本当の事を知らないのに、知っているつもり?になりたがる。
前回の記事の続きになるが、信じている存在が嘘である事に気づかされる事は多々ある。
簡単に言うと、常に知っているつもりなのだ。
知らなくても、知っている「つもり」になりたくなる。
知らないのが、怖いように感じる。
本当は知らない。
けど、何か問題を受けると「何故?」と理由を欲しがってしまう。
そこで感じた事から、教訓のように原因や理由を作り出して知ったつもりになる。
それで乗り越えた「つもり」になる。
二度と、同じ苦しみを受けない「つもり」になる。
でも、後で別な情報が入ると、簡単に「つもり」が壊れていく。
次の知っている「つもり」を作り出していく。
嘘でも「つもり」があると、落ち着きを取り戻せる。
私は、どうあがいても、知っている「つもり」でしかない。
そこを認めたら、心は常に落ち着けるのだろうか?
子供の頃は、平気だったように思える。
iPhoneからの投稿
簡単に言うと、常に知っているつもりなのだ。
知らなくても、知っている「つもり」になりたくなる。
知らないのが、怖いように感じる。
本当は知らない。
けど、何か問題を受けると「何故?」と理由を欲しがってしまう。
そこで感じた事から、教訓のように原因や理由を作り出して知ったつもりになる。
それで乗り越えた「つもり」になる。
二度と、同じ苦しみを受けない「つもり」になる。
でも、後で別な情報が入ると、簡単に「つもり」が壊れていく。
次の知っている「つもり」を作り出していく。
嘘でも「つもり」があると、落ち着きを取り戻せる。
私は、どうあがいても、知っている「つもり」でしかない。
そこを認めたら、心は常に落ち着けるのだろうか?
子供の頃は、平気だったように思える。
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