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2017/10/22 朝鮮日報

【コラム】「三田渡の恥辱」に学ばない韓国政界

 

 

 

 

 

 「三田渡の恥辱」は380年も昔の事件だが、これは今もなお韓国人のプライドを大きく傷つけている。秋夕(中秋節、今年は10月4日)連休の間に丙子の乱(1636-37年、清が朝鮮を制圧した戦争)を題材とした映画『南漢山城』の観客動員数が最も多かったのもそのためだ。非常に高い壇上に座った清の皇帝ホンタイジの前で、3回膝を突き9回頭を地面に付けさせられ、額に土が付いた仁祖の姿に観客は悲哀を感じたことだろう

 

 

(中略)

 

 中国・宋の時代、1127年に起こった「靖康の変」も三田渡の恥辱以上の大事件だった。女真族が建てた金の軍隊に押された宋の徽宗は息子の欽宗に譲位して金の歓心を買おうとしたが、それでも破滅を防ぐことはできなかった。首都の開封は城門を開き、降伏した徽宗と欽宗は平民とされ、1万5000人以上の女官、画家、音楽家らと共に北の金に連行された。牛車に引かれて黒竜江省の北の奥地に連れられた欽宗と徽宗は金の太祖の前で礼を強要され、徽宗は昏徳公(仁徳がない)、欽宗は重昏侯(ばか)という屈辱的な別名で呼ばれた。徽宗と欽宗と共に連れられた数万人の捕虜は再び故郷に帰ることができないままこの世を去った


 

(中略)


 与野党の政治家たちが映画『南漢山城』を見た際、それぞれの政治的立場から違った評価を下したとの話に記者はがっかりした。与党側は丙子の乱を招いた原因として「外交力不足」を上げ、北朝鮮の核問題にも外交的解決の必要性を強調した。これに対して野党側は「王の無能」が理由だったとして、現政権における安全保障政策の無策を批判した。一方で映画の中では講和派の崔鳴吉(チェ・ミョンギル)と主戦派の金尚憲(キム・サンホン)は考え方は違ったが、国を思う情熱だけは互いに理解し合う間柄として描かれていた。ところが今の政界では相手をひたすら「積弊」とレッテル貼りし、相手への批判を強めるばかりだ。三田渡の恥辱とそれによる「積弊の精算」という破局を目の当たりにしながら、何も学べない彼らの姿を見ると一層不安に感じてしまう

 
文化部=金基哲(キム・ギチョル)部長 

 

 

1 http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/10/20/2017102001805.html?ent_rank_news

 

2 http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/10/20/2017102001805_2.html

 

 

引用ここまで

 

 

 緑色の文字列は関連記事へのリンクです。

 

 

 これはしょうがないんですよね。朝鮮はシナという大国と地続きの小国だったんですから。機嫌を損ねればいつでも攻めてこられますし、現に何度も攻められました。

 

 「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや」などという外交文書を隋の皇帝に送っても日本が無事だったのは、荒海を隔てた島国だったという幸運があったからで。

 

 そして朝鮮の恥辱といえば、シナに要求されるままに若い処女を貢ぎ続けてきた貢女とかね

 そして”徽宗と欽宗と共に連れられた数万人の捕虜は再び故郷に帰ることができないままこの世を去った”・・・とか。

 

 まさしく性奴隷と強制連行なんですが、朝鮮・・・・・韓国がそれに抗議したという話は聞いたことがありませんな。

 

 日本やアメリカには常に好き勝手なことを言っていますし、大使館前でデモを行うなどというウィーン条約違反もやっていますが、反中国デモの話は聞いたこともないし。

 

 それだけ韓国人は中国が怖いんでしょうな。

 

 そして現在は李朝末期と同じく、国内は何派にも分かれて米国に秋波を送ったり中国に媚びたり日本を非難したり(笑)。

 

 ”三田渡の恥辱とそれによる「積弊の精算」という破局を目の当たりにしながら、何も学べない彼らの姿を見ると一層不安に感じてしまう”・・・しょうがないんですよ。危機にあってはまず内紛、というのが朝鮮の伝統なんですから。

 

 

 

 

 

 

 

 ウリに内紛などは・・・・・