2009年、今年もお世話になりました。
おかげさまで2010年で10周年を迎えるサムズアップブルースセッションナイト[ブルースサミット]。
いろいろなことがあったこの10年、10年前を自分中心に振り返ってみます。
俺の記憶が確かならば、(と、ほんとに確かかわからない、以下多少の曖昧な点はお許しを)
サムズアップは1998年オープン。
1998年5月にニューオリンズから帰国して、オープン間もないであろう6月頃にはライブを観に行った。
(ニューオリンズで出会ったyancyさんのライブだったはず)
そして、ブルースセッションをやっていることを知り、その次の回には参加した。
ホストは、Kotezさん、金子雄太さん、当時バンバンバザールの武田栄(偶然にも
俺の祖母と同姓同名、性別は違う)らが務めていた。
よく覚えているのは、2度目に足を運んだとき、なぜか俺はエントリーしたにもかかわらず、忘れ去られていたのだ。
エントリー者も一通り回った頃、「エントリーしてて呼ばれていない人はいないですか?」のkotezさんの声に、
武田さんがステージ上から、
「彼はまだステージ上がってないんちゃう?」と俺を指差したのだ。
まだ、一月前に一度しか会っていないのに、当時すでに入手してメインで使っていた
ボ・ディドリーモデルの四角いギターのせいか、
金髪の長髪にヒゲの見た目のせいか、わからないが、覚えていてくれたのだ。
(当時の俺)
そして、歌の人がこの曲知ってるか、できますか?的なステージのやり取り中に
武田さんが「彼は大丈夫や、ブルース知ってる」と言ってくれたのだ。あの時は嬉しかったなあ。
それから、武田さんは今に至るまで友達だ。もちろん、kotezさんも、雄太さんも。
その後、kotezさんの早過ぎたジャムバンドphunk-oにも誘ってもらい、そして、サムズでライブという形でステージに上がったのも、phunk-oだった。
雄太さんのaquapit以前のソロプロジェクトにも呼んでもらい、畠山美由紀さんらと
も共演したのもサムズだった。
(依頼された音楽の仕事で初めてギャラをもらったのはこのときだった。)
武田さんの居た頃のバンバンバザールはサムズでやるなら毎回観にいったほどのファンだったし、
数年後地方のラジオ局で遭遇したときにはビックリしたものだ。(同じ番組に出演で、1週違いのオンエアで、同日に2本録りだった)
長くなったけど、このセッションに通い始めたことで、今に繋がる多くの先輩、仲間に出会えたんだな。
俗に言う、ブルースつながりってやつかな。
ブルースはつながるのよ、ほんと。
いいねえ、ブルースって。
当時は家も近かったから、サムズはバイト帰りに週に5~6回は飲みにも行ってた。
思い出ついでに言うと、サムズはオープンしてから1年くらいはたいていのライブを500円で観る事ができたんだ。
アメリカ帰りだったから、そういうアメリカンなスタイルでやってるなんて、サイコーだと思った。
向こうではビッグネームでも(たとえばネヴィルブラザーズとか)20~30ドルで見れたか
ら、ちっちゃいライブハウスなら数ドルで入れた。(リバースブラスバンドとか)
今ではドリカムファミリーで最近本名でやってる中澤信栄はそんな500円でやってた頃に出会ったミュージシャンの一人だ。
当時はGATSの名前で活動。初めてGATSがサムズにゲストとして登場して歌ったpeople get readyは今でも忘れられない。
こんなソウルフルな歌を歌う日本人いるのかとビックリした。
名前がノブつながりってことで、仲良くしてもらったし、後に地方で対バンになったり、
俺の結婚パーティ(これもサムズだ)でまで歌ってもらった。people get readyと、大好きなGATSの曲Dear my freindも。
そのGATSのバンドGATS TKB SHOWのコーラス兼キーボードだったのが、こないだオーガスタからメジャーデビューしたさかいゆうで、...って長くなりすぎるから、人脈はこの辺にしよ。
話を戻してその頃1999年、セッションで出会った仲間たちと初めて俺は自分のリーダーバンドを組んだ。
その名も「コテコテマシーン」。
