7月20日、私はまた一つ歳をとった。71歳。既に老域に入っているが、誕生日が嬉しいものであると心から言える自分は果報者だと思う。1年、1年を大切に、この間の思い出を心の奥深く刻んでいる。

 

だが、それは生き急いでいるのではなく、むしろ反対にスローな人生を楽しんでいる。あれもしたい、これもしたい・・・。残されている人生の時間はそう多くない。でも、焦りはない。生かせてもらっているのだから・・・。

 

一度は死を覚悟した者にとって、生存していることはそれ自体が宝物であり、恵まれた身上だと言える。そして、その生きる姿はなにがしかの使命が必ずあり、本人の意思、自覚以上に重みがあるものだと思う。

 

しかし、その足跡に成果を求め、何かと比較するような愚かな人はいない。目標はあれども評価はない。それが生き方を変えた時点を境とする前後の違いだろう。生きていることに至上の価値を感じる者にとって生活内容の評価は要らない

 

8年前、事務的に淡々と告知された疾病。不安が頭の中で渦巻き、心が砕かれる中で、手探りで生き方を掴み、まさにその日、その日を必死に筋書き無しの人生を送ってきた。余裕などあるはずがない。しかし、苦しくはなかった。いや、苦しさも楽しい経験に置き換えてくれる心の支えは実に多かった。

 

糟糠の妻、子供達とその伴侶、孫、弟妹など親族、友人、職場の仲間など、多くの人の温かさが実感できた日々。振り返るとあっという間の8年間だった。

 

今日からまた一年、次の道標に向かってさらに進む。スパンは徐々に短くなっているかもしれないが、また、速度も遅くなっているかもしれないが、歳相応に同じペースと感じる歩みで、来年の7月20日が迎えられるように楽しみながら進んでいきたい。

 

その今年の誕生日を、私は休暇を取って、しかし、どこへも行かずに、いつものように妻と二人の暮らしの中で過ごすことにしている。実に自然体でいい。今の私にとって至福の形だ。

 

そういうことに配慮したわけでもないと思うが、子供たちは事前に来てくれた。それも嬉しいことだった。

 

さて、罹れば重症化が必至とされる感染症が蔓延する中で、身の安全を求めながら、印象深いものになるはずの今年の誕生日のプログラムが始まった。楽しまなくっちゃあ。

夏痩せ、私の中では既に死語となっている言葉だ。暑さで食欲が振るわず、体重が落ちて行く・・・、なんて健気な体調とはもう15年以上ご無沙汰している。夏こそ体重が増加気味なのだ。仮に今、夏痩せ状態になれば、私は大歓迎したい。恥ずかしながら、気温に関係なく飯がうまいから、何でもよく食べ・・・。困ったもので、食欲旺盛そのものだ。

 

今日は友人たちと久しぶりのひるめし。大阪駅で待ち合わせ、ルクアという駅に隣接した商業施設の10階で食べた。平日でも正午過ぎは普段なら込み合っているが、このご時世だけに空いていた。緊急事態宣言が出ていた期間は店も休業していたが、その後の緩和で再開し、週末は人出もかなり戻っていると聞いている。しかし、部分しかうつさないニュースと違って、自分の周囲360度をスキャンした平均値は客よりも店員のほうが多いようだった。

 

昼間から肉料理を食べた。私は、どちらかというと肉よりも魚、野菜派だ。日頃から肉はあまり食べない。肉食系でパンが好きなカミさんとは正反対といえる。友人たちの中にはやはり肉食系がいて、いつもなら私が魚中心の店を選んでいるのだが、それになにがしかの不満があったのだろう。今日は機先を制された。当然ながら、控え目で気の弱い(と自分だけは認めている)私はみんなの決定に従うこととなった。夜でも肉はあまり食べない私が昼間から・・・。体内を激震が走った。

 

でも、このままでは終われない。せめて一太刀なりと・・・、という思いが嵩じてささやかな抵抗を試みた。酒を抜いたのだ。友人たちは私のふるまいを付き合いが悪いと思ったことだろう。飲んでいる隣でシラフなんて、私を知る人は驚くに違いない。飲みたい気持ちを必死で堪え、酒類は一滴も口にしなかった。

 

