<第9話> 1985年のラブレター
1985年、プロ野球・セントラルリーグの阪神タイガースが(当時)21年ぶりのペナントレースを制覇した。
1番、ライト・真弓
2番、センター・北村
3番、ファースト・バース
4番、サード・掛布
5番、セカンド・岡田
6番、レフト・佐野
7番、ショート・平田
8番、キャッチャー・木戸
そして9番にピッチャー
この、バース、掛布、岡田のクリーンナップトリオを中心に形成された猛虎打線は、他球団の投手陣を完膚なきまでにたたきのめし、常にぼくたちを興奮させた。
なかでも甲子園球場で、ジャイアンツの槇原からはなった、バース、掛布、岡田のバックスクリーンへの三者連続ホームランはいまだにその興奮を忘れることができない。
そして、タイガースは、パシフィックリーグの覇者、西武ライオンズとの日本シリーズを制し、見事、日本一に輝いた。
これは、そんな野球少年たちと、ういういしい女の子の恋心をモチーフに描いたものがたりである。
「今年の阪神すごくねえ!」
「おう! マジすげえ!」
「おれたちも野球やらねえ‼⁉」
いなか町の小さな小学校で、誰からともなく、そんな話がはじまった。
神さまはいつもイジワルだけど、今回は少年たちにやさしいプレゼントをくれた。
なぜなら、野球をやりたい、と手をあげたのがちょうど九人の少年だったからだ。
みんなをまとめるキャプテンは天才的な運動能力を持てち、少年たちから一目置かれる滝沢健治。そうして副キャプテンは健治の親友で彼もまた運動神経抜群の藤川徹。そうして他の七人も、野球とタイガースに、強くひかれていた。
健治たちは毎日、学校の校庭で野球に興じた。
当然のことだが、野球に魅了されたのは健治たちのクラスの少年たちだけではない。
ここでも神さまはやさしかった。健治たちの学校は男子はみな六年生で、2クラスしかない。
そんなある日、健治たち六年二組の教室に、もう一つのクラスの男子、六年一組のボス・河村基博が二組の教室に乗りこんできた。そうして、健治の胸元に一通の封筒を突きつけ、ふっ、と一つ嫌味な笑いだけを残して去っていった。
健治が封筒を確かめると、赤い文字で『挑戦状』と書かれていて、中には六年一組のラインナップが描かれていた。
健治たち二組の少年たちは、熱くなり、燃え上がった。
「みんな、挑戦、受けるよな⁉」
「トー然」
「ボコボコにしてやる」
タイガースの強い影響もあっただろう。小学六年生といえども、いざ勝負となると、情熱がふつふつとわいてくる。健治たち九人は一組の連中の挑戦を受けるべく、こちらからも二組のラインナップを書いた紙を『挑戦、受けて立つ』と書いた封筒に入れ
、一組の教室に向かった。封筒の中には、
『なにが挑戦状だ! お前らなんかザコの集団なんだよ! 明日の放課後、ぼこぼこにしてやるから覚悟しておけよ!」
と書いた紙も入れた。
スポーツは戦争だ。命を奪いあう争いではなく、プライドをかけた戦いだ。
翌日、六年二組の帰りの会はなかなか終わらなかった。
「気をつけ、礼」
「先生さようなら」
「みなさん、さようなら」
みんな、すっと、授業に集中できず、一組との試合のことに心を奪われていた。
授業が進むにつれ、
「やってやる! やってやる!」
と、みんなの心の中、闘志が、高まっていった。
そうして長かった帰りの会が終わると、九人の野球少年はランドセルを片方の肩に校庭へと全力疾走した。
校庭にはすでに一組の少年たちが健治たちを待ちかまえていた。
「待たせたな、クズども」
「逃げ出したかと思ったぜ、六年二組ののおこちゃまども」
試合は打撃戦になった。しかし四回の裏、8対7で一組がリードしているところで、突然雨が降り出した。
少年たちは雨がやんだら試合を再開させるつもりでいたが、雨は激しくなるばかりだった。
それにしても、六年二組の野球少年も捨てたもんじゃない。一組のピッチャーは、リトルリーグのエースピッチャーの田島学という男だ。そいつから7点も取ったのだから。
「今日は8,7でおれたちの勝ちってことだな」
と田島学が健治たちのほうへやってきて、いった。
