おはようございます、ノブです。
シンプルプラン [徳島障害年金サポートセンター ライトハウス社会保険労務士事務所:認定率100%継続中] (lighthouse-sharoshi.com)
『自分自身が好きになれれば、気持ちが楽になります~「自己肯定することの大切さ」①~』
⬆この先週からの続きです~😓
ところで、社労士の受験テキストを読み出したのですが、しばらくして理解できるようになってきたとき、私はあることに気づきました。
受験資格の箇所には、「高校卒では受けられない」ように書かれていたのです。
「別にいつまで生きられるかわからんのにな」
余命宣告、「半年で半数が亡くなるから、どうしたら治るかと文句を言うな!」と大学病院の先生に怒られ、絶望してた当時。
それでも、
「大往生ならまだしも、さすがにもうこれ以上、酷い目にあるのはちょっと・・・。」
そう思って、私は自分がほとんど動けないことから、「ぼけ防止」と考えて、寝転んで目を通して・・を繰り返すこととしたのです。。。
そうしながら、やや元気になってから、受験資格をぼーっと眺めていると、受験資格のすみっこに小さく、どこか最後の方に・・・うん?
「おお!県庁へ3年勤務した証明があれば受験できるのか。。」
とわかったので、
「できるのなら、試しに受けてみよう。人生最期の挑戦だ!」
と思ったのでした。。。
ところが、
「資格を取っても欠格条項から登録できない。っていうことは仕事できないやん。」
と、また新たな事実が判明!
「それでも、今は自分に他に出来ることないし、これを読んでたらお金も使わないし。。。」
と思ってまた続けていると・・・・
そのうち、安倍総理が「働き方改革」のことで、
「障害者や難病を抱える人も労働市場へ。。。」
とプッシュしながらいつの間にか・・・!
なんと!
数年がかりで、覚えているだけでも500以上の資格の法律で、欠格条項が緩和したのです!!
「あれ?登録できるんや!というか、できるようになったみたい!安倍総理、バンザイ!!たまには良いこともするもんやなあ。。」
でも、心臓弁膜症で一時は毎晩停まっていた心臓のおかげで、夏場は部屋に座っていて心拍数が110~130も。
8月はエアコンないところに行けない私。
外出するのは、ただ病院への通院のみ。
このときの毎日の楽しみは、ヘルパーさんに夕方、スーパーで買ってきてもらったお弁当。
「今日は何が食べたいです?」
「から揚げ弁当!」
食べれるようになったことだけでも、ヘルパーさんはもう泣かずに、笑顔になりました。
そうして、好きでも嫌いでもなく、ただただテキストを読むだけの日々。
他には大してできることもなかった。。
年に一度、8月に社労士試験がある。
「反則やなあ、こんな時期に・・・」
もう会場に到着した私の目には、なぜか蜃気楼が見えて・・。
受ける以前に、
「もう合格できないとの思いが、夏本番が近づくにつれて強くなり、みんなのように追い込みなどとんでもない・・」
と感じられて・・。
「日々、本番が近づくにつれて勉強どころではなくなっていく」
ことから、受験日はほんとうに寂しく感じたのです。。
8回受けて、8回目に合格。
最後の2回の受験。
その試験の直前、8月には冷暖房の全くない、近所のホームジムで「死ぬかも。。。」と覚悟しながら、座ってジムの先輩の筋トレを「すごいな」と見てるだけ。
「暑さに耐えねば、試験どころではない・・」
私の試験の直前期、合格した秘訣・・・それは「ザ!我慢大会」でした。。。
こうして、社労士の受験を通して、私はある大切な発見をしたのでした。。
それは、
「なぜ!高校球児は夏になるとみんなでグラウンドを走るのか?」
ということでした。。。
「なるほど。。。暑さに勝てない奴は勝負にも勝てないわけだ。。。」
で、それでも我慢大会は2回目でようやく終了。
私は試験の当日、8割キープで合格を確信。
前後2泊して自宅に戻った試験の翌々日から、ちょうど1年かけて病気の治療とリハビリをしながら、事務所の開業の準備。
本当はどこかの事務所で修行をしたかったが、病気をしていて60近いじさんを雇うところはなし。
いちおうは求人に応募してみました。
結果。。。
「即戦力となりませんから」
わかっていはいても、大変ショックだった。
「政府の言われる「両立支援」なんて、社労士の世界にもないんだ・・」
社労士が政府にの代わりになって企業に対して勧めているこのことも、自分たち社労士の世界には存在しない・・・。
それでも、反対する主治医の先生方に、
「最期に一度で良いから好きなことをさせてください!」
と無理を言ってお願いして、合格のちょうど1年後の8月下旬、事務所開業したのです。。。
それからまもなく2年が終わるが、未だに新任研修も出てなければ、他の社労士さんも知らない私。
去年1月までは折りたたみの杖をいつも持って動いていましたから。
が、今は、杖も不要になりました!!
昨年の11月に、初めて夕方5時以降、病院への緊急の通院以外で外出もできました!
社労士会の年金相談員の研修に参加するためですが。。。
「夜、一人でも大丈夫かなあ・・」
不安でした。。。何せ20年ぶりの外出ですから。。
こうして、土日祝日の区別なく、部屋で普段は座卓で過ごし、障害年金の仕事とその勉強して、しんどくなったらゴロンとひっくり返り。。。
また、できるようになったら、仕事を・・という毎日の繰り返し。
お客さん用に下の階に別室をご用意!
それがあれば、自分の部屋は、散らかし放題。。。
だって、片付けるのよりもやらないといけないことを優先しますから。。。けど、きたない・・。
そこは、割り切っています。
最初から健康な人と同じことはできませんから。。
その合間に、ボチボチ、公園でしてる太極拳のつもりで「空手の稽古」を再開。
「ラジオ体操よりはマシかも。。」
そういう生活がずっと1年中。。。土日祝日関係ありません!
暦の上では定休日はあります。
でも、半日も休んだら、他にすることもなく・・・だったらふつう仕事してしまいますよね?部屋にいたら。。。
電話をシャットアウトして、普段はできないことに集中してやっています。。
それでも、寝たきり4年間を含めて何もできなかった自分が、そうできるようになっていくことが嬉しかったんですよ!
ほんとうに。。。
でも、こうして最初から健康な他の社労士さんと同じことはできませんでした。
また知り合いにもいません。
それでも、自分がお世話になった障害年金のことだけを、一生懸命にやってきました。。
日常生活と空手の稽古以外は、ずっと仕事と障害年金の勉強に。。。
私は、こんな一生懸命な自分のことが、今は好きです。
不器用で、依頼者のことでも一緒になって泣いたり怒ったりして忙しい奴ですが、私は
「ずっとこんな風に生きてきたんだなあ。。」
と今、振り返っています。
だから、私と同じように、難病や障害を抱える人たちも、
「自分自身のことをどうか好きでいてあげて欲しい」
誰もわかってくれないときでも、自分自身はあなたの味方なのですから。。。
「自分自身を肯定してどうか認めること」
このことは本当に大切なことだと、私は思います。。。
誰もが理解してくれなくても、自分だけはわかってあげることが大切です。。
なお、よろしければ次のブログもご覧になってください🙇
『『物事の捉え方を変えてみる~「砂嵐で建設中の建物が全壊したらあなたは?」~』』 [~障害年金の申請を通じて経済的負担を軽減~『うつ病対策』『自殺防止対策』] (shion-npo.com)