朝鮮の古典をハングルでねえ・・・・ | こりあうぉっちんぐ

こりあうぉっちんぐ

 嫌韓ではありません、笑韓です。観ているだけなら、これほど面白い人たちもありませんから。

2017/12/10 朝鮮日報

漢文で書かれた韓国の名文をハングルで

 

 

 

 

 

 『韓国の散文選』(民音社)は、次のような問題意識から始まった。韓国の名文を、ハングルで簡単に読めるようにしたい、という問題意識だ。三国時代の元暁(ウォニョ)から20世紀の鄭寅普(チョン・インボ)に至るまで、229人の散文613編を全9巻にまとめた。200字詰め原稿用紙で1万8000枚分。中堅古典文学者の安大会(アン・デフェ)成均館大学教授(56)、李鍾黙(イ・ジョンムク)ソウル大学教授(56)、チョン・ミン漢陽大学教授(56)を主軸に、計6人が8年かけて取り組んだ。本書の主役の安大会、李鍾黙、チョン・ミン教授と12月1日に会ってきた。3人は「宝石がイバラのやぶに隠されているのに、漢文で書かれているという理由で見向きもされないという状況を変えたかった」と口をそろえた。

 

 

(中略)

 『韓国散文選』の作業は、李鍾黙教授が2010年に安大会、チョン・ミン教授と意気投合したことでスタートした。3人は、00年代前半に燕巖・朴趾源の『熱河日記』の現場へ足を運び、一緒に万里の長城を訪れたほど親密な仲。李鍾黙教授が民音社を訪れ「世界の名作でたくさん稼いだのだから、韓国の名作にも目を向けよう」と言ったことで本格化した。3人は「古典(コジョン)(の勉強)をやったら苦戦(コジョン。古典と発音が同じ)は免れないというのは間違いで、古典を知らなければ苦戦すると悟るに至った」と語った

 
ヤン・ジホ記者 

 

1 

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/12/08/2017120801721.html

 

2 http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/12/08/2017120801721_2.html

 

 

引用ここまで

 

 

 緑色の文字列は関連記事へのリンクです。

 

 

 無駄なことをやる人たちがいるもので・・・・・・

 

 朝鮮などは文献に乏しくてねえ・・・・・・何しろ最古の史書が12世紀半ばに成立した三国史記なのです。

 日本じゃ・・・・・というのも嫌味なんですが、万葉集の成立は8世紀半ば頃ですしねえ。

 

 当時は独自の文字がありませんでしたから、漢字を様々に使って和歌を詠んだんです。

 

 柿本人麻呂の有名な歌に「東の野に炎の立つ見えてかへりみすれば月傾きぬ」というのがありますが、原文は

 

 

東野炎立所見而反見為者月西渡

 

 

 というものです。後世の学者が寄ってたかって難文を解読してくれたんですな。おかげで現代では中学生でも・・・・・多分・・・・・万葉集を楽しめます。

 柿本人麻呂には「近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのに古思ほゆ」という歌もありますが、理解できない日本人は小学生以下の知能なんでしょうな。

 

 しかし韓国・・・・・というより朝鮮じゃ事情は違いましてねえ。陸続きということもありまして、朝鮮は日本のようにシナと離れた独自文化は育たなかったんですね。

 

 ”韓国の名文を、ハングルで簡単に読めるようにしたい、という問題意識”・・・ええ、韓国の名文とやらは漢文で書かれていましたから、今の韓国人には読めないんです。

 

 それで何度も書いてきたように、韓国じゃ国家機関がせっせと古典の翻訳をやっているんです

 

 無駄とは思わないんでしょうなあ。

 

 ところで現代の文学者が漢詩を作ることなどはないんでしょうが、明治の日本では夏目漱石のような文学者でも乃木希典のような軍人でも漢詩を作りました。日本人はそれを読み下し文で読むんですけどね。

 

 夏目漱石には

 

 斜陽道に満ちて僧を照らして遠く 黄葉の一村は寺を蔵めて深し

 

 という漢詩の一節がありました。

 

 乃木希典には

 

 

山川草木轉荒涼
十里風腥新戰場
征馬不前人不語
金州城外立斜陽

 

 

 という有名な詩が。有名だろうと思うんですが・・・・・・これは

 

 

山川草木(さんせんそうもく)轉(うたた)荒涼、
十里 風腥(なまぐさ)し 新戰場。
征馬(せいば)前(すす)まず 人語らず、
金州城外 斜陽に立つ。

 

 

 と読みます。遼東半島での激戦で長男を戦死させた時の詩ですな。

 

 

爾靈山嶮豈攀難
男子功名期克艱
銕血覆山山形改
萬人齊仰爾靈山

 

 

 という詩もありました。これは

 

 

爾霊山は嶮なれども 豈攀じ難からんや
男子功名 克艱を期す
鐵血山を覆うて 山形改まる
萬人齊しく仰ぐ 爾霊山

 

 

 と読みますが、旅順要塞攻略戦の203高地の激戦で次男を戦死させた時の詩だったかと。

 

 とにかく日本人は漢字の訓読みという大発明をやりましたし、漢文なども読み下し文という発明をやったのです。

 日本人で唐詩選の一節も知らない人間は探す方が難しいと思いますが、韓国じゃねえ・・・・・・”韓国の名文を、ハングルで簡単に読めるようにしたい”・・・日本とはレベルが違い過ぎてかける言葉も。

 

 

 

 

 

 

 

 勉強はしたけれど・・・・・・