今まで、場面緘黙症の記事をたくさん書いてきました。

改めて場面緘黙とは?の説明の記事を貼らせていただきます(初期のやつ)↓

人との会話が出来ない場面緘黙の症状が長く続いたことで、コミュニケーション能力が育たず、緘黙そのものが治ってもなおコミュニケーションが上手く取れず、日常生活に支障が出る例は多いです。

私も幼稚園から大学二年生まで、約15年間場面緘黙だったため、その後遺症に悩まされ、言うまでもなく大変辛かったです。特に治りかけの頃はヤバかった...よく持ち堪えたなと思うほど周りとの違和感に苦しみ、本当にメンタル削られました。

後遺症として、具体的にどんなことで悩むのか、今回は書いていきます。


①押し黙ってしまう

今は一対一ではわりと話せるのですが、複数人での会話は、輪に入りにくく困っています。社会人として困ったシチュエーションは、仕事帰りにみんなで飲みに行く、お昼ごはんをみんなで食べる、というような時です。誰かが喋ってそれに反応しようという時、私がものを考えて口を開くより先に、他の人がポンポンとテンポよく喋ってしまうからです。複数人特有のキャイキャイ、ワチャワチャした場のノリに合わせるのも苦手です。これは性格の問題もありますが、緘黙経験から、そうした雰囲気に疎外感を感じてきたからかもしれません...


②距離感が分からない、友達のつくり方が分からない

大学では人数の多い大規模なサークルに入っていましたが、他の人がスムーズに気の合う人を探して、友達やグループを作っていくなかで、私はそれに追いつけませんでした。誰かが声をかけてくれても、反応が薄くなってしまったり、自分から話しかけられなかったりと、人とどう接していいのか分からない感じです。失敗経験からようやく、自分は人一倍緊張して人見知りオーラが酷いから駄目なんだと気づき、人見知りせずになるべく早く打ち解ける、自分から積極的に話しかけるのが一番大事だと学びました。


③常識が分からず感じ良くできない、礼儀に欠ける

私は大学生の一時期、友達に愚痴を言いまくっていました。家で親に緘黙のことを責められ続けていたストレスからなのでしょうか。なぜか自分のネガティブな面を曝け出す方が、人と打ち解けやすいだろうと思っていたのです。当たり前ですが実際には不快な気分にさせていて、あとで「あの時愚痴ばかりで嫌だった」と言われ申し訳なかったです。

アルバイトの面接ですら、何回も落ちてきました。自分では変な態度を取っているつもりがなくても、いつの間にか相手を怒らせている、ということが今まで何回もあります。特に仕事場でのお客さんや目上に対する「感じの良い大人な対応」ができないのは困り物です。まずは相手のことをよく観察して、相手の反応をよく見てと注意されました(その相手の反応を見るのが怖いのも後遺症かもしれません)。社会人だと特に明るくハキハキとした雰囲気、丁寧な言葉遣いが求められますが、学校で教わるわけでもなく自然に身につけるものなので、最初の頃は全く意識できませんでした。


④話題についていけない

私のように長い間緘黙が続くと、世間一般で認識されている、誰もが知っていて当然の物事や流行りのアレコレを知らずに生きてしまいます。私は陽キャが行く「クラブ」が何のことなのか分からず、クラブって何ですかと聞いてしまいました。学生時代の流行りも分からないので、とりわけ同級生との話題についていくのは難しいです。学生時代に関しては流行りに疎いだけじゃなく、交友関係もサッパリで部活や行事も消極的だったので、話すことがないです。同世代や同性となら話せる、というわけではないのです。


⑤気が利かない

緘黙でも気の利く人は多いかもしれませんが、私はめちゃくちゃ気が利かないです。社会人になってから、「こういう時は一言かけてください」とか「優先順位が違うよ、お客さん待ってるでしょう」みたいな、私の鈍臭さを指摘される場面が増えました。学生までにもっと対人コミュニケーションの機会を持てていたら、社会人になるまでには大幅に改善されたかもしれません。これは今、めちゃくちゃしんどい後遺症です。


⑥自己主張できない

ダンマリな生活を続けている上に自分に自信がないので、自分の意見をズバッと言うことができません。相手に対して反論もできず、舐められやすいです。こいつなら何を言っても大丈夫、と思われてしまうのです。


緘黙だからというよりは、私の性格の問題かもしれない場合もありますが、結構当てはまる当事者が多いんじゃないでしょうか。

治し方としては、とにかく場数を踏むしかないです...

ただ、心がボロボロになって傷ついている当事者は、厳しく罵倒してくる人たちに取り囲まれる環境でしごかれるより、自分のありのままを優しく受け入れてくれる人たちのなかで、経験値を増やしていく方が絶対いいと私は思います。というかそうであってほしい。

コミュ力というと、一般的にはスムーズに会話ができたり人と仲良くなれたり...といったことを指します。確かにこの点、緘黙による経験不足で成長を阻害されます。

でも緘黙経験がある分、「似たような立場の人の心の痛みが理解でき、行動に移せる」だとか、「あまりベラベラ喋らない分慎み深くて余計なことを言わない」といったこともコミュ力に入ると私は思います。

コミュ力の模範解答を探すより、あくまで本人の良さを活かして、その人らしいコミュニケーションのあり方が実践されていたら、これほど素晴らしいことはないと思っています。