今日、年次有給休暇を取った。年度替わりで何日分かが消滅するし、年間に消化すべき日数がやや不足していて取得を促されていたため、わずか一日間だが支障のないこの日を選んで休むことにした。

 

しかし、何も予定はない。昨夜には雨も上がっていたので、桜でも見に行こうかとも思ったが、カミさんは行かないと言うし、一人じゃつまらないからやめた。

 

となると、することがない。PC内のデータを整理したり、本を読んだり、ビデオを観たり・・・。この3日間と同様のことを朝からしている。他にできることを持たない無芸大食人間はただ空気を吸い、ものを食べ、情報を右の耳から入れて左から溢しているだけの怠惰な暮らししかできないのだろう。

 

こういう時、いつもなら友人たちに声をかけて参集し、酒を飲みながら当てのない会話を繰り返し、マイクを持って好きな歌手の歌を、それもみんなが知らない曲を頑張って歌って過ごすだけで、十分に元気になれるのだが、今のご時世、笛吹けど踊らずで、みんな自宅から出てこようとしない。

 

無理もない。自分たちと同世代の人が肺炎を発症して命を絶っているニュースを聞くと、他人事とは思えなくなり、じっとしていようとなる。そこで俄の音信不通者ができる。メールやLINEで呼びかけても返答もないし、音声電話をかけても「今は電話に出られない」というまさかの応答メッセージ。

 

今だけ、という意識なのだろうが、実はそれが大変だということに気づいていないのだろう。変事が終息し、コンディションが整ったらいつでも会えると思っていても、お互いに相手の身勝手さだけが心の隅に残ってしまうことになり、疎遠の遠因となる場合もある。

 

だから、Keep in touch! という掛け声で別れることにしているのだが、どうも空手形ばかり振り出されている。いや、私も知らないうちに振り出しているのかもしれない。

 

それにしても、音信不通とはいやな響きだな。実は、中学校の同窓会名簿の私の欄にその言葉が書かれている。幹事には連絡を取り、面談までして名刺を手渡しているのに、未だに訂正してくれていない。まあ、それでもいいかと思っているが・・・。

 

確かに、携帯電話の履歴を見ると、音声通信の受発信はこのひと月無いし、メールはCMが来るだけ。LINEは私からカミさんへ送っている帰宅時刻の通知のみ。こういう世捨て人状態では音信不通と言われても反論できまい。

 

ま、無精も不義理もすべて新型コロナウィルスの感染拡大という得体のしれない物の怪のせいにして、しばらくは「頭隠して尻隠さず」を決め込むことにしようか。

 

いよいよ新型コロナウィルスの感染が拡大して、日常生活に大きな支障が出ている。経済的影響も大きすぎる。しかし、まだ敵の実態を知ることが出来ていないようだ。解明は、いくらかは進んでいるのだろうが、公表できる段階にはほど遠いのであろう。未だに何の情報もなく、闇の中だ。

 

検査が追いついていない。需要に対して検査体制の整備が不十分だ。ウィルスの生存期間がわからないため、陰性化が一時的なものであるかどうかの判定も出来ない状況だ。検査の信憑性が問われることもある。新しい検査方法の導入が急がれる。

 

入院患者の受け入れ態勢も十分ではない。隔離施設が不足している。人工呼吸器の設置数もあまり余裕があるとは言えないらしい。医療機関毎に対応基準を決めているため、医療機関側としてはどうしても過剰防衛気味に患者を拒む方向になっている。新型コロナウィルスとは無関係の患者にとってもリスクがあるため、通院を遠慮してくれという。投薬はviaネット。一月ぐらい検査が延びても問題なし、という姿勢なのだろうか。厚生労働省が拠点指定と明確な対応基準を取り決めないから、こうなるのだろう。何を恐れているのだろうか。お役人様の無責任な「責任回避」の仕業であることは言うまでもない。

 

それでも我が国は、日本は、よく踏ん張っていると思う。非常事態宣言をした北海道は今のところ感染拡大が鈍化している。これ以上遅れると危ないというギリギリのところではあったが、教育機関を閉鎖したり、イベントを中止するという政府が出した「自粛要請」はそれなりに功を奏している。

 

私が子供の頃、日本は何度かコレラ、天然痘などの「伝染病」危機があった。やはり、学校など教育機関を先ず制したおかげで大きな脅威とならなかった。でも、それは治療方法も治療薬もワクチンも既に開発されている「伝染病」だったことが今回とは大きな違いだ。今回の感染症はウィルスの実態が解明されていないので、隔離期間情報も治療方法も治療薬もワクチンも、何もない。それだけにこの頭上の脅威は本当に恐ろしい。

 