どうせこの状況下ではカラオケは行くまい。ならば酒の勢いに力を借りることもなかろう。理路整然とウンチクを述べていればいい。もともと酒には強くない。口卑しいから飲んでいるが、旨い酒は1合までで、それも初めの30分だけだ。その後は修行に代わる。

 

お開きとなった後、気の小さな私は飲んでいた友人に悪いことをしたと反省し、メールを送ったが、返事の語気がきつかった。確実に向こうは気分を害していたようだ。楽しいはずの会食がグレードを落としてしまった。もちろん、犯人は私である。昼間の肉料理はトラウマと化しそうだ。

 

友人の一人と下階の売り場に行き、ぶらぶらしているとシンプルなバッグを見つけた。一目で気に入ったが、買えばまたカミさんに言い訳しなくてはいけない。出てくる言葉は決まっている。

「なんで、そう次から次へと同じものばかり・・・」

何か言い訳する道はないか。いろいろと考えるが、ストーリーが浮かばない。いつもならここで諦めるのだが、「肉」の祟りか、衝動的に買ってしまった。

 

さあ、どうしよう。うん、帰宅したら、ひとまず車のトランクに入れ、手ぶらになろう。然る後に折を見て持ち帰ればよい。ただ、雨期である。車に置いておく時間が長いと皮革が傷み、カビが生じるかもしれない。勝負は今夜半、カミさんが眠ってからだ。

 

何気ない顔で帰宅すると、早速カミさんが訊いてきた。

「美味しかった? 何を食べたのかな? 夜は質素でええよね」

「うん、肉を・・・」

「何? 肉―っ?」

案の定、夕食は質素倹約型であった。塩梅は恨みの涙が入ったのか、関東タイプ。食べた心地はしなかった。でも、入浴後の体重計は前日よりもプラスだ。こんな気疲れの中でも確実に太っているから不思議だ。

 

さてさて、私は今夜、カミさんにバレないようにバッグを持ち帰ることができるだろうか。

半夏生も過ぎ、梅雨も終盤に差し掛かった。この時期、前線が停滞して九州南部に大雨を降らすことがよくあるが、今年も大災害となって甚大な被害を出している。被災された方々には心からお見舞いを申し上げます。

 

とにかく、雨量が半端じゃない。山間地の多い九州では地盤が緩んでおり、水害に併せて土砂崩れなどが起き易くなっている。むしろ危険度はこれからのほうが大きいかもしれない。十分な注意が必要だ。新型コロナウィルスの感染に対する警戒からか、避難所への移動を躊躇う人も多いようだ。しかし、ウィルスは回避できる余地は多いが、豪雨による災害はたちまち生命に危険が及ぶ。まずは早めに避難されることを切望する。

 

新型コロナウィルスの新たな感染者数が怖い兆候を示している。蔓延の第2波だ。東京とは人の移動でしっかりつながっている大阪も少しずつ増え始めた。このままでは東京の危険が日本中に拡散する恐れがある。東京を封鎖し、人の出入りを止めなければならない。この場合の東京とは東京都市圏のことだ。

 

補助金の捻出が難しくなってきているため、政府や東京都は休業要請を出したくないのだろう。だったら、市民レベルで夜街を休業へと誘導するしかない。つまり、客がいなければ休業するのだから、皆が行かなければいいのだ。

 

そういう簡単なことが難しいのが東京という住まう地域への責任性が極めて低い寄り合い所帯都市だ。あのニューヨークの二の舞になる可能性は高い。だったら、東京から遠く離れている近畿地方は、東京との行き来を絶ち、「うつらない、うつさない」を徹底するしかない。

 

今回のウィルスはまだ全様が解明されていない。というよりは、あまりにも知らないことばかりだ。特に不透明で怖いのは、他の疾病との合併症や、後遺症だ。治癒の判断がつきにくくなっている。ワクチンができるまでは家でじっとしよう。自分ひとりが罹るだけでは済まないのだから。

このところ、足裏の膿瘍が痛み、杖をついているが、それよりも深刻なのは目だ。目の疲れが酷いし、小さな字が読めなくなった。これまでも良くはなかったが、深刻に捉えてはいなかった。それが、先週の月曜日に職場の月度会議があり、改訂された新形式の会議資料の文字がすごく小さくて閉口することがあり、かなり落ち込んだ。ちょっと前まではこの程度の文字が読めていたのだ。遠近両用眼鏡の下の淵を使っても読めない。仕方がないので、細かい図面を読むために家から持ってきていたスピーゲルの置き型ルーペを取り出し、文字を追いかける醜態を見せた。

