Wakeのブログ -17ページ目

支配からの卒業は何時からはじめますか?

尾崎豊さんの卒業の歌詞から「支配からの卒業」というのが浮かんでくる。


親の定めたルール(支配)
は、大人になって離れて


学校が定めたルール(支配)
は、学校を卒業して離れて


会社が定めたルール(支配)
は、定年を迎えて・・・


って考えると、何時になったらルール(支配)から卒業できるのかな?



老後?



色々と狭苦しい檻の中で、誰かに望まれた量産型のままで、一生を活かさずに生きるのか?


守られている場所で、ずうーっと支配を受け続けるよりも、冒険は大切だと思うね。

常識というのは誰が?

一般常識という言葉があるが、人によって常識は違う。

まあ、有って無いモノだけども

だけども何故に一般常識と言いきっているのか?と疑問を持つのは大事だと思う。


一般常識のテストがあるとして出題される内容は、新聞やニュースの時事があげられると思う。


それは新聞やニュースを提供している側につくられている。


その情報は、一般という人達が見たがっている情報だ。


それも事実だとは限らない。



今の社会に住む人達にとって、周囲の出来後を知る為のツールではあるが、それを常識であると言い切れるのは何故か?


常識力を試すテストが新聞に出題される。
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そのテストを解けない人達に「新聞やニュースを見ろ」と指導が入る。
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新聞の購読者やニュースの視聴率が上がる。
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さあ?
誰にとって(都合が)良いと言えるのかな?


売っている存在かな?


それとも、ソレを「一般常識である」と信じて欲しい存在かな?


振り回されるのでは無くて、ツールとして使えているかが、本当に大切だと思う。


まあ、常識とは有って無いモノなんで。

「自己愛」対「慈悲」

どうしてか昔から怒りを覚えるのが、慈悲よりも割愛を求める姿だ。


慈悲の「慈」を「慈しむ」と読むが、元々は「美しむ」が流れのようで。



誰かが「皆を気遣って皆の為に◯◯を渡して欲しい・・・」と皆を思ったプレゼントを送ろうとしていた。

そのプレゼントを仲介した人にとっては、そのプレゼントを皆へ渡す事によって不利益が生じる。


そのプレゼントを仲介する人は、「皆にはプレゼントを受け取った事を黙っていよう」とプレゼントを隠してしまう。


プレゼントを出してくれた「慈悲」

プレゼントを隠した「自己愛」


「美しむ」の反対なら、その姿を「醜い」と見るのだろうか?


でも本当は、誰が何をしたなんか関係は無いんだと思う。


正しいも間違っているも無く。

美しいも醜いも無くて。


「誰か」に捉われる事無く、自分が皆に、したくて、できる何かをすれば本当に怒りは出てこないと思う。