不安に対する風評が物不足を生み、売り惜しみなど便乗商売が横行している。私は、この事態に営利に走る店、困窮する人の足元を見る企業、不安をあおるだけの報道機関をしっかりとメモしておこうと思っている。事態が平成化した時、そういうことがあったと呟くかもしれない。いや、きっと呟くだろう。

 

それにしても欧州の状況は目を覆うばかりだ。まことに申し訳無いが誤解を恐れずに言えば、もし、日本が今の踏ん張りをギブアップしてオーバーシュートを招いたとしたらこうなる、という悪例が欧州各国にある。中でもイタリアは手のつけられない状況と言ってもいい過ぎではないと思う。

 

自己の行動への記憶がなくて感染経路の追跡が出来ない、他人への影響をあまり意識しない、虚偽の報告を平気でする・・・、もしこういう風土があれば国家政府がどのような施策を打ち出しても全く意味を成さない。イタリアがこうだと言うつもりはないが、災害時にも「譲る」とか「助け合う」ことが自然に出来る日本人は決してこうならないだろうという自負はある。しかし、今回の「ないないづくし」の感染病は一筋縄ではいかないだろう。油断は出来ない。

 

私は今、テレワークが叶わない職種、職場に勤めている。通勤のリスクをなんとか回避しながら、職場に出て、せっせと身体と頭を動かしている。決して自分の事を勤勉家とは言わないが、仕事をしないで家にいると気分が塞ぎ、体内のNK細胞が元気を失うと思う。健康に不安を抱えている私には、自己免疫性を上げる事は不可欠な要素であることは確かだ。だから、自宅待機など考えられない。

 

でも、土俵際での踏ん張りが破綻すれば、高齢職員は「職務を免除」となりかねない。若い人なら「有給で休めるからラッキー」というかもしれないが、私は休みたくない。週の出勤日数が減っても働きたいと考えている。仕事をしているから元気なのだから。

 

私は、当たり前のことだが、常にマスクをし、バッグには消毒用アルコールの携帯スプレーを入れている。電車はなるべく空いた席に乗るため、急行停車駅の駅前に住んでいるのに各駅停車を使っている。その分、家を早く出る。弁当を作ってくれているカミさんには申し訳無いが、かなり早めの出勤となっている。出勤すれば手洗いとうがいを実践しているし、PCのキーボードはもとより、仕事で車を運転する時にはハンドルやシフトレバー、ドアノブなども持参しているアルコールで拭くことにしている。

 

自分が罹るとどれぐらいの人に波及するか、いつも念頭に置いている。やった事、動いた経路は就寝前に備忘録に記している。せめて自分だけは感染を広げないようにしなければ、という意識は常にある。日本人なら当たり前のことだろう

 

とにかく、ワクチンが出来るまでの辛抱だ。偶然でも何でもいい。ある日、突然にワクチンが出来ていたという瞑想が頭を離れない。早くそうなって欲しい。

プロ野球界の名士、野村克也氏が逝った。享年84歳。テレビでは監督時代の様々な栄光の瞬間や晩年の老いて歩行もままならない状態の映像を流していたが、大阪人の私にはやはり南海ホークス時代の背番号19と、あの人懐っこい顔がイメージとしてずっと残っている。

 

子供のころから東京が嫌いでアンチ巨人だった私は、プロ野球があまり好きじゃなかった。それというのも、ラジオやテレビの放送はほとんどが巨人がらみで、大阪の民放ラジオだけが阪神タイガースの試合中継を放送しており、金に飽かして良い選手を引き抜いた強い巨人軍が鼻について嫌だったからだ。漫画も巨人一辺倒で、大スターONばかりが表に出て、他に選手がいないかのように脚光を浴びていた。まったく面白くなかった。

 

そんな子供だった私は、1958年にエース稲尾の大奮闘()で日本一になった西鉄ライオンズのにわかファンになったり、翌1959年にエース杉浦や皆川、俊足広瀬を擁して日本一になった南海ホークスに鞍替えしたりした。近い大阪球場がますます近い存在となった。要するに、巨人をやっつけてくれる球団が好きだったのだ。1960年からは一年中巨人をやっつけてくれていた(としか覚えていないが・・・)阪神タイガースも応援するようになった。

 

アンチ巨人はさも巨人を意識する裏返しであるかのように言う人がいるが、私はそうではない。大阪が好きで、東京が嫌いだから、巨人も嫌いなのだ。単純に地域ナショナリズムだといわれても、胸を張って「そうだ」と答える大阪人だ。東京一極集中で、今や一地方都市となった大阪だが、私の中では東京に引けを取らない、いや、勝るとも劣らない素晴らしい「土地」だと思っている。でも、そういう「大阪論」は別の機会に書くとして、ここでは省く。

 