 

さらに、その4日後の金曜日にカミさんと西宮市夙川の眼科に行った折、視力の衰えを痛感し、白内障の手術を勧められた。考えてみますと答えたが、事態はかなり深刻だと痛感した。人として、補佐を受けることなく自由に生きて行くには視力は最重要なものだ。ましてや、今の社会ではすべてが目の見える人に向けた仕組みとなっており、視力を失うことはかなり厳しい暮らしを覚悟しなくてはいけない。こう言うと視力を失っている方には本当に申し訳ないが、今ある暮らしは見えることが前提で成り立っていると思う。

 

実は私は隻眼だ。ものが判別できるのは右目だけで、きつい弱視の左目は歩行さえ困難な視力なのだ。出産時に生じた不具合で、物心がついた時分にはそれが当たり前のこととしていた。だから、見えるほうの目が埃などで見えなくなると途端に困り、立ちすくむしかなかった。目の疲労も激しく、目をいたわるために無理はできなかった。遠近感が弱く、スポーツや車の運転など、いつも工夫してきた。そんな私だから、見えないことの怖さを健常人よりも知っていると思う。

 

しかし、読書が好きで、映画が好きで、PCやワープロにはかなり早くから馴染んでいたため、目を酷使してきた。さらに、睡眠時間の短いことが追い打ちとなり、遠視を意識し始めたのは38歳だった。その後もどんどん老眼が進み、今ではかなりきつい老眼の遠近両用メガネを外せなくなっている。そして、今回の仕儀である。恥ずかしい限りではあるが、考えた挙句の結論は、メガネの上からかけられる〇〇〇ルーペのお世話になることだ。仕方なく、1.6倍を購入した。

 

以前、ネット通販でPC用の老眼鏡を買った時、やや廉価なお勧め品にしたが、これが目をかなり悪くした。目に関わることはあまりケチるとよくないと思った。しかし、潤沢な資力があるわけではない。そこで、ショッピングセンターにある比較的低額で良品といわれるブルーライト対応メガネ店に行き、試しに一つ、対ディスプレイ距離に合わせたPC用の老眼鏡を買った。それが具合よく、PCワークでは手放せなくなった。今では3本を家と職場に配置している。

 

間もなく71歳になる私だが、仕事のほとんどはPCでの作業だ。若い頃からやってきたため、C言語も多少はわかり、既存のデータベースソフトをいじったりできる。癌闘病の最中に医師から働くことを勧められて就活をした時、パワポが使えるからと採用されたこともある。要はPCに何をさせたいのかということを重視しており、エクセル・VBAなどを使って簡単にソフト化させたツールを作り、データのまとめや管理をしたりしている。

 

仕事をし始めてから体調が目を見張るようによくなった。抗がん剤の副作用で手足がボロボロになり、歩くことや物を掴むことさえできなかった身体が、多少の工夫で普通に動けるようになり、あきらめていたゴルフも再開できるようになった。再びティーグランドに立った時、涙でボールが見えなくてスロープレイで友人たちに迷惑をかけた。そんなことが昨日のことのように思い出される。

 

そのぐらい、私にとって働くことは大切なことで、身体が動く限りは働き続けて行きたいと思っている。そのためには目を何とかしなくてはいけない。まだ手術は受けたくない。そこで、サプリメント頼みは好きではないが目に良いものを服用し始めた。そして、今回の〇〇〇ルーペの試用である。

 

入手したが、素材がアクリル樹脂で傷つき易いように思える。扱い方に注意が必要だ。あるいは、次はハードコートの他メーカー品か。使ってみて具合が良ければ継続・複数化となる。ただ、常用はなるべく避けたい。少しでも今よりも回復させたい。それが明日への生きる希望でもあるのだから・・・。

しとしと、ジメジメの梅雨だが、今年はこれまでのところ、梅雨らしい梅雨であるような気がする。毎年書いていることだが、皮脂と汗の分泌が止まっている私にはこの時期のお湿りが有難く思える。でも、唯一腰回りにかく汗だけはやはり嫌だ。気温の上昇とともに遠慮容赦なく私を不快にする。

