作用による酷い味覚障害で何も食べられずに苦しんだ時期があったが、その時に命をつないでくれたのが近所の病院の点滴と、このゼリーだった。大塚製薬の「カロリーメイト ゼリー」アップル味だ。いろいろと試したが、これは高カロリーで蛋白質も結構多く含んでいる栄養バランスのよいゼリーで、以後、何かある時には頼りにしている。それをカミさんが買っていてくれた。

 

ウエットな私と違ってドライなカミさんは、あまり感情を表に出さず、いつもそっけない態度でいるが、実は心根は温かで、控え目な性格が引っ込み思案然とさせているだけで、友達も多いし、子供や孫には明るく積極的に振舞っている。これまでいろいろと確執があった私には心を全開にしてくれはしないが、カミさんしか見ていない私の気持をいつか受け入れてくれる日もあるだろうと思っている。私にはこのゼリーがその兆しに思えた。

 

昼の弁当で食欲が快復してきたので、カミさんが用意してくれた夕食の野菜粥をしっかり食べた。カミさんが買ってくれたゼリーは必要なかったので、大切にとって置いた。実は、カミさんは何気ないように振舞いながら私のものをかなり買ってくれている。朝のコーヒーも、職場で飲む一杯ごとの抽出コーヒーも、弁当時のインスタント味噌汁も、おやつも、ストックがしっかりある。「安かったから・・・」と言いながらせっせと買って来てくれている。

 

そういえば、最近では衣類も時々買ってくるようになった。靴下やワイシャツ、ハンカチなど、私の好みを押さえたものをそっと買ってきてくれている。私は、随分長く、そういうものを自分で買って来た。好みもあるが、基本的にカミさんは私の「暮らし」に立ち入ってはくれなかった。同じ家に住んでいても、心に高い垣根があった。でも、少しずつだが、それが低くなって来ているような気がしている。

 

風邪は酷くならなかったが、全快まで時間がかかった。でも、もうすっかりよくなったと思う。カミさんに感謝している。カミサンハムニダ、かな。

まず、台風15号と19号、その後の重中豪雨による水害にあわれた方々にお見舞いを申し上げたい。一日も早い復興を祈念し、自分に何が出来るか、微力でもアクションを起こしたいと思う。また、首里城の大半が焼失し、心の拠り所を失われた沖縄県の方々にもお見舞いを申し上げたい。こちらも政府が早期の再建を推進するとのコメントを出した。募金活動が行なわれているようだ。沖縄県事務所に確認し、僅かでも寄付したいと思っている。

 

それにしても、4月にパリのノートルダム大聖堂の火災を受けて、文化財の防火体制の強化が叫ばれて半年しか経たない中での今回の火災事故だ。衝撃はかなり大きい。結果論だが、首里城は防火設備が不十分だったようだ。管理する側も、訪れる側も、みんなが気をつけていれば、莫大な設備費がかかり、見映えも良くない消防設備など必要ないと思ったのか。はたまた、建造物が近年再建されたもので国宝ではないために国の予算が就かなかったのか。理由はよく知らないが、脆弱な防火体制だったようにニュースで聞く。

 

一瞬の油断(過失)で文化財は焼失する。落雷もあるだろう。飛行機の墜落事故をよく聞く地域特性もある。私が生まれる約半年前の1949年1月26日に法隆寺の金堂が焼け、貴重な国宝が失われたところから、翌年に制定された文化財保護法に基き、5年後の1955年から1月26日を文化財防火デーと定め、設備の増強や訓練反復を行なってきている。1月26日は弟の誕生日と同じなので、よく記憶している。

 

加えて、ビルや家屋などの新たな建造物はその耐火基準を厳しくし、燃えにくくして来ているが、文化財は古いものほど価値が高く、再建するときも出来るだけオリジナルと同様に仕上げようとするため、木造施設が多く、耐火性能はあまり高くない。それを補うために管理側ではいろいろな取り組みをして来ているが、今回はそれが全く効果の無いもののように、たった一晩で多くの建造物が焼け落ちてしまった。なぜ、火元の建造物だけで食い止められなかったのか、問題は残る。