地方出身者にとってプロ野球チームはメディアが扱う巨人だけで、他のチームはその餌食になる敗者的な存在であった。野球選手の多くは巨人にあこがれていた。だが、人気と資金力ですでにスター選手の宝庫となっていた巨人ではレギュラーになれないので、他のチームに入って活躍し、巨人に引っ張ってもらおうと思う選手も多かった。日本シリーズで巨人をやっつけたチームの名選手たちもかつてはそうだったに違いない。それほどプロ野球も一極集中となっていた。

 

そんな中で目立たないがONに勝るとも劣らない成績を残し、1959年の日本一に大きく貢献した名捕手野村克也がいた。彼もまた、京都府の田舎の高校から巨人にあこがれて1954年に南海ホークスへ入団したテスト生選手で、当初はクビになりかけの残留線上をさまよう選手だったが、学習機能に長けていて、人一倍練習をし、工夫を重ねて、4年目にして本塁打王のタイトルを獲得するまでに成長していた。背番号19は大阪の新しいスターだった。私は、そういう選手がいることは知っていたが、まだ幼かったし、巨人中心のプロ野球が面白くないのであまり気にしていなかった。それが、私が10歳の時(1959)、巨人に勝って日本一になった大阪のチームですごいバッターがいることを再認識し、ファンになった。

 

三冠王を取るなど、その後の目覚ましい活躍はいろいろなメディアで紹介されている通りだが、私が特筆したいのはやはり監督としてよりも選手としての彼の生きざまだ。大阪万博のあった1970年からプレーイングマネージャーとしてチームの指揮をとったが、8年目にシーズン終盤で解任され、ロッテに移籍した。その時、潔い引退を選ばず、あくまでも現役にこだわって、「生涯一捕手」であると語った。その執着が彼らしく、かっこいいと思った。

 

1980年のシーズン終了をもって45歳で引退した。まだまだやれるのに・・・。すごく寂しかった。しかし、そんじょそこらの監督では使いこなせない超大物だ。使いづらい選手は引く手がない。かつての打撃も姿を消していた。引退は時間の問題だった。

 

でも、やはり選手として野村克也氏は偉大であったと思う。不幸だったのはONと同じ現役時期だったということかもしれない。「エリート」に対峙する「たたき上げ」だ。大阪の下町で生まれ育った者ならば、後者を応援したくなるとのは必然である。それはひがみや妬みではなく、百姓の小倅日吉丸から天下人に成り上がった太閤さんを誇りに思う大阪人の血が招く境地だった。

 

その後、10年間は解説者をする中で野球理論を練り上げ、1990年からヤクルトの監督として万年最下位チームを日本一にまで育て上げた。以後、阪神を経て楽天の監督を2009年まで務めた。考え、分析する野球を浸透させた。指導者としても大成し、素晴らしい業績を残した。月見草は蘭であった。

 

ご冥福をお祈りします。

 

 

カミさんが「恥ずかしいから」と言って二つ折りから薄っぺらい平板状の携帯電話に変えて1年半経った。私は相変わらず月に12度しか受信しない「世捨てられ人」状態だが、カミさんは常にメールやLINEのメッセージを受発信したり、誰かと話したりしている。使用頻度にかなりの開きがある。彼女も、電車に乗ったら携帯電話ばかり見ているのだろうか。あれだけはして欲しくない。アホに見えるから・・・。

 

駅や道路を歩きながら携帯電話を見つめているアホが本当に多い。中には横断歩道もそんな状態で渡ったり、自転車に乗りながらのドアホもいる。私にはそういう人達はやはりアホとしか見えない。迷惑だからやめてほしい。世の中に迷惑ばかりかけている人種は要らない。存在だけで迷惑な反社会的勢力、嘘ばかり言っている政治家、善良な人を騙す詐欺師、安眠を妨げる暴走族・・・、挙げるときりがないほどいる。すべていて欲しくない奴らだ。携帯電話に憑りつかれている人たちもいずれその中に入るかもしれない。

 

先日、ある商業施設で携帯電話の勧誘を受けた。私はずっとドコモを使っているが、勧誘はその競合キャリアで、いかにドコモの料金体系がひどいかをとくとくと説かれた。以前から思っていたことだが、確かにひどい。国会で料金引き下げを求められ、下げることを約束したはずなのに、小手先だけの改変で実質的には一つも下がっていない。こんな欺瞞的な姿勢を取っていると、私のような永年ユーザーを失うことになるということが判らないのだろうか。ユーザーはいくらでもいると思っているのだろうか。シムフリーが進み、携帯電話の浸透率が頭打ちになり、パイの食い合いとなっているのに、今後が見えない愚かな元国営の企業である。

 

その勧誘を受けた時は変更せずにそのままにしておいたが、私は既にキャリアを変更して他のキャリアに乗り換えることを決めている。あとは、カミさんを説得して、二人同時にどこかへ変わるつもりだ。機種が変わると操作方法を覚え直さなければならないので、私は平気だがカミさんは嫌がるだろうな。でも、料金が大幅に下がるといえば、納得してくれるだろう。

