<第8話> 本当の愛をさがして | 愚かな少年

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この物語はある一人の少年がやらかしてしまったバカ話です

 

   <第8話> 本当の愛をさがして

 

 月二万円の英会話スクールに通いはじめた理由は童貞を卒業したかったからだ。決して英語が話せるようになりたかったからではない。

 オレはもう四十七歳になる。彼女いない歴47年。いままでずっと、まあ、いいか、いつかチャンスは来る、と思ってきたけれど、東日本大震災や能登半島地震で、本当に人間いつ死ぬかわからない、と思うようになったオレはなんとか彼女をつくってイッパツやる。それが叶わなければ死んでも死にきれない、と心境に大きな変化があったのだ。

 

 もっと受講料が手ごろな英会話サークルもあったし、英語でなくても、イタリア語、フランス語、スペイン語、といった別の語学スクールもあったし、「日本語ボランティア」という日本で働く外国人労働者のに日本語を教えるボランティアの募集もあった。それに中学の三年間だけやっていたテニスサークルの募集もあったけれど、オレには英会話スクールが、オレのかかえる問題を解決するのに、いちばん手っ取り早いと思えたからだ。

 

 オレは日本人の女が怖かった。だから、外国人の恋人を見つける。それならやっぱり英会話スクールがもっとも可能性〝大〟と判断したのだ。

 

 しかし、オレの担当の講師は、南アフリカ出身のスキンヘッドの黒人だった。

 オレは、すぐに、講師の変更を、若い日本人の事務スタッフに依頼した。そうして翌週、事務の女から、

「本日より講師が変わります」

 と告げられ、

「どんな方ですか?」

 と、訊くと、

「金髪のアメリカ人女性です」

 と、返された。

 

 これでようやく、童貞から卒業できる。オレは歓喜した。しかし、その金髪アメリカ人女性講師は、デブでブスだった。もうダメだ。辟易した。

 金髪の女性と耳にした瞬間、ブリトニー・スピアーズやレディー・ガガとか、あるいはミシェル・ファイファーのような美人との、運命的な出会いを確信したのに、残念この上ない。

 

 しかし、その女性は日本語が話せたので、レッスン中(本当は禁止されてるんだけど)日本語を使ってもOKだったので、オレの英会話力はどんどん上昇し、二年後には英検2級の取得に至った。

 

 オレは、月曜から金曜までトラックの運転手をして、2DKで月七万円の中古マンションで暮らしている。だが中古といってもリフォームくをしたばかりで新築のマンションと比べても、なんら遜色ない。

 部屋の中にはセミダブルベッドと42型の4Kテレビ、ブルーレイレコーダー、たんす、ポールハンガー、あとは小さなガラステーブルが置いてある。で、もう一つの部屋は、いつ来客があってもいいように、客間になっていて、その部屋にもベッドとテレビが置いてある。

 

 大学時代、1Kのオレのアパートに友人が遊びに来た時、いつも寝床に困って、二人でシングルベッドに寝たこともあった。だからオレは客間を用意した。

 

 その友人の名は坪井創といった。身長も体重もオレと同じくらいで、先に声をかけたのは坪井のほうだった。

「天ぷらうまい?」

 学食で天ぷらうどんを食べていたオレに、坪井がそう話しかけてきた。

「ぜんぜん」

 と、オレは答えた。

 それが、最初の会話だった。

 

 大学を卒業すると、ドライブが趣味だったオレはトラッカーに、親が教師だった創はやはり教師になった。

 たった一人の友人、まさに、親友だった。

 

 土曜、近所のレンタルDVDショップで洋物のアダルトDVDを借りて、なんども一人エッチをして、日曜の午後、金髪デブブスのアメリカ人英会話講師・エイドリアンのレッスンを受けるために、英会話スクール通う。

 それが、オレの週末のルーティーンになっていた。

 

 オレの人生は順風満帆のように思えた。だが童貞である。その現実だけは刻銘にそして色濃く、オレの身体にまとわりついている。

 

 ある日のレッスン。エイドリアンが、

「今日はレッスンはやめて日本語でお話ししましょう」

 そういって、ペプシでもコカでもないコーラとカルビーでも湖池屋でもないポテトチップを机の上にやさしく置いた。

「いいねえ!」

 オレは嬉々として笑顔を向けた。エイドリアンも大きくスマイルした。

 