 

さて、話は大きく変わるが、いつの間にか秋になった、というのが今の私の印象。だから、未だに重衣料は夏物のまま、掛け布団も薄い夏蒲団だし、外出時の服装はTシャツの上に長袖シャツの袖まくりだ。さすがにエアコンは使っていない。

 

一年の間でエアコンを使わない月は5月と10月で、それらの月の電気代をベースとして、2月と8月のものを比較すると冷暖房の電気代が判る。11月に入り、間もなく10月分の電気代が判るから、今年の季節感が判るだろう。私はここ数年、毎月の光熱費を表に記入してきているが、今年も月毎には例年とほぼ同じような数値となっている。「今年は未曾有の厳寒、猛暑」と毎年いわれているが、意外にも数字的には安定している。日々の気温の上下が思ったより少ないため、寒さや暑さを過度に感じないのだろう。

 

服装もだが、食べるものにも季節のメリハリが感じられなくなっている。我が家は高級食材を取り寄せるような贅沢はできず、近所のスーパーに並ぶ安い食材で日々を過ごしているわけだから、マッタケなどには縁が遠く、季節感があまり感じられないのだろう。まあ、泉州地区の老夫婦の一般的な家庭はこんなものではないかなという暮らしをしており、季節ものの走りを追いかけてはいない。

 

私は元々保守的で、流行の先端には興味がないし、最先端技術による新製品も欲しいとは思わない。誰かが使って性能や使い方が落ち着いた頃に購入するタイプだ。しかし、技術や製品に関する情報は結構早い目に得ている。受信アンテナは高いほうだと思う。それでも買わないのは、経済的な理由もあるが、新しいものを入手することにさほど喜びを感じないのだ。 それよりも、使い慣れたものが好きで、そういうものに対する愛着はかなり強い。古いのに頑張っている機器を見ると、まるで自分のことのように健気に思えて、簡単には捨てられない。

 

初物狙いではないので、食べ物に関してもよく獲れて最も美味い旬のものがいい。初鰹よりも戻り鰹が好きだ。最近では下魚が高級魚のように付加価値つきで売られているが、あれには抵抗がある。秋刀魚ファンには悪いが秋刀魚を美味いとは思わない。下魚はどう見ても下魚だ。マグロよりも鯛、ヒラメ、おこぜが好きな、オーソドックスな大阪人なのである。でも、経済的な制限から、近海ものは高くて手が出ないので、冷凍物や下魚を工夫して食べている。

 

カミさんは、牛肉は殆ど食べない私とは逆に、魚より肉(牛肉)が好きだ。だから、私が付き合いで外食してくる日に牛肉料理をするらしい。思えば、カミさんにとって私は「不愉快な存在」なのかもしれない。

 

あ、カミさんの作る肉じゃがは本当に美味い。あれだけは牛肉嫌いの私が好んで食べる例外料理だ。大阪では東京と違って肉と言えば牛肉だ。すき焼きもカレーも土手焼きもおでんのスジも牛なのだ。あれれ、牛肉嫌いのはずだが、私も結構食べてるやん。

風が寒さを連れてきた。少し前までは心地良さに首を伸ばして頬を緩めていたのに、今はその首をすくめている。どうやら秋は、その楽しさを出し惜しみしながら早めに去って行くつもりのようだ。

 

最近、思考回路が短絡しがちになって、単純運動の機械のように日々を送る私でさえ、この季節は何かを見つめて物思いに沈む時がある。水溜りに映る雲混じりの空や、風に翻弄される枯葉、焚き火の炎など、目が釘付けされるものは結構あるものだ。今日の薄暮、横断歩道の信号を見つめて、10分間ほど突っ立っていた。周囲の人は、私が思い悩んで車道に飛び出すのではないだろうかと、ハラハラしていたかもしれない。

 

