先日の「Le Fils息子」に続いて関連作同時上演のもうひとつ「La Mère 母」を東京芸術劇場シアターイーストで観た。

 

 

 

フランス、いや世界中で注目を集めている劇作家・小説家・映画監督のフロリアン・ゼレールが2010年に執筆したのが今作で、家族に関する連作(母、父、息子)の始めとなった作品。

この作品を書いた当初はそのような連作になるとは思っていなかったそうだ。

 

演出は日本版の「父」「息子」を演出している同じくフランス人のラディスラス・ショラー。

 

ショラーが橋爪功と若村麻由美のキャストで「父」(2019年)を演出したことで、「母」の主役には若村さんをと強く望んだことが今回のキャスティングにつながったとか。

実は先日ゼレール氏にインタビューをした際にも、今回の来日時に「母」を観て、若村さんのアンヌ(母)はこれまで観た幾つかの違った国での上演の中でも屈指の出来で素晴らしかった、と興奮気味に語っていた。

 

息子と娘が巣立って、夫と二人の生活になったアンヌ(若村)。夫ピエール(岡本健一)は仕事か、それとも浮気をしているのか(アンヌの頭ではそうなっている)、週末も帰ってこない。

アンヌは自分が必要とされていた子供たちが幼かった日々を思い返しながら、今はガールフレンドと生活をしているニコラ(岡本圭人)が彼女のもとへ戻ってくる日を夢見ている。

そんなある日、彼女の願い通り、彼女と喧嘩した息子が帰ってくる。嬉々として息子を向かい入れるアンヌ。真っ赤なドレスに着替え、息子との特別な外食を提案する。そこへ息子の彼女エロディ(伊勢佳世)が現れ。。。

 

ひとつの答えだけを用意するのではなく、謎を残し、観客の想像力を掻き立てる、と話す作者。

 

その言葉通り、劇はわからない謎かけが多く仕掛けられている。

ひとつの時間=エピソードが繰り返されるようになっていて、最初に行われたシーンとは違った成り行き(例えば夫の若い彼女が登場したかと思ったら、そうではない流れになっていたり、息子が現れたと思ったら、それが夫になっていたり)のシーンが繰り返される。つまり違った答えが提示されるのだ。

それを起こす仕掛け—たとえば夫と息子のジャケットが同じだったり、取り違えられたりして、次に現れるのが誰なのか混乱するような演出になっている。

 

そもそも情緒不安定を超えて精神に問題があるアンヌの言っていることもどこまでが本当なのか、、、彼女自身さえもその真意がわからなくなっている。全てが彼女の頭の中、思い出の中の妄想、、とさえ言えるかもしれないのだ。

 

そんな危ない女アンヌを若村が恐いほど見事に演じている。

 

フランス人の奥様らしい気品をまといながら—最近のブロードウェイ版ではイザベル・ユペールがこの役を演じたそう。おそらくそれに負けないほどのフランスマダムぶりだった—、どんどん壊れていくマダムを迫真の演技で演じてくれていた。

最初のシーンで、彼女が妄想と現実を行き来しながら夫に「今日は良い日だった?」と魅力的な笑みをうかべ何度も尋ねるシーンなどでは、思わず駆け寄って彼女を支えてあげたくなるような、、そんな行き場を失った母の脆さを感じた。