Wakeのブログ -118ページ目

怒りを考えてみた

自分が鬱病になり眠れなくなった時に、眠ろうとリラックスした時に裏切られた怒りが爆発した。


怒りを押さえる術が無く、布団の中にいられなかった。


深川不動尊の縁があって不動経を読んだ時に「怒り」「貪り」「愚痴」を害すという内容があって、なぜ「怒り」が悪いのか?という疑問がわいてきました。


頭に疑問が残ったまま仕事中に集中している時に周囲で大きな無駄話が聞こえて、「うるさいな」とイライラしていた時に頭の中で「もともとうるさく無かった?」と聞こえた。


そう言われると…、もともとうるさい職場だったと気付いたらイライラは消えていった。


怒る理由が無くなってくれた。


そこからイライラを感じた時に「何が原因で?」と考えられるようになれた。


眠る前のイライラについて考えると、「何故俺が苦しんでいるのに、騙したやつらは普通に過ごせている」と、「何故」と理解できない状況にイライラしている事が解ってきた。


その後もイライラしている時にも「何故」と、自分の認識と違う結果になる理由が「解らない」事が怖くてイライラしている事を理解できると、イライラを押さえて対処方法を考えられるようになれた。


やっぱり不動明王のご利益は凄いです。

お経からのお話ですが

有名なお経で般若心経がありますが、瀬戸内寂聴さんの本でお釈迦様が悟りになって話で「因」「縁」「果」という話がありました。


「因」が「原因」で、「縁」が「変化」で、「果」が「結果」になります。


「因」が水で「縁」が冷気だったら「果」が氷になるという話でした。


当然といえば当然ですが、考えてみて思った事で「因」と「果」は自分で決める事ができると思います。


「因」と「縁」の結果で今の残念な状態を「果」と設定すると、残念な状態として終わってしまいます。


でも今は「縁」の途中であって、「果」を未来に設定するだけで「まだ続いている」「これからだ」と先を目指す事ができるようになりました。


色々と幅を広げて考えると、自分の周りにある全ての便利な物も、数千年前からあったものが繰り返し変化をしたと思うと変化の可能性の凄さが面白く見えてきました。

善悪に悩んだ時に

小さい頃に親から何度も言われた事は「自分に厳しく、相手に優しく」という教えでした。


「善」「悪」の概念が解らなくなった時に思いだした事で、相手を助けに行ったつもりが、実は騙されて利用されていた事がありました。


善意のつもりの手助けを利用されたのは本当にショックでした。


今の世の中で嘘は悪い事とされていても、全てが犯罪として罪を受ける訳ではありません。


そう思うと自分の中で「騙されて利用されるより、騙して利用してやる!」と思った事がありました。


同じ時期に読経による瞑想が鬱病に良いという話を聞いて、東京の深川不動尊のおごま修行に行って一緒に読経してみました。


読経に加わると結構気持ちが良かったので、何度か通ううちにお経の内容に興味を持って、瀬戸内寂聴さんの本で内容を勉強しました。


優しくて良い話が多く、「やっぱり人を騙すような事はやめよう」と思いとどまる事ができました。

後で調べて思わず笑ってしまったのは、不動尊の本尊である不動明王の役割が「仏道から外れる者を縄で力づくで連れ戻す。」という事でした。


今でも東京に行った時にお礼を言いに参拝しています。