 

機器の性能も、やっているサービスも、提供されているアプリケーションも「ほぼ」同じだ。乗り換えに何の障害もない。都市部で話ができて、メールのやり取りができて、乗り物の時刻など簡単な検索ができればいい。そんな私の使用状況ならどこの携帯電話でも同じだ。

 

ほぼ、で思い出した。カミさんと食品スーパーで買い物をしたとき、そこにあった商品の名前を見て二人で大笑いした。

「ほぼタラバガニ」

上手いネーミングだ。

2020年もひと月以上過ぎ、寒さも厳しくなってきた。今、まさに、この冬一番の寒波が来ているが、まだ例年に比べて厳しさはましだと思う。やはり異常気象であるといえるだろう。そんな折、中国武漢市から発生した新型のコロナウィルスによる肺炎は世界的な広がりを見せており、猛威を振るい始めている。

 

私の周辺ではひたひたと押し寄せる未知の感染症の危機に異常なほど恐れる人がいて、中国武漢市にある細菌兵器開発機関での手違いにより発生した感染病害であるなどと大声で風評をまき散らし、周囲をさらなる不安に貶めている。愚かしい。実に愚かしい。致死率から言っても、細菌兵器としてはあまり効果のある題材だとは思えない。でも、発生の経緯や中国の市政府や中央政府の初期の対応を考えるとそういう疑いが出てきてもおかしくはない。でも、一笑に付すべきだろうと思っている。

 

しかし、日本政府にしても、また、WHOにしても、当初よりは厳しい見解に変わっては来ているが、さほど深刻な事態とは思っていないように思える。この病原菌の実態が少しずつ解明されてきていることと、ワクチンの開発が進みだしていることが裏にあるからではないだろうか。でも、寒波の到来時期となった今、できるだけ感染を水際で食い止めておかなければ、やはり多くの人が犠牲になる可能性があることは否めない事実だ。国内からも死者が出たようであるし、危機であることには変わりない。日本政府には徹底した対策を期待したい。

 

それにしても、この肺炎のおかげで大阪の街は静かになっている。道頓堀や心斎橋筋、黒門市場に至るまで、観光客が大きく減少している。昨日は京都に行ったが、京都駅やその周辺にはあのウジャウジャいた中国人が殆どおらず、街が歩き易く感じた。マナーの良くない中国人客がほとんど見られなくなり、気持ちよい環境が戻ってきたと感じている。ついこの間まで、わが街の小さな食料品スーパーにまで押し寄せて大声で売り場通路にたむろし、買い物の邪魔をしていた中国人たちが消えたことは大歓迎だ。

 

政府の反日姿勢が徹底反映させられている韓国からの来日客もいない。中国人もいない。こんな素晴らしいことはない。私は観光客にぶら下がって暮らしていないから、来日する観光客が減ることを歓迎する一人だ。そもそも日本の観光は日本人だけのためでよいのだ。それでも十分に潤う仕組みに戻すべきであると思う。

 

自分が儲かるなら、国や地域、また、その将来などはどうなっても自分には関係ない、と考える人が増えていないか。カジノを含む統合型リゾートを積極的に導入しようとしている人たちはすべてこの類だといわれても仕方がないと思う。観光資源は、ほとんどが一度破壊されると元には戻らない貴重な、みんなのものだ。取り返しのつかない状況に陥る前に、もっと高い位置から自分たちの住むこの国を見つめてほしいと思う。

 

マスクや消毒液が不足している。今回の感染事態で通常ではあまり使用しない人も準備し、使い始めた。当然ながら、需要が増し、供給が追い付かない状況となっている。品薄になると危機感が募り、買い占めが生じ、売り惜しみや転売益を当て込む者も出てくる。さらに、大量に買って自国への土産とする観光客もいて、感染症対策商品が売り場から姿を消している。これもまた愚かしいことだ。

 

まだ私が若かった頃の石油危機でのトイレットペーパー不足事件を思い出す。あの時も風評が買い占めとなり、売り惜しみを生み、世の中がおかしくなった。暫くして製品増産により不足事態は徐々に解消し、ついには以前の状態に戻ったが、各家庭や会社が高価な購買でストックしたものを消化するため、せっかく売り場に戻ってきた商品量が反動でほとんど動かない時期があり、メーカーや流通業界が困った経緯がある。買い占めと売り惜しみで設けた利益が飛んでしまったとも聞いた。愚かしい風評被害だが、今また同じ轍を踏もうとしている。

 

この狂騒劇はまだ始まった段階で、しばらく続きそうだ。マスコミも連日トップ記事としてしつこく取り上げ、不安を煽っているように感じる。報道の仕方に少しは配慮があってもいいと思う。ま、マスコミというものはそういう良識がある人は生きていけない業界のようだし、善処を期待するだけ無駄かもしれない。