 

毎日のニュースがコロナで始まり、コロナで終わっている。近頃は自粛解禁で人々の移動が一気に目立っているが、第2波の到来を予期させ、実に不気味だ。電車内でもマスクをしない人が多くなった。コロナが変化して無害化しているような錯覚に陥っているのではなかろうか。いずれは変性するだろうが、今のところコロナは変化していない。変化しているのは人々であり、社会だ。

 

政府による専門家頼みの手探り対策が人々の暮らしを委縮させ、あるいは注意を怠るように仕向け、人々は何が大切なのか判らなくなってきていると思う。本来、指針は常に見直し、先を見通した的確な方針を出すべき政府であるが、政治家や官僚たちはこんな非常事態でも自分たちの利得しか考えておらず、国民を振り回し、非常時を免罪符として大盤振る舞いを武器に癒着を掘り下げ、随契委託をしまくっている。ことが一段落すれば、国民はきっと彼らに報復するだろうと思う。

 

私はといえば、元々田舎町の中で暮らしていることもあるが、あちらこちらへと行きたいわけではなく、つつましく日々を送っている。ただ、通院など、必要な行動は躊躇することなく続けてきたし、そのために府県をまたぐこともよくある。旅行に行きたくなれば、「うつさない、うつされない」を軸に、用心を重ねながらも旅行に行っていたかもしれない。あまり、行動を制限されたくないのだ。

 

でも、結果的には大阪府の方針に従っている。誰かに迷惑をかけたくないし、かけられたくもない。通勤では毎日、大阪市内を経由する電車に乗っているが、利用する時刻を早め、なるべく空いた車両に乗り、空気の流れを読みながら、より安全なポイントを確保するようにしている。免疫性が低く、罹ると重症化が必至な身体だけに危険に対する防衛感覚は鋭いと思う。

 

車内では、本を読むか、目を閉じている。携帯電話はほとんど触らない。いつも言うことだが、常に携帯電話を見ていないといけないという人種が多すぎる。私の目にはアホとしか映らない。

 

音楽はよく聴く。一時、マイカー通勤が許可された時期は朝から好きな歌手の曲を流していたが、電車内で朝から演歌は聴く気になれない。ほとんどPOPSだ。それも懐メロ。ヘビメタ以外。60年代、70年代の曲だ。200曲ほどをランダムに入れたシリーズを3本用意して、耳を守るために、小さな音で聴いている。帰りは、好きな歌手の曲が多い。仕事が終わった解放感からか、つい、口ずさんでしまう。周りから見ると、気味の悪い変なジジイだろう。

 

最近、よく見かけることだが、車内でビールなどアルコール缶を飲んでいる人が目立つ。朝でもたまにいる。自制の利かない連中だ。家族に見せられない姿は晒したくない。

マスクが常時着用になり、休みの日に髭を剃らなくなった。
4日間も休むと顔が変わる。
暫く会っていない孫はおじいちゃんが判るかな?

マスクが市場に溢れてきている。いろいろな業者が価格暴落する前に手持ちのマスクを売り捌こうと放出し始めたからだ。50枚で1,000円を切る店も出てきた。もはや、誰の目で見ても品不足状態とは言えない。こうなると、それまで暴利を貪っていたやつらはかなり焦っているはず。ざまあ見ろ、だ。

 

このきっかけとなったのは、我が家にも3週間ほど前に届いた悪評高いアベノマスクの登場だと私は思っている。拙速さと利権臭が強いマスクだが、あの「1世帯2枚」という訳のわからない数字が品薄感の強かった市場に横穴を開けたのだ。そういう意味で私はあのアベノマスクの配布を決めた政府を評価したい。

 

多くの家がそうであるように、我が家でもあのマスクは使わずに緊急用として取り置いている。でも、あれを使うことはなかろう。いつか、今のコロナウィルス禍を振り返って、あんなことがあったなと思うこともあるだろう。そんな時のための「負」のスーブニールとして保存しておこう。

 

我が家のマスク事情は、カミさんが高値でネット購入したストックに加え、私が今回の感染症禍の前に買っていたストックがまだ十分あり、車の中にも非常用として一箱常備されているし、私が日頃使っている何種類かのバッグにはそれぞれ10枚ぐらいは入れてある。