あれは何処の信号だったか。思い浮かんだ景色が懐かしくて、思い出そうと立ち止まっていたのだ。確か、50年前の東京、大田区での夕暮れの景色の中で見た信号だったと思う。

 

その前夜、まだ蒸し暑さの残る大阪をドリーム号という長距離バスで立ち、空がまだあけ切らない丸の内に降り立った時、肌寒く感じ、驚きと後悔が交錯した。先の事は何も考えず、義憤に任せて上京した。なにも持たず、ただ、デモに参加するために・・・。

 

代々木公園に行き、知った顔を見つけ、集会とデモ行進の列に加わった。

「蒲田へ、蒲田へ」

行動の意味は理解していたはずだが、結局は何も出来ず、めしも食わず、歩き回った疲労と放水で湿った衣服がもたらす消耗感に、一時的に放心状態になったのだろう。大森辺りの交差点で信号をじっと見つめていたのだ。

 

俺はなんでこんなところにいてるんや。

これからどうしよう。

 

不思議に、空腹感はなかった。尿意や便意もなかった。ふと、誰かが私の背中を軽く叩いた。振り向くと、顔は知らないが同じぐらいの年齢の男で、明らかにデモファッションをしていた。

「何してるン?」

大阪弁で軽い笑いを添えて訊いてきた。

「いや、これからどうしよかと思てな」

答える私も大阪弁だ。

見ると彼の後ろにも一人、同じ年頃の若者がいた。

 

歩きながら静かに話を交えた。私はといえば、何も持たずに、とりあえず身ひとつで出てきたため、服装と言えば穿き古したジーパン、上着も薄いジャンパーだけだった。まさか、今朝、大阪から上京してきた人とは思っていなかったと笑われた。ああ、東京は大阪よりも寒いンやと気がついた。

 

そういえば、はぐれた場合の集合場所と、パクられた時に完黙する前に言う弁護士事務所の名前を聞いていたことを思い出し、彼らと別れてその集合場所へ一人で向かった。そこでは数名が待っていてくれた。私のようにはぐれた者が結構いるようだ。今夜の宿は、と訊かれたので、何も用意していないと言うと、一人の若者を紹介してくれた。

 

彼は大阪出身で、同じ歳だった。東京のある大学に通っており、北区の下宿に住んでいるという。俺とこへ来いや、と軽くいう彼に着いていった。すぐに大阪へ帰りたいとは思わなかったので、アルバイトをしながら、それから2ヶ月、私は彼の部屋にいた。思えば、若さの真っ只中にいた。

 

信号からそんな昔を思い出し、少し自分の若さからくる軽薄さが滑稽に思え、湧き上がる笑いを堪えて交差点を渡った。

 

その後の事はまた別の機会に書くとしよう。

またまた凄まじい台風がやって来て、信州や関東、東北の多くの人を苦しめ、太平洋へ去っていった。台風19号、規模も強さも桁はずれだった。先の台風15号で被害を受けた人たちにとってはまさに追い討ちであり、非情の仕打ちだ。台風を司っている風の神様には被災した人々の痛みが判らないのだろうか。

 

この台風は勢力範囲が広く、強かったので、遠く離れた地域にも大きな被害をおよぼした。特に雨が半端ではなく、各地に大きな水害をもたらした。長く激しく降り続いた雨は多くの河川に流入し、水位が上がって氾濫が頻発した。地震や台風が避けられない立地、山からすぐに海となる我が日本の国土は、治水が永遠の重要課題で、豪雨によって集められた雨水をいかに穏やかに海へ放つか、為政者の行政能力が問われてきた。

 

常にそれなりの対策は講じられてきたが、いつも後手後手に回ってきたと思う。その原因としては、当然ながら予算の問題もあるが、何よりも政府や都道府県にウチは大丈夫だろうと高を括る姿勢にあったのではないだろうか。事が起こってからいくら勇ましくラッパを吹いても、それは行政マンとして愚劣と言わざるを得ない。少しでも先を読み、可能な限り的確な対策を施すことが大切なことはいうまでもない。何事も予防が重要なのだ。