「エド(オレはそう呼んでいた)はどうして英会話の講師になったの?」

「う~ん、わかんない。でもたぶんママが日本人でアメリカで日本人に英語教えるの見て、なんとなく日本人に英語教える仕事もわるくないかなあ、って、それで、ね」

 エイドリアンは一口コーラを飲んだ。そして続けた。

「それと、ハイスクールの時、日本人のすっごいスマートな男の子が交換留学生で来てね、わたし一目惚れしちゃったの。 

   SyunichiってKAT-TUNの亀梨くんみたいに超セクシーで、それも、ね」

 エイドリアンがまたコーラを飲んだ。オレは亀梨の顔を思い浮かべたが、アメリカ人が好む顔だとは思えなかった。

「それで、わたし思い切って告白したの。日本語で『好きです』って。そしたら彼もわたしのこと英語で『I love you』っていってくれて、やったboyfriendできる、って思ったんだけど、彼は日本に直子っていうgirlfriendがいるって」

「あ、そりゃ、かわいそうに」

「ごめん。なんか暗い話になっちゃったね」

「別に……。でもオレにも大好きな女の子いたなあ」

 

 オレはポテトチップの袋の中に手のひらを入れた。そうしてコンソメ味を楽しんだ。

 おかしを食べるのは久々だった。だから余計おいしく感じられた。

「え? 本当? どんな子?」

「真由美っていう黒髪と小麦色の肌が健康的な女の子」

「告白した?」

「いや」

「ダメじゃん。男らしくない」

 

 そうだ。オレはダメな男だ。エイドリアンに怒られるのも当然だ。だけど、男らしさってどういう「らしさ」なんだろう? もしオレが真由美に『好きだ』と告っていたら、オレは〝男らしい男〟になれたのだろうか?

 

「仕方なかったんだ。運がなかったんだ。あと5メートル」

「あと5メートル? どういうこと?」

 エイドリアンはポテトチップを食べ、オレはコーラを飲んだ。

「中三の時」そういってオレは初恋の顚末について語り始めた。

 

 オレの通っていた中学には五月のゴールデンウイークあけに体育祭があった。

 中三の時、サッカー部のダイナモだったオレはその春の体育祭で10000メートルにエントリーし、その時全国陸上競技大会で一年生にして中学記録をたたき出し、三年後に私立の陸上強豪校にスポーツ推薦で入学の決まっていた男に次いで、2位でゴールした。

 

 クラスメイトが待機しているベンチをならべた控え席に戻ると,真由美は、

「すごーい! かっこいい!」

 と、かわいい声で称賛してくれた。

 その時オレが『好きだ』と告っていれば、オレの人生はまったく別の方向に流れていたかもしれない。

 だけどオレは『2位で告白』じゃあ、プライドが許さなかった。

 

 男にとってプライドは非常に大切なものだけれど、それが、人生を生きるうえでジャマになることがある。その時のオレが、まさに、そうだった。

 

 だが、チャンスはまだ残されていた。

 冬の寒稽古の学級選抜駅伝大会。そこで優勝したら、真由美にずっと長い間いだき続けてきた想いを告げよう! オレはそう決心した。

 

 一言でいって(自分でいうのもナンだが)オレは背が高くないだけで、イケメンだ。だから告りさえすれば、真由美と恋人同士になれる。だからこそオレは〝いちばん〟にならなけらばならなかった。どうしても。どうしても……。

 

 夏休みが終わり、季節が変わり、肌寒くなった12月24日のクリスマスイブ。学級選抜駅伝大会当日。

 アンカーに与えられた距離は5キロ。5位でタスキを受け取ったオレは即、全力で走り、前を追った。

「はあ、はあ、はあ」

 一人、一人、また一人、トップを走るバスケ部のポイントガードの背中を目にとらえ、オレはロングスパートをかけた。

「はあ!、はあ!、はあ!」

 ゴールまであと15メートル。

 

「がんばってー! 一ノ瀬くーん!」

 

 真由美の声がオレの最後の力になる。きっと真由美もすべての真実に気づいていたのだろう。

「一ノ瀬くーん‼」

 真由美の声はまるで悲鳴のように感じられた。

 届かなかった。

 