 

我々一般市民は、今はただ、まず病気に罹らないようにすることに努め、不要な外出を避け、うがいを手洗いを徹底し、きちんと睡眠をとり、異常を感じたら普段よりも敏感に医療機関を訪れるなど、自衛するしかない。そして、じっと蹲って、嵐の通り過ぎるのを待つだけである。

 

 

 月に一度の眼科診療の日、1130分の診察予約時間に間に合うように家を出た。自宅から駅のホームまでは3分。1013分発の空港急行難波行きはさほど混雑することもなく、新今宮駅に定刻に到着した。

 

車内は、相変わらずアジアからの旅行客が大きなスーツケースを1個ずつ携えている。これが帰国時には、ほとんどの人が23個となる。バッグも日本で買うと品質がいいので、少々割高感があってもそうするようだ。でも、日本で売られている旅行用のスーツケースはほとんどアジア製。なのに、なぜ割高なバッグを買うのかといえば、出発国で買うと手荷物料金がかかること、ハンドリングが大層になることなどがあげられるが、何よりも同じメーカーの商品でも日本で買うと粗悪品をつかまされることがほとんどないからだ。

 

日本は狭い。品質のクレームも細かい。ずさんな品質管理では商売が続かない。だから、輸入業者は受入検査をしっかり行う。同じ商品でも日本向けは細かい仕上げをしっかりする。中国では裏バリ研磨も不十分で、私は指を切ったこともある。それも日本の電機メーカーの現地工場製品で、だ。品質に対する消費者の厳しい目がないからだろうと、当時、私は思った。確かに、現地の人はものを一つ買うにもかなり細かくチェックする。私は、まさか百貨店で粗悪品はないだろうとさっさと選ぶが、ローカルスタッフは10個ほど見て一つを選んだりしていた。粗悪品が混じっているのは当たり前とのことと、日本とは前提が違うのだと思った。

 

だから、彼らが炊飯器などを日本で買うのはよくわかる。日本ではディスカウントショップでも粗悪品は少ない。さらに、買ったバッグに化粧品などをぎっしり入れて帰国する。日本で買ったバッグは帰国して誰かに売ったりするようだ。日本での購入品だから売れると知人が言っていた。そういえば、私が駐在していた当時、ローカルスタッフが私のバッグを欲しがったので進呈したことがあった。使い古しだし、日本製ではないのに、日本で買ったものだろうから売ってくれというので、ただで上げた。常に日本と行き来していた私はさほど大きなバッグも必要なく、完全帰国の際は荷物を別送したため、大きなバッグはなくても問題がなかったからだ。あれから123年経ち、現地の品質事情も向上しているはずだと思っていたが、いまだに粗悪品が横行しているらしい。

 

今日あたりから春節休暇で中国からの旅行者がどっと増える。新型ウィルスによる肺炎の感染が心配される。そのため、駅員も、クリニックスタッフも、薬局の薬剤師も、デパートの売り場スタッフも、レストランのウエイトレスさんも、みんなマスクをし始めた。私も帽子をかぶり、マスクをし、イヤホンで音楽を聴きながら、度付きサングラスで本を読むという落ち着かない乗車スタイルだった。

 

駅や車内、繁華街での中国人のマナーの悪さは相変わらずで、彼らの来日がますます嫌いになる。インバウンドを歓迎するのは安ホテルや薬局、レストランなどの観光にぶら下がっている業界人だけで、多くの一般人は迷惑しており、中国人など来ないでくれと言いたい。まだマナーのましな韓国人が減った分、ひどいマナーの中国人が増えているから最悪だ。

 

関西線のアクシデント(倒木除去)で、新今宮駅でかなりの時間を費やした。おかげでさくら夙川駅には診察時刻ぎりぎりの到着となった。いつもはクリニック側の進行が予約時間を大きく過ぎることも多いのだが、今日はすんなりと進み、院外薬局で目薬を購入し、時計を見ると正午を少し回ったところ。これなら尼崎での好きな歌手の一人が出演するミニ歌謡ショー(キャンペーン)に間に合うかもしれない。

 

1210分すぎにJR尼崎駅で電車を降りた。駅にある付近案内図を見たが目的の「イオン尼崎」が載っていない。スマホで調べると徒歩24分とある。その歌手の本日のキャンペーン2本目は15時に八尾だから、おそらく、尼崎分が終了するとすぐに移動するはずだ。行ってもセットの片づけさえも終わっているころだろう。もともとは間に合うはずもないから予定していなかったことでもあり、あきらめた。いつかどこかで・・・。仕方ないので、駅前のモールで食事をして、周辺をぶらつき、2時間余り滞在して、帰途に就いた。

 