 

天候を知る技術は確かに飛躍的に向上した。しかし、地球温暖化の影響からか、台風や集中豪雨の規模の拡大は過去の事例を越え、「これまで経験したことがない」事象が起きている。気象庁も「命を守る行動をとること」をオウム返しで叫ぶしか出来ないようだ。結局は自分で自分を守らねばならないのだ。

 

確かに、昔はそうだった。自分で自分を守るしかなかった。それが今は、国が、都道府県が、市町村が何とかしてくれる、という誰かを当てにするような脆弱な姿勢になっているのではなかろうか。当然のことだが、河川対策などインフラ整備は個人の力では出来ない。しかし、早めの避難は出来る。常に避難場所や避難経路を確認しておくことも出来る。停電になったときの対応を訓練することも出来る。

 

今回、全員避難が手際よく出来た特別養護老人ホームがあったことをニュースで知った。そこの責任者が日頃の避難訓練の成果だと語っていたことが印象的だった。そうなのだ。他力本願ではなく、自分たちで出来ることを日頃から考え、実践してゆくことが大切なのだ。人の命を預かっている職責にある人のみならず、普通の家庭人も少なくとも自分の家族を守れるようにならなくてはいけないと思う。

 

死者、行方不明者の多くはギリギリまで避難せずに、危険な状況になってから行動した人が多かったのではないだろうか。亡くなられた方に鞭打つつもりはないが、早め早めに行動していれば助かった命もあったと思う。普段からハザードマップを調べ、近所に声がけしておくことがどれだけ重要か、事が起きた後で知ることとなる。非常持出袋はかなり浸透してきたようだ。ヘッドランプや携帯電話の予備電源を備える家庭も増えてきた。しかし、地震や台風、火事などの災害で自分は何処へ逃げたらいいのか、とっさに思い浮かぶ人が少ない。だから、日頃から訓練することが大切なのだ。少しでも被害を少なくするために、個人でも出来る事はやっておきたいと思う。

 

大阪でも風雨が強かったため、泉州にある我が街のだんじり祭りは土日の二日間の開催予定が実質的に日曜日1日だけに絞られた。これを楽しみに一年を送ってきた人たちには気の毒な台風となったが、被災地のことを思うと心から楽しめなかったのではなかろうか。

 

そんな心痛多い日本列島ではあるが、元気をくれた事もある。ラグビーWCで日本はトラウマのスコットランドに勝ち、決勝トーナメントに進むこととなった。前回大会の雪辱たる執念のような勝利だった。厚く曇った空に小さな晴間が出来て、陽光が差し込んできたような気持ちだった。開催国の優位性はあるが、この強さは本物だと確信させてくれるようなゲームだった。

 

この勝利に祝杯を挙げたかったが、歯痛を訴えている身で飲むとカミさんが眉根を寄せるし、阪神タイガースがCSで敗退したから、乾杯は南アフリカ戦を終えたときまで取っておこうと思う。

もう10月に入ったのに、連日30℃付近に達し、長袖にチェンジしようとは思えないほどの暑さが続いている。暫くはクールビズ続行だ。確か、2013年だったと思う。2012年7月初めに最初の癌の手術を受け、8月末に退院したが、すぐに肝臓に転移が見つかり、抗癌剤を替えたところ、影は消えた。だが、厳しい副作用が待っていて、自宅の中を這いながら生活していた頃、暑い、暑い10月があったことを思い出した。

 

その頃の私は既に汗の分泌が止まり、少し動くと熱中症になるという危なげな暮らしをしていた。10月でも一日中エアコンのお世話になっていたな。あの年よりもましだとは思うが、今年も同じようなにクーラー漬けの毎日を送っている。

 

ただ、出来て当たり前のことが出来ずに苦しんだあの頃とは違い、PCも使えるし、服のボタンもとめられるし、歩けるし、何でも食べられるし、車にも乗れる。一見、普通の暮らしが出来ているように見えると思う。当然のことながら水面下でのハンディキャップの補填はいろいろとある。でも、それがどれだけ辛いことでも、生かせて貰っている事の大きさから比べれば些細なものだと思うようにしている。

