キロ4分55秒で7キロチャレンジ.
結果は,34分49秒(キロ4分58秒).もう少し粘りたいところ.もう1回チャレンジしてみよう.
全盛期の頃は,キロ5でハーフ走れたけれど,今はかなり厳しいレベル.これから1年かけてスピードを磨いて,どこまで戻れるかどうか.まだまだ頑張ります.
10キロどころか3キロで断念.結局,キロ4分45秒で10キロのはずが,1キロ4分45秒×10本のインターバル走みたいになってしまった.
最初の1キロが4分36秒でツッコミすぎたのと,向かい風で,心が折れました.
今度は,ツッコミすぎないようにすることと,風があまりない状態でチャレンジしてみて,どうなるか検証したいと思う.
来シーズンのフルで,3時間半切りを達成したい.初フルを経験したとき,3時間半までなら,学生時代に陸上経験がなくても,努力の範囲で達成できそうな気がした.それをオイラが実験台となって証明したい.
オイラの初フルは3時間58分.ほぼジョグだけでタイム更新できて,自己ベストは3時間48分.でもジョグだけではもう頭打ちだと確信している.もっとしんどい練習をしなければ,3時間48分からは記録を伸ばせない.
『フルを走り切れるスピード』で考えるのではなく『速いスピードで走れる距離を伸ばす』という考え方に少しずつシフトしていく.
これからどんどん暑くなり,走れる時間が限られてくる.以前は,暑ければ,早朝や深夜に走っていたが,今のオイラではそこまですると私生活に支障が出ると思う.今考えているのは,夏だけジムを活用するというもの.練習量を減らさない工夫をいろいろ考え中〜.
国鉄時代の関西本線の河内堅上~王寺間に『亀の瀬トンネル』はあった.
場所でいうと,奈良県と大阪府の境,生駒山地~金剛山地をまたぐところである.
このあたりは,たびたび地すべりに悩まされていた.
そして,昭和7年1月に起こった大規模な地すべりで,この亀の瀬トンネルは完全に崩壊した(と思われていた).
それから約80年後の平成20年,地下水を排水するために山を掘削する工事をしていた際,崩壊したと思われていた亀の瀬トンネルは,突如姿を現した.そう,亀の瀬トンネルはひっそりと生きていたのだ.
オイラの廃トンネル巡りの中でも,これほどロマンティックなことがあるだろうか.
オイラが亀の瀬トンネルを知ったきっかけは,かつて鉄ランに明け暮れていた頃,大和路線の鉄ランで通りかかった『亀の瀬トンネル』『亀の瀬地すべり歴史資料室』という道路の看板を見かけたことによる.
今回は,亀の瀬トンネルの90分のツアーに行ってきた.
ツアー者の中でもやっぱり浮いちゃうオイラ.なかなか同年代の女性が集まるような場所に行く機会に恵まれない.でも,今回集まったツアー者みなさんからは,オイラと同じような雰囲気,どこか似たようなものを感じることができて,仲間ができたような,嬉しい気持ちになれた.
亀の瀬地すべり歴史資料室
にしても,昭和7年といえば,オイラのじーちゃん世代.『昭和7年』といわれても,いまいちピンとこないくらい.その時代のトンネルが,平成20年にそのままの姿で見つかるなんて,涙が出そうになったくらい,感動という言葉では言い表せないくらいの,何とも言えない感情になった.
亀の瀬トンネルを見たくてツアーに参加したけれども,地すべりのメカニズムまで知ることができて,大変有意義な時間であった.小学校の社会見学でも,こういうところに行きたかったなぁ~.
亀の瀬トンネルを利用した,プロジェクションマッピングを見せてもらった.
大阪府と奈良県を行き来するには,峠を越えなければならない.生駒山のあたりを超えると直線距離では1番短くなるが,標高は600メートルを超える.そこで選ばれたのが大和川に沿うルート.現線は大和川の南側を走っているが,昭和7年の地すべり前は大和川の北側を走っていたらしい.
↑現線と地すべり前の路線をジオラマで表現してある.写真は東から写したものだが,写真左側のトンネルが現線,川を挟んで右側のレンガのトンネルが,崩壊したと思われていた旧線.
当時の人々の思いが詰まっていたであろう亀の瀬トンネル.崩壊したと誰もが疑わず,新たに敷設された現線.人々の記憶からは完全に抹消されていたであろう亀の瀬トンネル.80年のときを経て,再発見.ちゃんと生きていたんだね.
春は桜が咲いて今回とは違った景色が見られるらしい.また行きたいな.