 

これから暑くなるため、マスクの着用を厳しく言えない厚労省の弱腰の表れか、マスク無しで歩く人も増えてきた。高齢者世帯の我が家では着用し続けるつもりだが、世の中の需要はかなり低下すると思われ、マスク価格はさらに下がるだろう。あの品薄状態はいったい何だったのだろうか。

 

人の弱みにつけ込んで稼ごうとする不埒な奴はいつの世にもいるが、今回の政府のばら蒔き助成予算でもその酷い姿勢が目立つ。困ったことにそれらの不埒な行為も、そういう輩が単独で行えるものではない。彼らと組して見返りを受け取る行政役人の存在は容易にうかがえる。丸投げ体質が治らない限り、癒着は続くだろう。

 

ひどいのは委託費だ。役所内で聖域化されているかのようにコンサルタント業や広告代理店に絡んだひどい予算が目立つ。こんな時にも金儲けをしようとする企業を世間はどうして許しているのだろうか。

 

マスクに話を戻そう。大切なのは、マスクを始め防護ツールについては我々一般人よりも、医療機関の従事者、在宅看護、介護の担い手、駅員、バスの運転手、食料品店に働く人、学校、保育所、託児所の職員、警察や消防関係者、衛生従事者などに、十分に供給されるようにしなければならないことだ。そのために税金を投入することに異を唱える人はいないだろう。

 

今回の「姥捨て山」然とした疫病とはまだ暫くは付き合わなくてはいけない。ワクチンが普及するまではまだまだ油断はできないのだ。コレラもペストも、全て疫病は対策を施さなかったら大量死を招く。でも、人類の英知はそれを押さえつけ、克服してきた。今回も近いうちにそうなるだろう。我々は貴重な多くの教訓を授かる過程にいるのだ。

 

 

昨日、所用で夙川へ行った帰りに芦屋市内のある食品店へ。

有名な店だけに、中に入ると狭い店内に人が一杯。

マスク無しの人もいる。

まさに三密。

野放し。

男性客が意外に多い。

 

諦めてすぐに外へ出た。

季節、季節でその到来を実感することがある。今は初夏。まさに、夏の入り口に立っている。人によって、季節を感じるものは様々だ。私の場合は、汗のかき方で暑気のスタートを知る。汗の分泌が殆ど止まっている私だが、唯一大汗をかく場所がある。それは腰回り。へその位置10cmほどの幅でぐるりと汗が出る。それもかなりの量で、6月初めに出始めると、10月の末まで、ズボンのベルト通りあたりが汗で濡れるほどだ。

 

薬の副作用で汗が全く止まり、6月の初めには必ず熱中症を患っていたが、5年前に腰の周囲に汗が出始めたとき、医師と大喜びした。もちろん、それが全身に拡がると思って・・・。だが、ひざの裏側や足の甲など一部にとどまり、今に至っている。全く出なかった時も気分は重かったが、出始めてそれが留まっていることが判った時の落胆は罪深い。

 

しかし、腰回りの湿り具合がアラームとなっていることに気づき、熱中症対策を意識するようになって、救急搬送されることはなくなった。これも一つの成長かもしれない。

 

オヤジの汗は臭い。だから、寝起きの洗面では腰回りを濡れタオルで拭くようにしている。実は、就寝前の風呂上がりの時点で、パンツの色が変わっているぐらいに汗が出るのだ。だから、翌朝の洗面所で素っ裸になって身体をきれいに拭き、下着を替えるようにしている。それが夏場の毎朝のルーティンワークだが、今年はひと月早くなっている。

 

気温の上昇もあるが、自宅にいる時間が多くなり、少しでも爽快に過ごそうと、頻繁に着替えることが可能になっているためと思われる。背景に、カミさんの臭覚が敏感なこともある。過剰に意識するのか、私が発するにおいについてあれこれ言う。言い過ぎる。でも、彼女は、「ゆうてもらえるだけでもありがたいと思わなあかんよ。他人さまはゆうてくれへんよ」と宣い、遠慮容赦なく、『臭い』を連発する。オーデコロンで誤魔化そうとすれば、それ自体が嫌いなのか、「臭い」がさらに連呼される。