 

地球温暖化が叫ばれて久しい。異常気象は地球上に住む生物の生態に変化をもたらし始めている。熱射酷暑と寒波が偏って居座り、低気圧が異常に発達し、四季の境目が奥ゆかしさを失って、これでもかと名残りの暑さを、寒さを引きずり出している。季語がおかしくなるほど気候が狂い始めているのだ。何とかCO2を減らすことは出来ないのか。一日中エアコンに頼っている私が言えることではないが・・・。

 

服装のセオリーもいつ頃からか、何でもありになって、真冬でも半ズボンがおかしくなくなったが、どれだけイカレた奴でもさすがに真夏の毛皮はないだろう。ま、それは極論だが、衣替えをしない人が増えているようだ。そういう人はスペースにゆとりがあるのだろうな。私の場合、クロ-ゼットが僅かなので衣装の入れ替えは必ずしなければならない。でも、今年は今着ている夏物を仕舞うタイミングが見えてこない。

 

ま、暫くはこのままでいいだろう。そのうちに朝晩のジャケット着用が始まり、身体の欲するままにその生地が薄地から厚地へと変わるだろう。ま、四季の風情は希薄になるが、それも今の自然流かもしれない。

9月28日(土)は孫の運動会だった。休日なのに朝早く起きて、いろいろと準備をし、息子の家に向かった。予報では雨が心配だったが、天気は崩れることなく、適度に曇った凌ぎ易い一日で、体温調節の苦手で炎天下のグランドが堪える私にとっては、助けられた天候だった。孫の愛嬌に頬を緩ませ、楽しい時間を過ごした。

 

それでも、暑い屋外での観覧は心拍数を上げ、やはり疲れを呼んでいたのだろう。15時過ぎに自宅へ戻ってから、転寝をしてしまった。目覚めたら17時45分。

「試合は?」

思わずカミさんに聞いたが彼女はスポーツなどに関心はない。慌ててテレビをつけると、ノーサイド直前だった。勿論、ラグビーの日本-アイルランド戦だ。勝てるとは思っていなかった。少しでも善戦して、次につながればいい、と思っていた。

 

ところが、テレビの画面が信じられないスーパーインポーズを出していた。なんと、19-12で日本が勝っている。そして、ノーサイド。その瞬間、実況アナウンサーが叫んだ。

「これはもう、奇跡とは言わせない!!」

 

その言葉を聞いて、私は声を上げて喝采し、泣いた。嬉しさと、眠ってしまった後悔と、自分の浅慮への恥ずかしさが頭の中をグルグルと廻っていた。後は、何度も何度も繰り返される名シーンに涙するばかりだった。

 

どうせ負けるだろう、との予測を覆した劇的勝利は何も今回が初めてではない。その都度、自分の軽薄さを戒めてきたつもりだが、今回もまた同じ轍を踏む嬉しい予想ハズレだった。

 

選手やコーチ、関係者は、現場やパブリックビューイングで応援していた人々は、その試合が「諦めない」という強い信念で流れを変えていったことを知っていた。私はその流れを目撃できなかった。

 

2011年のなでしこジャパンもそうだった。4年前のラグビーW杯の対南アフリカ戦も、そのほか大番狂わせの試合は殆ど終盤しか観ていない。運の悪さもあるが、諦めと断定がいつもこういう始末をもたらしてきた。もっと素直に、純粋に勝利の期待を強く持ち、辛抱強く熱気の渦に身を置こうとしなければいけなかったのに、逃げていた。これは、仕事や様々な私の人生のシーンにおいて最大の反省点だといえる。ネバーギブアップを叫びながら、どこかで冷めた目をして、上手くいかなかった時の気持ちの繕いをしていた。

 