それにしても尼崎は久しぶりだ。いつもは通過点でしかないのに、こんなに時間をつぶしたのは初めてかもしれない。以前の私は尼崎といえば阪神電車の尼崎駅周辺のことで、JR線はまるで縁がなかった。それが、眼科の先生が千里丘の病院を辞め、ご母堂がやっておられたさくら夙川駅前のクリニックを後継する形で移られたので、追っかけして通うことになり、JR線を使うことになったのだ。大阪人にとって阪神間はJRよりも阪神電車のほうが馴染み深い。なんといってもあの球団のホームグランドがあるのだ。

 

そういえば、甲子園球場にもすっかりご無沙汰だ。薬の副作用で汗が出なくなり、体温調節ができず、夏季の外出が苦手となったため、大阪ドーム以外では観戦できないのだ。仕方なくテレビ観戦をもっぱらとしているが、やはり私が現場に行かないとあのチームは勝てない。とは、阪神ファンの大半が思っていることだろう。私も大阪生まれの大阪育ち、大阪府民である以上、阪神タイガース以外の球団は知らない。

 

眼科クリニックへは毎月通うことになっている。月に一度、これまでとは異なった景色を見ることが楽しみとなっている。

 

歳をとって意識するようになったことは、「美しく歳をとる」ということ。高齢者なら誰しも汚い年寄りにはなりたくないだろうが、家族のためにも、自分自身のためにも、人生のエピローグは自分への賛辞で締めくくりたいと思う。それは定年退職をした満60歳あたりから意識し始め、特に大病を患って苦しんでからは強く思うようになった。要するに、「かっこいいおじいちゃん」と思われたいというやや軽薄な動機だ。

 

しかし、社会の第一線から遠ざかると、自ずと衆目から距離を置くようになり、徐々に身綺麗さを意識しなくなる。そうなると年寄りは自分の殻に閉じ籠り、傍目を気にすることなく、悪印象を振りまいて唯我独尊たる老害に陥る。それはしたくない。

 

とは思いながらも、気を緩めると勝手にそういう方向に行ってしまうのが年寄りの悲しい性で、おそらく私も周囲から、「あの人は年寄りだから仕方ないか」、「歳は取りたくないものだ」などと思われるようなことをしでかしているのだろうと思う。今さら若返ることなどできないのだからある程度は高齢化現象を我慢してもらうとしても、できるだけ歳に抗って、美しく年輪を重ねてゆきたいものだ。

 

そこで意識しているのは、背筋を伸ばすこと。わき目も振りながらゆっくりと、しかしちゃんと前を見て歩くこと。動作にメリハリを持たせ、目にはいつも笑みを湛えていること。スローガンとしては「常に紳士たれ」だ。

 

しかし、無意識に粗野な流れに呑み込まれたり、何かにがっついているみじめな自分を見る時がある。そういう局面から距離を置かなければいけないのに、懸命にあくせくしていることがある。気を付けなければならない。

 

先日、十日戎のお参りに今宮戎神社へ行った。110日金曜日の夜で、不景気運に加えて、翌日からの三連休を控え、参道の入口からごった返しの大混雑だった。特に境内に入ってからは、とても善男善女とはいえない粗暴な押し合いの人波に吞まれてしまい、向う脛をしたたか蹴られたり、何度となく踏まれた靴は傷だらけになっていた。

 

何も、その時に荒行のような参拝をしなくても時間をおいてお参りすればよいものを、無理に断行した自分を愚かだと思う。とても紳士とは程遠い行いだったと、あざが残った脛を撫でながら深く反省している。自覚すべきことを失念しないように、常に自分に言い聞かせなければいけない。

 

スローでいいと思う。迅速に、手際よく、スマートに行えなくてもいいから、端折らず確実に、一つずつこなしてゆくことが肝要で、地味で目立たなくても結果的には「紳士然」となると思う。そう心がけよう。

 

他にも、歳を取ってからなおさらに意識していることがある。それは、紙をめくるときに指を舐めないこと。同じ話を何度もしないこと。わかったふりをしないこと。カッカしないこと。何よりも、パッチなどズボン下を穿かないこと。

 

と、ここまで書いてきて気が付いた。また、いつもと同じことを書いている。やはり年寄り症状か。ネタが乏しいのだろう。でも、いつも軸をぶれささずに一貫しているから、開き直って良しとしよう。そして、今年も生き急がず、スローな生き方を極めてゆきたい。

2020年の三が日は、大阪では少し寒さはあったが、穏やかな気候に恵まれた。いい正月を迎えられたことに心から感謝している。その感謝の対象は、といえばカミさんに決まっている。今年も元気に一緒に暮らしてくれている。実にありがたいことだ。私などとっくに見放されていても文句が言えないのに・・・。

 

元旦はゆっくり目覚め、いつものように娘夫婦と住吉大社へ初詣。おみくじは中吉。昨年は大吉だったからワンランクダウンなのだろうが、私の場合は凶でなければそれでいいと思っているから、大いに満足している。

