四万十の風がくれた贈りもの | アイビーの独り言

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加藤りつこのブログ


四万十のすてきな仲間が歓迎会を催してくださいました。準備中の様子。





12月20日~21日 2

1月25日       1泊

四万十町での宿泊先を、七里小学校の坂山校長先生が、【宿泊処 松葉川屋】 というすてきな民宿を予約してくださいました。


1月26日に、坂山校長先生のご提案で、コンサートと講演を企画していただき、前日25日に、二度目の四万十町へ行って参りました。



「宿泊処 松葉川屋」  8畳和室の寝室





私は居心地の良い 【宿泊処 松葉川屋】 さんが大好きで、今回もお世話になることを楽しみにしていました。

1ヶ月振りの再会でした。



隣室が流し台と長い食卓があるダイニングルーム





前日夕刻に到着したマサくんと私のために、四万十の仲間たちが歓迎会の準備をしてくださっていました。

12月に実行委員会としてお世話くださった方々の心のこもった宴でした。

高知の方々の豪快なお料理をいただきながら、楽しく過ごすことができました。

私は体調万全でなかったので、一足お先に退席させていただくことになり、【松葉川屋】の恵さんが車で連れて帰ってくださいました。

雨がシトシト降る夜でした。



流し台、冷蔵庫、電子レンジ、調味料など揃っていて自炊もできます


ダイニングの隣りがお風呂ですとてもきれいにしてありました。
お風呂の並びに洗面台があってドライヤーもタオルも揃っています。





母屋に隣接して建てられた民宿の2棟の1棟に案内された時、恵さんが思いがけない告白をされました。


「実は、私も息子さんと同じように、阪神淡路大震災の時、あの地獄のような神戸の街にいたんです。大学4年生でした。私はこうして生き残りましたが、学友たちもたくさん亡くなってしまって、言葉で表すことができませんでした。 だから四万十の人たちにも、お話していませんでした。言えませんでした。」




言わなかったこと。言えなかったこと。     (スズメ)             内藤達郎・撮影





12月に初めて泊めていただいた時、彼女はそのことを私に話せなかったと、涙をポロポロ流して話してくださいました。


「私はその後、我が子もこの腕に抱くことができ、命をつなぐことができました。苦しいこともたくさんありましたが、加藤さんに会えてこれからはしっかり生きていけます。心に溜めていたことをお話できて本当にありがたく思います。」



命をつなぐことができました。      (ジョウビタキのヒナ)         内藤達郎・撮影





初めて聴かされた震災のこと。

広島から車で5時間以上もかかる遠い四万十町で、神戸の話ができたなんて・・・

お話によれば恵さんは貴光より1歳年上でした。

彼女の大学と貴光の通った大学は至近距離にあります。

僅か1年9ヶ月しか通えなかったキャンパスですが、その1年9ヶ月、恵さんと貴光は、どこかですれ違っているかもしれない・・・。

同じ景色の中で、同じ空気を吸いながら生きていた二人。

見知らぬ人同士だった二人。


19年経って、その彼女と貴光の母親が高知県四万十町で出会ったのです。


この小さな町、四万十町には、不思議なつながりがありました。



過去から今へ・・・ 今から未来へ・・・                         内藤達郎・撮影





偶然か必然か、昨年の12月20日に四万十町入りし、歓迎会を企画していただいた席で、当日がお誕生日だった山田隆俊さんへ、友人の坂本仁さんが、サプライズでケーキをプレゼントされたおかげで、隆俊さんと貴光の誕生日が同じだったことが判りました。

恵さんと隆俊さんは同い年で、二人とも貴光より1歳年上でした。

この四万十に息子と娘ができたような感動と温もりをいただいた旅でもありました。


この町と出会って1ヶ月ですが、深いご縁を感じています。


暖かくなったら、温かいハートでいっぱいの四万十町を再訪したいと願っています。