夜中にされた再放送ではすべての流れを観た。当たり前だ。勝った試合ほど観直すのは簡単だ。結果を知っているから安心して観られるし、何よりも痛快なのだ。そして、ノーサイドで再び聞いた「これはもう、奇跡とは言わせない!!」の言葉が、またも私の涙腺のバルブを全開にしていた。「2流とは言わせない」といっているかのような響きだった。

 

今回のラグビーW杯は、事前の人気がイマイチ低調で盛り上がりに欠けていたと思う。でも、この大勝利がその空気を変えることは確かだ。あの、遠征費にも困っていたなでしこジャパンがあれよあれよと優勝し、国民栄誉賞を受けたように・・・。

 

大会はまだまだ続く。こうなると欲が出る。ベスト8と言わず、準決勝、決勝と勝ち進んで欲しい。私は付和雷同の謗りは甘んじて受けよう。

秋の彼岸も過ぎ、長かった夏が名残惜しそうに過ぎていった。秋の到来に寂寥を覚えるのは私がまだ若い証か。もっと太陽の下で、天衣無縫に暑さを楽しみたかった。なんて、とんでもない負け惜しみを言う私は、まだ妄想と現実の見境も出来ない未発達の老人だと思う。汗の分泌を薬で止められ、体温調整が出来なくなっている身体にとって夏の日本は、大阪は、実に危険な地帯なのだ。

 

それでも、若い頃の泳ぎ好きな日々の思い出に浸りたくて、水辺に行きたくなり、今年の夏も海水浴場の近くを車で走ったが、結局は道の駅で買い物をしただけだった。でも、太平洋高気圧がもたらす青空は輝いて眩しく、70歳の身体に元気の風を運んでくれたと思う。体内の免疫力が上がった。

 

しかし、先週から日本列島は、台風一過に大陸からの高気圧に覆われて、爽やかな秋晴れが暫く続いた。暑さ寒さも彼岸まで、とはよく言ったものだ。これからは、一日の気温差が大きく、また、日毎の振幅が大きな秋特有の気候が続き、落ち着いた頃に木枯し1号が吹くはずだ。季節の変わり目は身体が気温の変化になかなか慣れないので、体調を崩しやすい。10月は年寄にとって要注意月だ。夏に落ち込んだ体力が十分回復しないうちは極力動きを少なくすることだ。

 

それにしても、食事が美味しい。太らないようにと気をつけているのだが、美味しいから咀嚼回数を減らしてパクついてしまう。一口食べては箸を置く習慣づけがいつまで経ってもできないのだ。いい歳をして恥ずかしい限りだ。

 

この週末は孫の運動会が予定されているが、あいにく大阪は雨模様のようだ。明日はてるてる坊主を作るとしよう。

先週に続いて、今週も4連休。休んでばかりだ。カミさんに顰蹙(ひんしゅく)を買いながらも、芯から骨休めをしている。夏の疲れが出て来ている今、この休みは有難い。

 

ところが、またも台風が来ている。この週末にやってくるという台風は17号だ。発生数からすれば今年は少ない。昨年は9月4日にあの台風21号が襲来、120万戸の停電、関西空港の機能麻痺、そして、多くの風水害を出した。この年、台風の年間発生数は29だった。ここ数年、台風の発生数は増加気味だったが、今年は現在のところ17で、この調子で行けば大きく減るように思える。被害も昨年に比べるとまだ少ないと思う。ただ、台風15号は台風に慣れていない関東地方を襲ったため、災害に対する脆弱さが露呈された形だ。

 

それにしても、東京電力という会社は、楽観しすぎるきらいがあるようだ。福島原発も「予期せぬ出来事」で逃げ切っているが、あれは人災以外のなにものでもないだろう。今回の台風にしても、危険箇所の把握が十分にできていなかったようだ。復旧への取り組みも、エクスキューズばかりで、組織を挙げて取り組んでいるという必死度が感じられない。千葉の人には申し訳ないが、これが東京都だったら、政府や自治体の動き方は違っていただろうし、東京電力も目の色が違っていたと考えるのは私だけだろうか。災害による深刻な被害に対して援助を求めるのは仕方のないことだが、どうも東電の姿勢からはそういう無心の臭いがしてくる。それにしても「想定外」が多すぎる。

