2日ほどブログをサボっていたら泰三くんがこんなブログを書いていました。
『ほんとは誰も平和な世界とか望んでなくない?』
泰三ブログにも書いてあるように、日課の瞑想をしているときに浮かんだの。
人は争いを好む。
エンターテイメントは架空の世界ではあるけれど、2時間ドラマでは殺したり殺されたり、恋愛ドラマは裏切ったり裏切られたり、社会派ドラマは出し抜いたり出し抜かれたり。
いやいやいや、架空の世界だからでしょ。
と思うかしらね。
それがそうでもないんだなあ。
安全な立ち位置から楽しんでいる架空の世界とは違い、現実ではどうだろう。
自分の足元が揺るぎないものと信じているうちはいいけれど、ひとたび不吉な兆しがみえると攻撃性が見え隠れ。
全員に好かれようとふるまうと好かれもしないが嫌われもしない。嫌われてもいいと思ってふるまうとすごく嫌われもするがすごく好かれもする。
それと同じで全員が平和な世界を作ろうとすると、誰も平和を感じることはできないのではないか。
反対にどこかに争いを認めれば、違うどこかはものすごく平和であったりするのだろうか。
自分の立ち位置が安全かどうかが、人の関心事なんだから。
年明け1発目のブログ。
歴史も繰り返してるんだよねえ。
ちなみにいま安全な立ち位置から「進撃の巨人」にどハマりしています。
ところで。
冒頭の泰三くんのブログで11曲すべてがアヴェマリアだというCDのことが書かれていますが、わたしはこのようなCDを所持していました。
12曲ぜんぶ
「愛のメモリー」
1975年バージョン、2009年バージョンからボサノババージョンなど、愛のメモリーをさまざまな角度から楽しめるアルバムです。
数年前にスタジオでお見かけした松崎しげるさんが愛のメモリーだらけのアルバムを発売されると知りまして、すぐに購入しました。
なぜならば、当時わたしはとあるラジオ局で生放送のパーソナリティを担当していたのですが、
「それではお聴きください、本日の1曲目は松崎しげるで、愛のメモリー」
「ここで1曲お届けします。松崎しげるで、愛のメモリー」
「ラジオネームはるまげどんさん、頑張ってくださいね。ではこちらをお聴きください、松崎しげるで、愛のメモリー」
「さあ、それでは本日最後の曲は、松崎しげるで、愛のメモリー」
番組中の曲紹介をすべて愛のメモリーにしたかったのです。
もちろんぜんぶバージョン違いを流しましたよ。
しかしこれをOKしてくださったディレクターさんには頭が下がりますね。
あ、世界は平和なのかもしれない。