誰よりもプライドが高く負けず嫌いの健治は、
「なにいってんだ! まだ四回の裏じゃねえか、ノーゲームだ。プロの試合だってそうだろうが⁉」
と、すごんで主張した。
「じゃあ、続きは、また今度だ」
と面倒くさそうに田島は仲間の元へ戻っていった。
「今日はもう終わりだ。続きはまた今度だ」
雨は三日続き、それからさらに二日を要して、校庭はようやく、野球のできる状態になった。そうしてその日、田島が二組の教室にやってきた。
「この前はお前ら、雨に救われたが、今日はそうはいかねえ!」
「おうよ! のぞむところだ! リトルリーグのエースピッチャーさんよ!」
健治は鼻で笑ってやった。
「なにを笑ってんだ、この前は手かげんしてやったが、今日は1点もやらねえからな!」
雨で野球ができない間、
「なあ健治、お前、ピッチャーやらねえか?」
と大親友の徹が提案してきた。健治のポジションはショートだ。
「どうしてだよ、ピッチャーは池田で決まりだったじゃないか?」
「そうだけど、お前の肩は野手にしておくのは、もったいないと思って」
「池田はなんていってるんだ? それに他のみんなも?」
「おれと同じ意見だ。スピードがあってコントロールのいいお前の放る球はそう簡単には打たれないと思う。いつもファーストでお前の送球を受けてて、ずっとそう思っていたんだ」
「はあ」 と、ため息をついて「自信ねえよ」と健治はいった。
教室の角、徹がみんなを呼んだ。
「おーい、みんなあ、集まってくれえ」
仲間たちは徹の声に気づくと、それぞれの机で次の時間の算数のテスト勉強をしていた手を止め、健治と徹のもとへ集まった。
「今日の一組との試合、ピッチャーは健治でいくぞ! いいな⁉」
みんな、黙ってうなずいた。
「わかった、やってみるよ、みんながそういうなら。でも、打たれてもゆるしてな、約束だぞ」
空は快晴だった。
わずか、十一、十二の少年にも先見の明はある。互いのそれにそれに気づいたものだけが、本当の友達になれる。
「やったことないピッチャーやるの怖いだろう? おれにはその怖さがわかるんだよ」
「どうしてわかるんだよ?」
「やったことない、誰もしらない、どんなヤツにも想像できない世界に行くって覚悟がいるんだって、おれは知ってるんだよ」
「なんで知ってるんだよ?」
健治の口調が強くなった。
「孤独になったことがあるんだ。なんども、何度も……。友達のいない教室に入る怖さと、やったことないピッチャーやる怖さは同じだ!」
そうして、六年一組対六年二組の再試合は始まった。
先攻は前回同様一組。
校庭にのマウンドに向かう時、健治は野球帽を深めにかぶった。その時、トントン、と右肩を誰かにたたかれた。ふり返ると、徹が笑顔を見せた。
「大丈夫。心配するな。お前は天才ピッチャーだ。おれを信じろ! 自分を信じろ!」
「やってみるよ、お前のために」
健治の投げるボールは田島にも引けを取らない豪速球だった。しかも健治は誰に教わったのか、チェンジアップ気味のゆるいボールをたくみに使った。一組の野球少年たちは田島のスピードボールにしか慣れてなく、健治は初回を三者三振におさえた。
そうしてベンチに戻ると、みんなから
「ケンジ、ナイスピッチ」
と称賛した。でも、一番驚いたのは健治本人だった。
(おれの球がうたれないなんて)
あたりは暗くなりはじめた。
健治たちの住む町では、夕方の四時半になると、子どもたちに帰宅をうながす『夕焼け小焼け』のメロディーが流れる。
もうすぐ暗くなって、事故や犯罪に巻き込まれないように、という危機管理のためだ。
試合は、九回裏、二組の攻撃まで進んでいた。みんな、夕焼け小焼けを無視した。
初回から速いボールを力いっぱい投げ続けた田島にも疲労が蓄積してきたのだろう、投げるボールはあきらかに勢いを失っていた。コントロールの乱れも、誰の目にもはっきりわかった。
九回裏、ツーアウト、0対0。
そのシチュエーションで健治に打順が回ってきた。
相手ピッチャーの田島は肩で息をしているのが、健治にもわかった。
もう、たいした力の入ったボールは投げられないだろう。きっと、いや、必ずストライクがっほしくなって、置きにくるようなボールしか投げられないはずだ。