 

台風は九州や四国ばかり襲うのではなく、日本全国何処にでも行くはずだ。日本列島は前線の発生し易い温帯にある島国であり、地震と風水害はつきものだ。科学が発達しても、それらの自然災害は避けられない。しかし、備え有れば憂い無し。災害に対する「想定」をきっちり見直して、自然災害による被害を少しでも押さえるために公金を使って欲しい。大学の無償化など選挙を意識した政策よりも、災害に強い国家作り真剣に取り組んでもらいたいものだ。

 

折角の休みを台風で予定の変更を余儀なくされる人は多いだろう。ま、仕方のないことと、自宅を守るために予め走り回って欲しい。決して無理なレジャーはしないで欲しい。どうも日本人は余暇に対する意識がプアーで、少ない休暇に無理矢理予定を入れているため、「少々」天候が悪くても無理を押して出掛けてしまう。ところが天候の悪さは少々ではなく「相当」に悪いのに、それでも強行しようとする。船出をし、磯釣りをし、泳ごうとする。山にしても同じだ。その結果、多くの人を救助に駆り出し、多くの人を悲しませる。

 

「俺は覚悟の上で遊びに行くのだから、他人はつべこべ言うな」と偉そうな言葉を吐き、制止を振り切って出掛けるヤツほど、危機に直面したらすぐに「助けてくれ」と大騒ぎし、助かっても感謝するどころか救助が遅いとゴネて、「まさかここまで天候が悪くなるとは思わなかった」とほざく。自分勝手もいい加減にしろと言いたい。「自己責任」を明確にし、そういうヤツらは救助などしなくてもいいというようにするべきだと私は思う。海外でテロリスト集団に誘拐される「ジャーナリスト」たちも同じだ。そういうヤツらに使う金があるのなら、災害の予防に費やして欲しい。脆弱で、抜けている東電という企業を本質的に強化すべきだろう。

 

災害のたびに思うのは、公共性のある企業は被害の復旧に大変な想いをしているということ。特にライフライン事業者、公共交通機関や道路管理者、河川管理者は本当に凄まじい戦いをしている。不通だった電車が動くたびに私は拍手を送るし、その現場の必死度に頭が下がる。自治体職員も消防署員も警察官も含め、復旧に携わる人たちは被災者でもあるのに、自己を顧みないで必死に闘う。感謝、感謝だ。

 

東電本社も本当はそうあるべきなのだろうが、首都立地で、国策企業の頂点にある企業の驕りが、言い訳、言い逃れの大家となしてしまったのかもしれない。福島のときも思ったが、災害復旧の指令基地が前線から遠い安全な場所に置かれて、偉い人は画面を見てわめくだけだ。一度ぐらい、激しい風雨の中、現場で指揮を取ってみろ、と言いたい。

 

私は今、公共性の高い組織で働かせてもらっている。その組織はあまり大きくないから、トップにも危機意識はあり、ひとたび事があれば組織全体で対処している。私のような非常勤職員でさえ復旧業務に携わる。若い、動ける職員などはフル回転だ。昼でも夜でも雨の中、レインウェアに身を包み、懸命に作業する。その姿は尊いと思う。でも、できることならば、国や自治体からもっと補助金を引き出し、予算を工夫して、少しでも災害に強いインフラ整備を進めて欲しい。緊急招集は仕方のないことだが、緊急出動は出来るだけ少なくなって欲しい。

 

次の週明け、全国で被害が出なかったというニュースに触れたいものだ。

日中はまだ暑さが激しいが、朝晩はかなり涼しくなって来ている。今日は風も強かった。リビングのエアコンも動かしてはいない。我が家も、我が街も、秋モードだ。

 

ここへ来て、疲れが体表に表れていると感じるようになった。起床時に疲労感があり、体内のエンジンがかかるまでかなり長いアイドリングが必要だ。寝ても疲れが取れていないのだ。電車の中で読書をしていても、いつの間にか瞼が下りている。

