「◯◯のつもり」という思い込みは | Wakeのブログ

「◯◯のつもり」という思い込みは

自らの内側から答えを得ても、どんなに真実だと思っても、それが真実だと証明する事は出来るのだろか?


誰もが、自らを正しいと思っている。


私も何度も、「これが正しい」と信じてきたが、それは脆くて、何度も塗り変わっていく。



人からの批判を受けて、反論しても、どちらが正しいか?を決着をつけようとしたが・・・理論でねじ伏せる事はできても。



何かの苛立ちがある。



その苛立ちの中で、病気の事について軽々しく侮辱された事について感じたのは確かなのだけど。



相手に対して、病気になっていないのに苦しみについても全然解らないくせに!と批判した時に、「解ったつもりで軽々しく言うな!」と言葉になったが、



誰なら解るの?


解っている「つもり」ではない事は証明はできるの?


全ての相手を理屈でねじ伏せたら、真実だと証明できるの?



数千年生きて間違い無いと思えて、真実だと証明できるの?



「◯◯している、つもり」は「真実である」という事を「信じて」いる事で、「思い込み」になる。



「思い込み」は説明できると思うけど、真実を証明する事はできない。



そうなると、信じている事が全て思い込みである可能性を秘めている。



人間も、宇宙も、動物も、地球も、私も、信じていている事は、真実とは言えず、実在している証明はできない。



自分の学んだ事も、私が信じているだけで、他の人の信じている事と比べても何にもならない。



信じている事は人それぞれで、タイミングによって変化する。


そして、皆が、ただ、信じられる存在を信じている。