コンセプトが「2%ブルース、98%ファンク」。(メイシオ・パーカー「2%jazz,98%funky stuff」からパクリ)
コテコテは当時愛読していた「コテコテ・デラックス」という本からいただき、
マシーンはコテコテマシーンの母船であったバンド「ファンクマシーン」から独立した経緯で
マシーンをいただきました。
まあ、簡単にいうと、JBのバンドからJB’Sができたような感じ。
当時はブルースバンドというとシカゴブルースっぽいバンドばかりだったので、自分がリーダーをやるなら、
と温めていた構想を実現させるべく、
シャッフルを一切やらない、スローもやらない、8ビート、16ビートだけやるという、ブルース界でも異端児なバンドでありました。
高橋大輔、田上元章と俺のトリプルギターの編成も、ブルース界のレイナードスキナードかという異端っぷり。
ベースは今年前半までホストを務めてくれていた宅間"T-Bone"大。
そしてギター3人とも指弾きで、パッキパキ。
アルバート・コリンズとエディー・テイラーとゲイトマウス・ブラウンが横一線でファンク?!とは大袈裟か。
レパートリーもアルバート・キング、リトル・サニーあたりのスタックスファンクブルースから
、ジェイムス・コットン・バンド、プレスティッジ10000番台あたりのソウルジャズ、JB’S,ミーターズあたりまで。
当時俺の中でオルガンが一番アツいときで、あんまり弾けもしないのにハモンド買って、
JBが弾くような感じでオルガンも弾いて、歌って、ハープも吹いて、ボ・ギターを弾いてた。
毎週金曜日の横浜西口でのストリートライブで、高島屋前は300人以上が踊り狂うダンスフロアと化し、
警察とはいつもやりあい、あまりのお客さんの熱気で追い返したこともありました。
コテコテマシーンは1年間で50~60本あまりのライブ、ツアーをこなし、俺の独裁者っぷり
に愛想を尽かし、メンバーは去っていき、きっちり1年間で活動を終えました。
その後俺はブルース界から離れてしまい、ジャズ、ファンク系のジャムバンドを
現在もブルースサミットのホストを務めるドラマーmitzzaとベース高野真希(途中交代、現在は復帰)らと結成、
phatbagg(2000年結成)からheRb、urb(2002年結成、2004年SonyMusicよりメジャーデビュー、現在無期限活動休止中)へと変化を遂げるわけですが、その話は割愛。
さて、また話を戻して2000年問題の前後くらい、サムズの諸事情により、ライブや、セッションが
一時なくなってしまい、少し経って、週末だけライブ、とか、形態が変わっていった。
ライブチャージも上がり、フラっと飲みに行ってライブやってて騒いで飲んでって感じではなくなった。
フラっと行ったら「今日は○○さんのライブだからチャージが3000円だよ」って。
まあ、それからしばらくして、お店も試行錯誤しながら、ライブをまた毎日のようにやる
ようになって、チャージもノーチャージの日から、高いチャージの日までいろいろあって。
まあ、今と同じ感じか。
そんなある日に「またセッションナイトやろうよ。俺がホストやるからさ。」と何様のつもり
か、ホストを買って出て、それが2000年。
だから今年が俺がホストを務めて10周年なんです。
ブルースサミットと名前を変えたのはここ数年ですが...。
どんなに忙しくても、このセッションに俺が穴を空けたことはなかったな。
ツアーとか出てても、自分一人でも戻ってきたし、逆にスケジュール動かせないときは
固定の曜日から変えてもらったり。
セッションの当日、アルバート・キング似の祖父がジミヘンの命日に亡くなったときも、
祖父に捧げてブルースを弾きました。
ブッキングやお店の都合でやらない月もあったけど、ほぼ毎月かかさず10年です。
続けてこれたのは誇りでもありますね。
もちろん、感謝してます。サムズも、仲間も、お客さんも、みんなあっての10周年。
これからもよろしくお願いします。
ブルースは一生やり続けていかなきゃいけないし、
ってことはこのイベントは永久にやり続けなければいけない。
さあ、まだまだこれからも楽しみましょう。
Let The Good Times Roll!