「だから告れなかったんだよ。それ以来、オレは日本人の女が、怖くなっちまったんだ。

「……ジョー、かっこいいね」

 オレは足を組みかえて、コーラを飲んだ。

「あと5メートルあれば、きっとオレはいちばんに」

「もう話さなくていいよ」

「え?」

「ベル」

 耳をすまさずとも、その音は明確に聞こえた。

「ああ、もう、終わりか」

「来週はちゃんとレッスンしようね」

 そういってエイドリアンは、新しいおもちゃを買ってもらって家路をたどる子どものようんな笑顔で席を立った。

「うん、じゃあ、また来週」

 

 一週間後のレッスンはファストフード店でのオーダーの仕方を学んだ。英語ではセットメニューのことを〝コンボ〟というらしい。

「英検2級なら、これくらい楽勝でしょ?」

 とエイドリアンは英語でそういった。が、ところがどっこい、オレにはちんぷんかんぷんだった。

「ダメだ、ぜんぜんわかんねえや」

 とオレは日本語でこたえてしまった。

「本当?」

「うん。オレ英会話の才能ないね」

 

 オレは決して無能な男ではない。でも外国語の習得には向いてないようだ。そう思うとなんだか遣る瀬ない気持ちになった。だがあきらめる気はさらさらない。

 

「ねえ、エド。どうしたら英会話上達する?」

「う~ん。やっぱり実践かな」

「実践かあ」

 オレが英語でそうつぶやくと、エイドリアンは、奥の手をさす将棋士のように鋭い顔をして、

「ジョー、本気?」

 と訊いてきた。

「もちろん」

 とオレは答えた。

 

「じゃあ、スマホ出して」

「スマホ?」

 合点のいかないオレの声。そうしてオレはズボンから二ヶ月前に機種変更したばかりのスマホを取り出て机の上に置いた。

「んで?」

「ジョー、インスタやる?」

「NO、です」

「でもLINEはやるよね?」

「YES、です」

 

 そんな短い質疑応答もあと、エイドリアンはオレのスマホを手に取って、二分ほどなにやら操作し、最後にオレの画像をとって、

「三日、待ってみて」

 といって、オレの幸福を心から願うような顔をした。

 

 二日後、エイドリアンの予告通りフィリピン人のYinaという超美形の女性からメールが届いた。年は二十五歳くらいだろうか。オレは一瞬でトリコになった。

 他にも、フランス人やブラジル人からもぃねLINEが届いたけれど、彼女たちには返信せず、ブロックした。

 

 まず俺は英会話スクールで二年ほど英語の勉強をしていること、それから、もっと英語が上手になりたいこと、そうして、あなたを一目見て好きになったことを返信した。

 続けて自分はJoeという名の日本人で、海と山に近い観光都市に住んでることを、英語の辞書を使いながら英文を考え返信した。

 

 Yinaはquezonという街に住んでいるとメールを送ってきた。

「クエゾンって、どこ?」

 オレは英語で返信した。

「Manilaという大都市の近くよ」

 

 オレは高校時代、地理の授業で頻繁に使っていた地図帳を開いて、マニラをさがした。すると、すぐ近くに「ケソン」という街があり、クエゾンはケソンの英語の発音なんだと、納得した。

 

 画像のYinaは天と地がひっくり返りそうなほど美しかった。しかもYinaには日本人の女友達がいて、その子がオレの住む観光都市からそれほど離れていないところに住んでいるというではないか!

 

 これが、運命の出会いでなくてなんという!

 

 日本人の女性が怖くて恋愛できなくなってしまったオレには、まさに神さまからのビッグサプライズとしか思えない。

 

 自慢じゃないけど、オレは生れてこのかた、一度たりとも海外に行ったことがない。

 オレは、出不精な性格なんだ。

 

 そうして、再び月曜から金曜まで仕事をし、トラックの中でCDをながしながら、シャドウイングで英語の勉強をして、土曜日にも自宅で英語の勉強をして、エイドリアンのレッスンを受ける日曜をむかえた。

 もちろんその間もYinaとのLINEは続いていた。

 

「ジョー、どうだった?」

 エイドリアンは意味深な表情で訊いてきた。

 オレはもう有頂天で、

「うん、Yinaっていうすっげえ美人のフィリピン人からメールが来た。ケソンに住んでるらしい」

 と嬉々としてそうして威風堂々と答えた。

 

「ケソン」

「YES」

 オレは、エイドリアンは、ケソンがクエゾンだということが理解できていないのだと瞬時に悟った。

 無理もない。ハーフとはいえエイドリアンはアメリカ人だ。

「クエゾンのこと」

 とオレはエイドリアンに教えてあげた。

 どっちが講師で、どっちが生徒だか、わからなくなってくる。

「しかもね、Yinaの日本人の女友達がここからそう遠くないところに住んでるらしいんだよ」

 