健治は、初球に狙いをさだめた。
「ケンジー、行けー!」
『初球は必ず、ど真ん中!」
健治の予感は的中した。健治は力の限りスイングした。
打球は大きく舞い上がり、70メートル先の校舎の壁にぶつかった。健治は、一塁、二塁、三塁、と全力疾走し、サヨナ勝ちのホームを踏んだ。
「ナイスバッティング、ケンジー!」
チームメイトは健治の一発に興奮し、みんなで健治を胴上げした。
リトルリーグのエースピッチャーの田島は、マウンドに崩れ落ちた。
健治の完封と、サヨナラホームラン。健治はまさにチームの中心にいた。
そんな健治を同じクラスの女子が数人、見つめていた。
「だからいったろう! お前にはピッチャーの才能があるって」
翌日、教室に入ってきた徹が、先に登校していた健治の頭をなでながら、そういった。
「でも、よく気づいてくれたよな、おれ、なんだか、自分が自分じゃない気がしたよ」
「親友だからな」
「サンキュー、トオル」
健治はほほ笑んだ。
「でも、最後のホームラン、あれにはビックリしたよ! まさかバッターとしての才能もあったなんて。お前、大谷翔平だ!」
「あれはマグレだよ。ただ思いっきりバットを振っただけだよ」
「それを、才能、っていうんだよ。試合に勝てたのはお前のおかげだ」
健治の活躍で六年一組に完封勝利をおさめたのは土曜日の午後だった。
1985年当時、小学校は土曜日も、半日授業があった。
そして日曜日をはさんだ週明けの月曜日、教室に入った健治を、不気味な雰囲気がおそった。
教室の一番前の窓側の席で、数人の男子が健治のほうをニヤニヤ見やりながら、
「ヒューヒュー、熱い熱いー!」
と、細い口笛をふきながら健治をからかうように笑っていた。
(な、なんだ?)
教室に入った時だけでなく、自分の席にすわってからも、なんとなく、得体の知れない恐怖にかられた。
「オッス!」
徹の声も、なんだか不自然に感じられた。
「トオル、おれ、なんか悪いことしたか? なんかみんなの様子がいつもとちがうんだ」
その時また妙な声が聞こえた。
「よー、モテモテく~ん、ははは」
健治は徹に、
「あれ、おれのことだよな?」
「関係ないよ。今は野球に集中しよう」
そう親友にいわれても、奇妙な雰囲気を健治は無視せずにはいられなかった。
そうしてそれは一週間以上続いた。
健治と徹の自宅の近くに広い空き地があって、二人はよくそこで、野球の練習をした。
最初はキャッチボールだけだったが、二人はそれだけではあき足らず、二人きりで試合をしたこともあった。
二人試合のまえのキャッチボール。パシン、パシン、とグローブがボールをつかむ音がひびく。
「なあー」
そういって健治はキャッチボールを中断した。
「なんだよ」
「おれ、なんかしたか?」
健治は、また、親友に訊いた。
「さあな」
すべてを知っている徹は、健治の無事をあんじながら、あえて、真実を口にしなかった。
その日、二人のキャッチボールは、いつもより長く続いた。
「なんかさあ、最近学校行くと、みんなが、おれのこと見て笑ってる気がするんだ」
徹は、健治の上に嵐が上陸しないことを、せつに祈っていた。
1985年、モテる男は,21世紀とは扱われ方が、ちがった。
「気のせいじゃねえか?」
徹はごまかした。
「そうかなあ」
健治はため息のような声をはいた。
徹は気がついていた。一組との試合の時、数人の女子が、いや、一人の女生徒が、健治に好意をいだいていることを。
『夕焼け小焼け』が流れてきた。
その日の練習は、キャッチボールだけで、終わってしまった。こんなに長い時間、キャッチボールをしたのは、はじめてかもしれない。
それでもい二人は県道の常夜灯の光だけをたよりに、キャッチボールを続いた。
「おれ、学校いきたくない」
健治の弱々しい声。
「大丈夫だよ。なんかあったらおれが守ってやるから」
翌日のキャッチボール。
「お前もやっぱり、将来はプロ野球選手になりたいんだろう?」
と、徹が健治に訊いた。健治は小さくうなずく。
「やっぱりな、野球やってる時のお前って、目がキリっと鋭くなるもんな。闘う男の目だ」
