ロサさんのブログを見て、考えたことがありますので、リブログさせて頂きます。

以下、完全に私見です。日記として思ったことを書いているだけなので、そのおつもりでお読みいただければ幸甚です。

 

ロサさんに限らないので申し訳ないのですが、スピリチュアル系の方々や東洋思想の信奉者の方々でよく見られるのが「二元論」なのかな、と思います。

 

二元論、いわゆる陰陽ですね。世の中は全て陰陽で構成されている、と言う事です。

 

これは経書の筆頭である易経(周易)から出ているんでしょうね。「易」そのものは占いの書ですが、古代に中華の世界では大きく分けて二種類の占いがあり、一つが甲骨占い(卜)、もう一つが八卦占い(筮)で、この二つを合わせて卜筮(ぼくぜい)と言いますね。

 

「卜」は古代の殷と言う王朝で行われた占いで、亀の甲羅や牛や羊の肩甲骨を使って行う占い。神様にお伺いを立て、甲羅や骨に窪みをつけ、熱した金属棒を窪みに差し込み、生じるひび割れを見て神様の言葉を読み解きました。

 

当然、占いのたびに動物を殺すわけですから、一般庶民には縁遠く、王朝が独占的に行った占いです。ひび割れの読解も容易ではないため、記録として占いの結果について刻まれた文字が「甲骨文字」として残されています。結構外れる占いも多かったみたいです。

 

これに対して「筮」は算術的に行う占いです。古代の中華で主に周という国で行われた占いですね。

 

歴史的には殷王朝のを周王朝が打ち破り、王朝が後退しました。

 

但し、この王朝交代には殷が崇める神による神権政治と周が推し進める数理による政治、その神と数理の占いが争い、周王朝が勝利を収めた、という捉え方もできます。

 

ことからその後の中華の地では数理と理性が尊重され、妖怪変化は過去の遺物で神は人格心となっていきます。当然、占いと言えば筮が主流になります。この筮の算術的な計算方法を書物にまとめたのが「易」であり、周の占いであったことから周易と呼ばれます。易を学術的にまとめたのが孔子であり、儒教の経典になった事から「易經」との呼ばれます。

 

「占」という文字は卜の結果を口で伝えるさまを形どった漢字ですから、卜も筮も専門家でなくてはなかなか簡単には理解できないんですね。

 

で、ここからが本題。

 

陰陽で分けるのは筮、森羅万象をあるがままにとらえるのが卜、と捉えた時に、果たしてこの宇宙は陰陽の二元論で本当に理解できるのかという問題があると思っています。

 

例えば素粒子。プラスの電荷をもった陽子とマイナスの電荷をもった電子で原子が構成されていますが、実際には中性子も原子核には存在します。

 

例えば半導体。導体と絶縁体の中間的素材として半導体があります。

 

例えば恋愛。好きの反対は嫌いではない無関心だ、と言う事を言ったりしますが、反意語としては好き・嫌いですよね。

 

例えば整数。整数の反意語ってあるの?無理数?虚数?分数?少数?

 

ことほど左様に、二元論では語れないのが現実の世界だろうし、そのことに対する説明がなされないのがスピリチュアルが科学的ではない要因なのかな、と思っています。

 

文系理系に限らず、学問は科学的であるべきだし、そうあって初めて信じるに足るものだと思っています。

 

即ち、再現性と因果関係について明確であり、責任を持つ姿勢を示しているか、です。

 

人の心だって大衆の行動だって、予測はできないし再現性は保証できないかもしれません。しかしそこに心理学や経済学で説明を試みようと挑戦している…、それが人類の挑戦の歴史であり、科学の発展の根拠だと思っています。

 

こうすればいいことがある、こうすれば幸せになれる、統計的に再現性や因果関係が示されない思い込みは陰謀論やカルトと紙一重であろう、と考えています。

 

なぜか私のブログにはスピリチュアル系のブロガーの方々が多いので、こうしたブログを拝見する機会も自然と増えるんですが、どうにも科学的なアプローチが感じられないんですよね。

 

XXすればこうなる、◆◆によれば〇〇だ、△△な時は●●するといい、そんなアドバイスが何時も目に入ってくるんですが、どうしても一生懸命読む気にならない。いや、興味をひかない。

 

と言う事でブロガーの皆さんには、私のことを「こういう変な奴もいるんだ」と言う程度に考えて頂き、是非科学としてスピリチュアル学を構築することを願うわけです。