自分と思っている、自分は
幼少期からの経験は今の自分に対するイメージをつくる。
瞑想の中で、幼少期に周囲から言われて傷ついた事を思い出した。
ただ、それは第三者の目線で見ている。
そしたら、その相手が何者であったか?というところに目がいく。
今なら「この人に言われても別に」という相手でも、小さな頃は何でも真に受けていた事に気付く。
あれ?
自分って、◯◯じゃ無かったんだ。
ただ、相手が自分と向き合えていなかったんだ。
と・・・、色々と気付く。
本当の自分の評価が簡単に変わる。
幼少期からの自己催眠が解けると、少しワクワクする。
瞑想の中で、幼少期に周囲から言われて傷ついた事を思い出した。
ただ、それは第三者の目線で見ている。
そしたら、その相手が何者であったか?というところに目がいく。
今なら「この人に言われても別に」という相手でも、小さな頃は何でも真に受けていた事に気付く。
あれ?
自分って、◯◯じゃ無かったんだ。
ただ、相手が自分と向き合えていなかったんだ。
と・・・、色々と気付く。
本当の自分の評価が簡単に変わる。
幼少期からの自己催眠が解けると、少しワクワクする。
絶望の中に長くいると
いつからか自分の中で望みが無い。
前なら「◯◯が欲しい。」とか「◯◯になりたい。」というような望みがあった。
でも、ここ最近は、自分の物語が終わったかのように、望む事が無くなった。
しばらくは無くした「望み」を取り戻そうと焦っていたが、諦めがついた。
諦めた瞬間から、ホッとした。
今だって希望を失 って絶望なのに、
なんか穏やかだ。
前なら「◯◯が欲しい。」とか「◯◯になりたい。」というような望みがあった。
でも、ここ最近は、自分の物語が終わったかのように、望む事が無くなった。
しばらくは無くした「望み」を取り戻そうと焦っていたが、諦めがついた。
諦めた瞬間から、ホッとした。
今だって希望を失 って絶望なのに、
なんか穏やかだ。
瞑想の中で
いつの間にか、泣きたくても泣けない。
悲しい思い出が出てくる。
中に溜め込み過ぎたのかもしれない。
瞑想の中で、「誰かの為にと思わないで」「被害者にならないで」とあった。
確かに本当に自分の為に動いていたら、自分が被害者という認識にはならないと思う。
自分の為・・・
何をしようか?
悲しい思い出が出てくる。
中に溜め込み過ぎたのかもしれない。
瞑想の中で、「誰かの為にと思わないで」「被害者にならないで」とあった。
確かに本当に自分の為に動いていたら、自分が被害者という認識にはならないと思う。
自分の為・・・
何をしようか?