「でも、そんなあまくねえよ。一組の田島みたいにリトルリーグで活躍するぐらいの実力がなきゃ」
「だけど、そいつからホームラン打ったんだ。可能性は〝0〟じゃない。それに、夢って、そんなに簡単にあきらめられないだろう? はじめから自信のある奴なんていないって」
「おれたち、変なこと話してるかな?」
二人はキャッチボールをやめ、笑った。
「もう帰るか?」
そういったのは徹のほうだった。
「だな」
そう自然に答えてものの、健治の心のモヤモヤは消えてはいなかった。
救急車のサイレンが大きくひびいていた。
中に乗っているのは、健治と健治の母親だ。
「お母さん、足が、足が痛いよ」
「どっちの足?」
「左」
健治は交通事故にあった。
長すぎるキャッチボールの時間で、暗くなった道を走っていた健治の自転車が、あきらかに危険なスピードで運転していたバイクにはねられた。
病院に着くと、すぐ左足のレントゲンをとった。結果、健治はまつば杖がなければ歩けないほどの骨折をしていた。
健治は入院することになった。そうして、お医者さんがベッドのとこへ来ると、健治はなにより先にたずねた。
「先生」
「ん。どうした?」
「ぼく、また野球できるようになりますか? ぼく、ピッチャーなんです。投げる時、左足に力が入らなきゃ、思いっきり投げられません。しかもぼくのチームは九人しかメンバーがいないんです。ぼくがいなくなったら、試合、できなくなってしまうんです」
もしかしたら、もう、野球ができなくなる。そんな予期不安にかられて、健治の目に涙が浮かんだ。
「大丈夫。野球でもサッカーでも、なんでもできるようになるよ」
その言葉が、健治の目から涙を奪い去った。そうして、笑顔。
「よかった」
「先生、質問があるんですが」
女子クラス委員長の池田翔子が、席を立ち、真剣な顔で先生を責めるようにいった。
「質問?」
「滝沢くん、入院したって本当ですか?」
六年二組の担任教師、市川明日香は知らぬ存ぜぬをとりつくろうとしたが、もう生徒たちは真実を知っているように感じられて、正直に話した。
「そうなんです。ついこの前のことなんですけど、バイクにはねられて、左足を骨折してしまったんです」
「どこの病院ですか? わたし、お見舞いにいきたい」
池田は、力強く、はっきりした声で、市川に問うた。
「申し訳ないけど、ご両親の希望で、お見舞いは、ご遠慮ください、とのことでした」
ざわついた教室に静寂がもどった。だが、池田は、あきらめきれず、昼休みに、健治の大親友である徹に、問いつめた。
藤川くんならすべて知っているはずだ。
「藤川くん、ちょっといい?」
「滝沢くんが入院してる病院て、どこ?」
「やっぱりおれのとこに来たか」
「ねえ、どこ⁉」
「おれに聞いたって市川にいうなよ」
「うん」
「東名病院だ」
「ありがとう」
そう礼をいった翔子の顔に笑みはなかった。
その日の放課後、翔子は一人、自転車で、東名病院をおとずれ、誰かにせかされるように、受付に行き、担当の女性に、
「すみません。こちらに、滝沢健治くんっていう小学六年生が入院してるはずなんだすけど、何号室かわからなくて……」
「タキザワケンジさんですね」
1985年、まだパソコンはそれほど普及しておらず、担当の女性は、壁にずらっとならんだファイルの中から、一冊、取り出し、ページをめくりった。
翔子は焦っていた。
「滝沢健治さんですね?」
「はい、そうです」
担当の女性、
「501号室ですね」
と、答えた。
「ありがとうございます」
「あ、」
先を急ごうとする翔子を女性が引き止め、
「501号室はこの病棟にはないんです。そこの通路をずっとまっすぐ行って、つきあたりのエレベーターで五階まで行って、そこからは、複雑なので、エレベーターの目の前にナースステーションがあるで、そこで看護師に訊いてください」
と、右手のひとさし指でしめしながら、やさしい口調で教えてくれた。
エレベーターはすぐに見つかり、5階まで。
到着をつげる機械音のあと、エレベーターが開くと受付の女性がいっていたとおり、目の前にナースステーションがあった。そこには三人の看護師がいた。
