私が井野口さんと出会って4ヶ月後の10月12日は、広島の街は人口が一気に膨れあがり若い熱気に包まれました。ここ広島で国体が開催されたのです。
その大会イメージソングを井野口さんが作詞されました。
砂漠のバラ
『砂漠のバラ』
作詞・井野口慧子
補作・大林宣彦(映画監督)
作曲・久石譲
歌・森公美子
豪華な顔ぶれで「ひろしま国体イメージソング」は完成し、シングル盤CDで発売され、私たちも手に入れることができました。
その数ヶ月前から街は『砂漠のバラ』一色。商店街やデパートを歩くと必ずこの歌が流れていました。明るく軽やかなテンポで歌われていても、私はこの歌を聴くと涙がにじんできました。深い想いのこもったこの詩は、今聴いても胸に込み上げてくるものがあります。森公美子さんの詩の解釈と、それを表現される歌唱力にも感動しました。久石譲さんの作曲はさすがすばらしく、ミネラルと熱をたくさん含んだきらきら輝いている曲でした。
砂漠のバラ
『砂漠のバラ』はバラの花びらのような形をした鉱物です。かつてオアシスがあった場所で、水に含まれているミネラル成分が砂と一緒になり結晶してバラの形になるのだそうです。砂嵐が吹いた後に、こつぜんと出現する石でできたバラの花の大集積が砂漠で見られることがあるそうです。
「ひろしま国体」というスポーツの祭典に出場する選手と、広島で生きてきた人々の眼に見えない心の結晶の営みが重ねて表現できるのではないかと、井野口さんは考えられたのです。
すばらしい歌ができました。私は身近で次々起こる感動的な出来事に、いつしか家にこもる回数が減ってきていたのです。
プレイベントなどが開催されると必ず誘っていただいたり、森公美子さんのコンサートの時には、楽屋で紹介してくださったりと様々な体験をする中で、慟哭の傷口に薄いオブラートで膜を張れたような時間もいただきました。
井野口さんには痛みが分かるので、その痛みを紛らわす瞬間を与え続けてくださったのでしょう。
少し早い成人式
亡くなる1ヶ月前の奈々ちゃん
あの当時の井野口さんと私の距離を、今、奈々ちゃんのお母さん智子さんと私の間で引き継いでいるようです。
智子さんが子供を亡くして1年目。私がちょうど15年目。
時代は廻るのですね。とても不思議な関係ができて、ひとつの大きなサークルになってきています。
一滴の過去の涙
photo by T.Naito
先日井野口さんと思い出話をしていたら、井野口さんが言われました。
私のこれから残された時間は、悲しい人たちのために生きることが使命なのではないかと思う。と。
私があの虚脱感や絶望感で立ちすくんでいた時期を井野口さんの詩やエッセーで支えられたように、道に倒れて起き上がれなくなった人たちのために、書き続けていただきたいと願います。