 

そんな夏の気配を私は楽しんでいる。熱中症で悩まされようが、臭いと言われようが、夏は好きだ。子供のころから、この季節のために一年があった。特に食べ物の季節感は夏ならではのもので、めん食いの私にはおろしそば、冷やし素麺と並んで、冷やし中華があり、乏しい私の人生観に華やぎを与えてくれている。それらは基本的にこの季節だけの味覚で、他の季節では味わえない感動がある。他にも夏の食べ物はたくさんあるが、私にはこの3メニューで十分だ。

 

実のところ、「冷やし中華」という呼称は好きではない。どこか関東臭さがある。やはり、大阪は「冷麺」だろう。うどんも、そばも、素麺も、冷やして食べれば冷麺なのだろうが、なぜか、冷やし中華そばだけを指して「冷麺」と呼ぶところが好きだ。読音はレーメン。そう、レーコーと同じ地位だ。大阪の温情が満ち溢れていて、実に気持ちのいい響きだ。

 

昨夜、その待望のレーメン第一号が我が家の食卓に上った。先週の金曜日にもレーメンもどきを作ってくれたが、やはり季節初めのためか、カミさんも素材や盛り付けに躊躇いがあり、レーメンと呼ぶには少し早熟なものだった。ゆえに私は昨日を本年のレーメン開始日とした。もちろん、カミさんにはこういうことを伝えるはずがない。私のアイデンティティが詰まった哲学を「アホ」の一語で片付けられるからだ。

 

カミさんが作ってくれる料理は、全て大好きだ。結婚以来、私は彼女に「美味しかった」としか言っていない。これは紛れもない事実で、私の自慢だ。愛情云々で言うのではない。本当に美味しく思えるからだ。カミさんは「幸せな人やね」と呆れているが、何でも美味しく思える私は、本当に幸せだと思う。だからと言って、どこで食べてもそう感じるのではない。友人たちとの会食では、問われると結構辛辣な批評を言うことがある。

 

戦後のベビーブームに生まれた一人だ。腹一杯食べられることが何よりの贅沢だった。食べることには人一倍執着と拘りがある。若い頃から美味しいものを求めて、多くの店を食べ歩いた。エンゲル係数はいつも高めだった。不味いものを食べさせられた時の不幸せな気持ちは、その先の人生を悲惨に思わせる。だから、そういう店には誘われても二度と行かなかった。食べることは人生そのものなのだ。

 

しかし、ストライクゾーンは結構広いと思う。しかも、好きなものなら、それが三食続いても、三日間は喜べると思う。カミさんに言わせると、「鈍いだけとちゃうん?」の一言。ええねん。好きなものに熱中するのは、全てにわたる。それが俺やねん。

今、手元にある軟質性透明樹脂(ポリウレタン樹脂)のもの、実はマウスピースである。マウスピースというと、一般的にはボクシングやラグビー、アメリカンフットボールなど、スポーツで使われているものを思い起こすが、私が持っているのは医療用で、先日、歯科医院で作ってもらった。そう、歯ぎしりなど睡眠中の歯の横向き運動から生じる歯茎への負荷を低減させるためのものだ。

 

40年以上通っている歯科医院がある。場所は大阪ミナミの日本橋筋1丁目。やや有名な黒門市場のすぐ近くだ。歯は若い頃からあまりよくなかった。虫歯が多く、歯茎が腫れてよく出血したし、口臭もかなり強いほうだった。結果、あちらこちらの歯科医院で若年性歯周病などと言われ、歯茎マッサージをするように言われた。

 

その頃の歯科医院は、なにがしかの治療を施し、すぐに抜いて歯に付帯、あるいは代替する歯材を取り付けて金を稼ぐ乱暴な医師の噂話が多かったため、疎遠の権化だった。学校では歯の磨き方や歯磨きの習慣化を説いていたが、一人一人に合った細かいやり方などとても教えてはくれなかった。それでも年に1回は歯科検診があり、学校の保健室で地元の歯科医が診てくれていた。

 

実のところ、私は歯科医院が嫌いだ。ま、好きな人はいない。というのは、当時の治療は、今と比べものにならないほど痛かったからだ。「歯のケアを怠けるから痛くなる。我慢しろ」と、平気で痛い歯をコンコン叩く医師もいた。嫌いだったが、治療しないとその先にはさらなる激痛が待っているから、仕方なく通った。でも、歯科検診後の暫くは同級生たちと歯科医院で会うこともあり、それが楽しみだった。