「あのお、すみません」
「はい、どうしました?」
看護師は、きょとん、としていた。
「501号室はどこですか?」
翔子は、なんだか、幼稚園の時はじめて男の子にバレンタインのチョコをわたした時のことを思い出していた。
「はい」
そういって、看護師は501号室の場所を説明し、ほほ笑んだ。
「ありがとうございます」
501号室は個室だった。
トントン、と翔子はドアをノックした。
「はい」
と、中から健治の声が聞こえてきた。
「わたし、翔子」
「なんでここがわかったんだよ?」
「幼なじみでしょ」
「いいよ、入って」
翔子は、深呼吸を三回してからドアをあけた。カーテンはかかっていなかった。
「徹か?」
「うん」
「あいつ、口軽いなあ」
健治は翔子を見つめた。
翔子は健治をみつめた。
翔子の瞳から、細い涙が、ゆっくりと、流れた。
「どうしたんだよ?」
健治は、これだから女はめんどくせえと思っていた。
「だって、滝沢くん、元気そうだから、なんか安心して」
翔子はいたたまれなくなって、リクライニングベッドを斜めにして寄りかかる健治にだきついた。
「おいおい、よせ、痛い、痛い」
翔子の身体が健治の足に乗りかかってしまった。
「あ、ごめん」
翔子はあわてて立ちあがる。
「でも、どうしておれなんかのためにこんな山ん中の病院まで」
「そんなこと、わかるでしょ?」
「いや、わかんねえよ」
「滝沢くんのバカ」
一ヶ月がたち、健治は無事に退院した。そうして、健治がまつば杖で登校すると、例の奇妙な雰囲気を感じた。
健治の目に、黒板に書かれたイタズラ書きが映った。
健治と翔子の相合傘と、これでもか、ろいうほどのたくさんのハートマーク。そうしてクラス中の好奇の視線と、
「ヒューヒュー! 熱い熱いー!」
という嘲笑。
普段、温厚な健治もさすがに堪忍袋の緒が切れた。
「お前らいったいなんなんだよ! おれと池田がなにしたっていうんだ!」
「さあねえ」
健治は自分と翔子をはやし立てる連中を一人一人殴ってやろうと思ったが、こらえた。手を出したら、負けだ。
「なあ健治ー?」
二人はまたキャッチボールにいそしんだ。
「お前、池田のことどうおもってんだよ?」
「どうって?」
「好きか?」
「好きだよ」
「幼なじみとしてじゃなくて、一人の女として好きか?」
「そんなこと、かんがえたことねえよ」
「そうか」
「そうだよ」
ウソだった。
健治は、翔子を好きだった。でも、その関係はイジメの対象になるから、健治は想いを打ちあけずに、十二年間をすごした。
長い黒髪、白い肌、やさしやくうるわしい女の子。そう、健治は、ずっと翔子が好きだった。
そうして、小学校生活最後の夏休みを翌日にひかえた終業式のあと、健治はまた、奇妙な雰囲気を感じた。
いつもは、誰もがすぐに帰宅するのに、その日その時、みな帰ろうとはしなかった。
小さな子どもがクリスマスプレゼントを開けるように、みんながこれから起きることにワクワクしているのが空気となって、健治をかこんだ。
そうして、翔子と彼女の友達が健治のすわる窓際の最後尾の席にやってきた。
健治のおかれたシチュエーションを大人はきっと四面楚歌というのだろう。
そうして、翔子は健治の机の上に桃桜色の手紙を置いた。
健治の中で、翔子との恋より、イジメの恐怖がまさった。
健治は翔子のラブレターを投げ捨て、教室から逃げた。
クラス中が、投げ捨てられた翔子の手紙に、アリが砂糖にむらがるように、密集した、そうして封を破った。
翌日、健治は翔子の友達にほほをひっぱたかれた。
「あんたバカじゃないの⁉ 女のほうから告白するのすごく勇気がいるんだよ! それをあんた、翔子を絶望させて!」
「ごめん」
健治の声は弱弱しかった。
「それだけ⁉」
翔子の友達が泣き出した。
「翔子、今日、アメリカに引っ越しちゃうんだよ! 最後くらい男らしく死なさいよ‼」
もう手おくれだ。男らしくなんて、できない。それでも健治は心の中で告白した。
『翔子、ありがとう。それと、ごめんね。おれも本当は、翔子のこと、大好きだったよ』
空に、一筋のひこうき雲が、遠くへと、のびていった。