 

これで食欲がどんどん出てくれば回復と言えるのだが、ダイエットを意識しなくても体重が減っている。ついこの間までBMIが25を上回っていたのに、今は24を下回る。喜ぶべきなのだろうが、やはり食べないと確実に痩せる。その裏で体力や気力が失われているかもしれない。奮起しなければ。

 

私はさほどに激しい疲労感がないので、まだいい。だが、カミさんはかなりきつそうだ。私と違って、食が細く、何事にも控え目なカミさんは辛抱を内に溜め込むタイプなので、こんな時期は要注意なのだ。でも、彼女はなかなか医療機関に行かない。懇願しても無視だ。困ったものである。

 

カミさんの好物は牛肉。ところが私はそれがあまり好きではない。でも、今は非常事態宣言を出すべき時、カミさんに倒れられたら大変だから、なんとしても腹一杯食べてもらわねば・・・。明日は焼肉でもしようか。自宅の近所には肉料理店が数軒ある。カミさんの好きな店に直行だ。

今日9月13日は殆ど凪状態だったが、時折優しい涼風が頬を撫でてくれた。気温も徐々に下がっており、秋を実感させる小さな出来事を次々に楽しんでいる。異常気象といっても私には例年と大差がないように思える。確かに、地球温暖化は深刻な問題だが、これも大きな流れのサイクルの一シーンだろうと思っている。確実に秋がやって来ている。

 

凌ぎ易い季節になっている。何彼につけ心が穏やかになる季節だ。食べ過ぎてますます運動不足にならないようにしなければならない。輝く月を見、虫の集く音に心を奪われることがないように、大好きなカミさんの横顔でも眺めて、現実に浸るようにしよう。

 

体調はここのところ、平穏無事という表現が適していると思う。危惧した新たな癌は鳴りを潜め、先日のCT検査の所見でも安心の領域に入っていると心強い言葉を頂戴した。慢心してはいけないが、7年前の厳しかった癌も今では全く気配を感じさせず、5年生存率数パーセントの中に自分が入っていることを素直に喜んでいる。薬の副作用の後遺症は未だに解消していないが、それもこれまでの奮闘の証と愛しめるようになった。

 

ただ、猛暑が続いた今夏、冷房から抜け出すことが容易ではなく、未だにエアコンの世話になっている。そのため、血圧はやや高い。それと、歯が一本、かなり悪くなっており、これまでにないグラグラがそろそろ抜け落ちるかもしれないことを教えてくれている。そこの歯茎の痛みも日増しに厳しくなってきた。全て自分の歯であることを意識してきたが、いよいよ欠損を覚悟しなければならないと思う。でも、それ以外は概ね健康といえるだろう。

 

それにしても、カミさんが日頃嘆くように、私はおかしくなっているのかもしれない。というのは、自分の古女房であるカミさんが可愛く思えてならないのだ。毎朝、カミさんが台所に立つ姿を認めると気持ちが落ち着く。そして、口には出さないが、「愛しているよ」とテレパシーを送る。とっくに子供たちが巣立ち、老夫婦二人のシェアハウス的な暮らしになって久しいが、それだけに私の心に片想いの恋愛感情が育っているのだろう。

 

確かに彼女は相応の歳を取っている「お婆さん」だ。言葉も時にはとげとげしい。でも、結婚する前に感じた「可愛い女」のイメージは私の中でずっとキープされているし、何より、私に対する優しい言葉よりも、厳しく投げつけてくる言葉がたまらなく可愛いのだ。時々、そういう気持ちを抑えきれずに感じていることを吐露してしまう。「変態じゃないの」とカミさんは言う。確かにそうかもしれない。でも、そういう変態ならば世間も許してくれるだろうと思っている。

 

私の体調が良いのは、仕事が楽しいことや、友人たちが励ましてくれていることも大きいとは思うが、何よりもカミさんの存在のおかげかもしれない。感謝、感謝である。