自分だけではなく、他人にも厳しい人を見て思ってしまうことがある。

それは、「みんな、産まれたくて産まれたわけじゃないんだけどなぁ」である。少々乱暴に聞こえるが、これが本音だ。

生きていく上で最低限、ルールやマナーを守らなければいけないことぐらい分かる。確かにある程度は真面目にしなきゃいけない。給料貰ってるからには、ちゃんと仕事しなきゃ駄目だ。人殺しや犯罪をしてはならない。

しかし何故か多くの人が、それ以上に相手に「人間としてあるべき理想の姿」を求めているようなところがある。真面目なのは良いことだが、それを他人に押しつけるのはどうなのか、と思う部分が多々ある。それぐらいどうでも良くないか?と思うようなことだ。

その最たる例が、他人の休日の過ごし方にイチャモンをつけてくることだろう。週5日も働いて疲れているのに、ゆっくりのんびり過ごしていると「残念だなあ、もっとアクティブになりなよ」と説教してくるような人種がいるのだ。

勝手に産み出されて受動的にスタートさせられた人生に、そこまで思い入れを感じられない。自分からやりたいこともない。自分に存在価値を感じられない。成長しなければ!なんて意気込めない。そんな人間だって、それなりに居るだろうに。

例えば自活しているとして、確かに仕事として選んだからには、ちゃんとやらなきゃいけない。妥協は許されない。でも心のなかで何を感じていようが自由だと思う、表面上ちゃんとしているのならば。仕事が生き甲斐でなくても、生活するために仕事する、でいいのだ。

確かに生きていく上での最低限の常識は、身につけていないと恥ずかしい。だがほんの少し単語を間違えただけで、まるでこの世の終わりかのように糾弾される筋合いはない。

誰もが立派な志を持って生きなければならないのか。疲れる。気楽に生きようが勝手だろう。人生はその人のものなのだから。