 

お参りののち、娘たちとは住吉大社駅で別れて、帰路に大型商業施設で買い物と食事をした。バーゲンに弱い体質のためか、薄手のカシミヤセーターを年末に続いてまた買ってしまった。これで同じようなセーターが色と形の違いで10着となった。「なんでそんなに要るの?」とカミさんから嫌味を言われたが、ローテーションがし易くなるから何枚あってもいいと思っている。でも、罪悪感も少しあり、昼飯をおごってしまった。

 

私は、低俗な冗談だが、ふざけてよく言うことがある。それは、中年の男女が食事をした場合、女性が支払うとそのカップルは「夫婦」で、男性が支払うと「不倫」の間柄が多い、ということ。勿論、当てはまらないケースも多いと思うが、それをネタにしてカミさんによくおごらせている。でも、今回は私が会計をした。

 

「あ~あ、不倫と思われているワ」

「あんた、アホやな。いっつもおんなじ事ゆうてるやんか。向こう(店側)は何も思てないワ」

 

こういう会話も結構食事を楽しませてくれる。今年も元旦から楽しいデートとなった。

 

年賀状はほぼいつも通りで、元旦に届くように投函してくれた人に感謝だ。私の書いたものは、私が暮れの30日に投函したので、おそらく相手には3日に届いたと思う。一年の計は元旦にあり、というが、今年も俊敏さの欠如が問題かもしれない。

 

あくる2日は、これもいつも通りだが、子供たちが来てくれた。娘夫婦と息子の嫁、孫だ。息子は仕事で来られなかった。昨年秋から彼の顔を見ていない。元気で頑張っているとのことなので心配はしていないが、子はいくつになっても可愛いもの。会いたいなと思う。

 

楽しい時間は早く過ぎ、みんなが帰って、カミさんと二人きりになると寂しさに襲われたが、それも一時で、いつものように韓ドラを観るカミさんの隣で、イヤホンで音楽を聴きながら本を読んでいた。これはこれで、私にとっては至福の形なのである。

 

そして、今日(3)、カミさんは録り溜めた韓ドラの消化に一日中勤しみ、私は年末に買い替えたPCのセッティングに時間を費やした。従前のような使い易さはまだまだ復元しないが、そのうちに慣れてくると思っている。PCOSのメーカーサポートが切れるために職場でも入れ替えをしており、時期が重なってしまったために面倒臭さが倍増しているが、ま、すぐに何とかなるだろう。

 

新しいPCはやはりいい。動きが滑らかで素早い。何よりも電池容量を心配しなくてすむ。今回は私の部屋のPCだけを更新したが、カミさんのものもリプレースが必要なので、5月のGW後にするつもりをしている。彼女はPCの使用頻度が高く、韓ドラに次ぐ時間を費やしているようだと思う。SNSはあまり好きではなさそうだ。あの歳(内緒!)にしては結構進んでいる方だと思う。

 

使途が何であれ、彼女ほどPCなどに親しんでいるとボケる恐れは少ないと思う。もし、ボケるとしたら韓ドラの後遺症かもしれない。あれは罪深い。カミさんには気の毒だが、すでに中毒化してきているようで、慢性化の副作用が出ているだけに怖い。日本には韓ドラの放送は要らない、と声を大にしたい。それにしても、韓ドラの女優たちは確かに美しい。あれ、話が変な方向へ・・・。水は低きに流る、か。

 

 

 いつの間にか大晦日。顧みれば今年も大過なく、元気に過ごすことができたと思う。いつも一緒に歩いて苦しい時も明るく支えてくれているカミさんをはじめとする家族の皆や、温かい励ましの言葉と楽しい時間を与えてくれている多くの友人、知人、そして、私の身体を優しく労り、見守ってくれている医師の方々、この一年間で最も長い活動時間を共に過ごしている職場の仲間、上司に、感謝している。また、いつも安らぎの風を送ってくれた様々な音楽や本、絵画など、心を穏やかにしてくれた感性のアートとその送り手の皆さんにも感謝している。

 

私の70年余りのこれまでの人生において、還暦以後に得たものが本当に多い。特に、病気を患ってから、その戦いの中で解ったことが実に多い。一人じゃない。感謝の気持ち。世の中は善意に満ちている。前を向いて歩いて行けば必ず道はある。何よりも、あきらめないということ。これらを心底から実感した。癌と闘って7年半、長く厳しい道のりだったが、あっという間のことのような気がする。つまり、その瞬間、瞬間をしっかりと生きてきたからだと思うし、見過ごしてきたものが見えるようになったことでの新たな発見が次々と生まれ、息つく間もないほどの感があったということなのだろう。

 