 

そういう悪いイメージを引きずって生きてきたから、自ずと歯のケアをますます嫌うようになり、喫煙も多かったので、歯は汚いままだった。気が向いたら塩で歯茎をさすっていたが、磨き方も大雑把で、どこか、あきらめがあった。

 

痛くなれば、痛みを和らげる薬を買って、それを塗って誤魔化していた。そんなことをしているから、若くして歯はガタガタになり、結婚したころには口臭に加えて睡眠時の三重苦(いびき、歯ぎしり、寝言)をカミさんに味わわせていた。当時、カミさんは結婚したことを悔やみ、真剣に離婚を考えていたらしい。

 

31歳手前のある夜、あまりに歯が痛いので、切らしていた鎮痛剤を買ってきて欲しいとカミさんに頼んだが、今と違って薬局の営業時間はとっくに過ぎており、どこも開いていない。カミさんは困って、家族ぐるみで付き合っている近所の友人夫妻に電話した。すると、その奥方が鎮痛剤と抗生物質を持ってきてくれた。そして、歯科医院の情報が書かれてある小さな紙片をくれた。

 

彼女の実家近くの開業医で、彼女はそこの受付アルバイトをしていたからよく知っているとのこと。良い医者なので、予約の電話をしてあげるから絶対に行きなさい、と珍しく強い口調で言われた。後で考えると、カミさんはその奥方に悩みを相談していたのだろう。

 

その歯科医院は、通勤経路からあまり外れていなかったので、言われるまま翌日の夕方、足を運んだ。実は、もらった薬で痛みはかなり和らいでいた。いつもなら多分行かずに放っておいたと思うが、さすがにそれはできず、恐る恐る行った。歯科医院を訪れたのは10年ぶりだった。雰囲気は、想像していたよりもすっと明るく、穏やかで、流れているBGMも趣味がよく、待合室にいる間、心を落ち着かせてくれた。

 

腫れて激痛だったのは右下顎第2小臼歯で、かなりグラグラしていた。

「抜かなあきませんよね」

「いや、歯は抜いたらあかん。極力抜かないで治さんとね。怖がりやね」

「は、はい。怖がりです」

緊張でガチガチになっている私に50代の医師は優しく話してくれた。40年前のことである。今と違い、麻酔もそれなりに痛かったし、鬼の研磨音は頭部に響き渡り、握りしめた手のひらは白く色が変わっていた。でも、思っていたよりも痛くはなかった。

 

暫く通ううちに、歯の磨き方を教えてくれた。全く知らない磨き方だった。歯垢や歯石も掃除してくれた。既に26歳で禁煙していたから、歯の汚れはかなり落ちたが、長年の横着分は取れなかった。歯の大切さが少しは理解できたので、ケアも面倒ではなくなった。以来、40年ほど経つ。出張や駐在など海外渡航の多い私には予約制の適用をゆるめてくれ、私も通院を帰国後の最優先スケジュールにしていた。

 

その歯科医院は今もおなじ場所にある。医師も子息に代替わりした。その若先生も既に還暦を過ぎている。後継者はいないようだ。いつまでやれますかな、が口癖だ。設備や治療方法はかなり変わった。痛みなどほとんど感じない。おかげで私の歯は70歳10か月の今も殆ど自歯だ。残念なことに、40年前に初めて治してもらった歯が酷いグラグラ状態になり、先日抜歯してはいるが・・・。

 

その抜歯した部分の加療とブリッジ施術の過程で歯ぎしり談義となり、前述の負担軽減からマウスピースの登場となった。月に一度の通院なので、3ヶ月前に歯型を取り、先々月に出来上がった。以来、ひと月半使用しているが、やはり舌触りや噛み合わせが慣れないのか、まだしっくりと馴染んでいない。無意識に口を開けて寝てしまうようだ。カミさんとは寝室が離れているので、歯ぎしり音の有無は確認できない。

 

毎朝、よく洗い、乾燥させているが、この面倒に感じるメンテナンスが意識なく習慣化できた時、マウスピースの効果は表れているに違いない。