明日から新たな一年が始まる。多くの支えに対して感謝の気持ちを示すためにも、誰かにこの貧弱ではあるがそれなりに経験が滲んでいる背中を見せるためにも、私はまだまだ元気に生き抜いていかなくてはいけない。この生き様を語ることで、一人でも多くの人が生きる辛さや苦悩に打ち勝ち、それを乗り越える幇助となることを願い、来る年も頑張りぬく決意である。

 

私も確実に歳を取っている。固有名詞が意識の表からどんどん隠れ、瞬間のアクション目的が消え、およそ俊敏とは正反対のドジでのろまな動きの果てに、やれあっちが痛い、こっちが痛いというのが口癖になっている。そんな私であるが、美しく歳を取るために心がけていることがある。それは背筋を伸ばすこと。疲れた時、苦しい時、つらい時に背筋を伸ばすと元気が蘇る。先輩から教えられた「紳士たれ」という言葉を行動に移す第一歩は、その背筋を伸ばすことだ。年寄臭い動作はやはり嫌だもんな。

 

と、堅苦しく書いてきたが、今、私がいる部屋はカミさんが紅白を観ているリビングルームに隣接している部屋であり、暖房が入っていないのでかなり冷えている。おのずと背中が丸くなっている。早くこれを書き上げて、隣の間に行こうと思う。そろそろお目当ての歌手(アーティストとは呼ばないよ)が登場する頃かな。暖かい部屋でアイスクリームでも食べながら、カミさんに叱られるかもしれないがテレビの画面に映し出される憧れの歌手と勝手デュエットをして、今年一年を締めくくるつもりだ。

 

あっ、ペンライト、どこに仕舞ったかな。

今日の大阪は雨の予想が外れ、曇り空だが傘無しでも大丈夫だった。昨日までの3日間、暖かい日が続いていたので、平年並みに戻った今日は少し肌寒く感じた。明日からは気温がぐっと下がるようだ。セーターは既に着ているが、コートやマフラーはまだ出番になっていない。でも、そろそろスタンバイかな。

 

今日はデート。カミさんと眼科クリニックへ一緒に行った。私は逆さ睫毛の処理、カミさんは検眼。医者嫌いのカミさんが目の不調を訴えたので、私が追っ掛けして診てもらっている眼科医を紹介した形だ。我が家からは結構遠いが、近所にはいい医院が見当たらず、夙川まで通っている。

 

元来、保守的な私は、これはと思う医師に出会うと、ずっとその人にお願いしている。歯科医は40年来の付き合いだ。眼科医も、数軒行って失望を繰り返していたが、妹に今の医師を紹介され、ビンゴだった。苦しんでいた症状をさっと解決してくれた。以来、その医師が勤務先を替えるたびにあとを追いかけた。そして、先月から夙川に通っている。その医師が実家のクリニックを継承したので、恐らく、この先の転勤はないだろう。

 

それにしても、片道80分×2、交通費は往復で1,980円だ。さらに予約時間から1時間以上も待たされて、僅か10分間の診察と処置をしてもらう。支払った医療負担額は290円。年次休を取ってその半日以上を費やしている。なにか歪な感じが残るが、それまでに酷い眼科で苦しめられたから、私としてはこの現状を満足している。

 

しかも、今日はカミさんと一緒に行動ができたのだ。それだけで嬉しい。一緒に歩き、一緒に電車に乗り、待合室でも一緒だから、診察遅延も苦にならなかった。といってもこれは私側から言うことで、カミさんは多分、嫌がっていると思う。でも、いい。私が幸せだったら、それでいい。

 

帰路、梅田で遅めの昼食。カミさんは自分の好みを抑えて私の好きな料理の店を選んでくれた。カミさんと私は趣向がまるで異なる。食べ物も音楽もファッションも娯楽も・・・。そんな夫婦が40年以上も同じ道を一緒に歩いている。ひとえにカミさんの努力と辛抱の賜物だ。感謝、感謝だ。毎日家で一緒に食べているのに、それでも外食は楽しい。笑いの絶えないひとときだった。

 

中年以上の男女ペアが食事に行くと、支払い方で関係がわかるという。つまり、女性が払うと二人は夫婦で、男性が払うと不倫関係なのだそうだ。最近では我が家もカミさんが払ってくれるようになったが、まだ私が現役だった頃はいつも私が払っていた。不倫と見られていたのかもしれない。でも、女性が着飾っていないから、やはり夫婦だと見破られていたのかな。

 

昼食後、最近の梅田に馴染みのないカミさんを案内して、少し散策した。カミさんは今の気候に会うコートを探していたようだ。お金はないが、時間はある。ゆっくり探してもいいと言ったが、淡白な彼女はまた別の機会にすると、簡単に諦めていた。そういうところも私と異なる点だ。

 

ともあれ、通院という特殊事情ではあったが、わたしにとっては嬉しい一日だった。