「ジョー、やったじゃん! 人生何人目の彼女?」

「え、三人目、かな」

「かな、って?」

 

 オレには男女の間にある友達と恋人のさかいがわかっていない。仕方ない。彼女いな49年なんだし、女友達っていえる女の子だっていたためしがない。

 しかしようやく〝運〟が向いてきてようだ。

 来月、その日本人の女友達がYinaに会いに来日するというのだから。

 こんな奇跡的なチャンスはもう二度とない。一緒にランチをすることになったのだから。

 

 正直オレは怖かった。

 その週末、オレはエイドリアンに、

「ねえ、エド、一緒に来てくれない?」

 と懇願した。

「どうしてよ? 一人で行きなよ。わたしがついていったら、恋人がいたんだ、って誤解されるよ」

「そうか……」

 

 オレの手は汗でしめっていた。

 恐怖。

 その感情は、Yinaにじかに会える喜びをはるかに越えていた。

 

 例えばファストフード店に行ってYinaがトイレに席を立ってしまったら、オレは日本人女性と二人きりになってしまう。たぶんYinaのことをどう思っているか訊かれるだろう。オレはきっと動揺し、おかしな態度をとって、変人だと思われるだろう。

 

「エド、頼むよ。『英会話スクールの講師です』って正直にいえばだいじょうぶだよ。ぜったい恋人だなんて思われないよ。だってえど、かわいくないから」

 

 やべえ。

 一瞬、感じた。エイドリアンに「キミはかわいくない」なんていってしまったら、来てくれるものも来てくれなくなってしまううではないか。オレはバカだ。

 ところが、エイドリアンの反応は真逆だった。

 

「しかたないわね。インタープリターで来ましたっていえば英会話スクールの講師で通用するだろうし。それにわたし、ジョーのいう通り」

「待った! その先はなにもいうな! オレがまちがってた。ごめん」

 

「でもいいわねえ、恋って。なんかジョー、最近急にかっこよくなった気がするもん。ヘアもカットして」

「あ、そう?」

 うれしかった。オレはその前日、生まれてはじめて、理容店ではなく美容院で髪を切った。

 

 美容院のまだ二十代半ばといった感じのおねえさんに、

「どうなされますか?」

 と訊かれ、

「ボク、来週世界一好きな女性とデートするんです。いい感じにかっこよくしてください」

 とオーダーした。

 

 「はい、かしこまりました」

 髪をアップにまとめた美容師のおねえさんは、なんだか、自分の弟の初デートを応援する姉のような顔を浮かべた。

 

 そうして髪にはさみを入れられるにつれ、オレは鏡の中の自分が二十歳は若返ったように思えた。かっこいい。大谷翔平か井上尚弥みたいだ、とオレは喜んだ。

 アップのおねえさんは、まゆも整えてくれた。

 

 そうして変身したオレを見たエイドリアンは、

「それじゃ、デートの時に着る服を買いに行きましょう」

 と提案してきた。

 

 トラッカーで、会社指定のユニホーム姿でマイカー通勤するオレは、私服というものをほとんど持っていなかった。

 

 エイドリアンのレッスンを受けるようになって、もう二年がたつが、春と秋は白い長そでのTシャツの上に水色のジャケット。夏は赤いポロシャツ。冬は白いセーターに黒のダウンジャケット。下は決まって濃紺のデニム。ずっとそのファッションで通してきた。

 

「ジョー、土曜日お休みでしょう? わたし、仮病使ってスクール休むから、一緒にデートの時着る服を買いに行きましょう。わたしがchoiceしてあげるから」

 

 また平穏で平凡でそうして退屈なウイークデイをやりすごし、土曜、オレは白い長そでのTシャツと濃紺のデニムを着て、隣町の駅でエイドリアンと昼前に待ち合わせをした。駅について五分ほど、エイドリアンはいつもいレッスンの時に着ているスクール指定のパンツスーツではなく、なんと表現すればいいかオレにはわからないが、とにかくとてもオシャレをして姿をあらわした。

「Hi! Joe!]

 元気そうな声だった。

 

 オレたちはショッピングモールのファッションプラザへおもむき、三十分ほど店内を物色して、エドは、

「やっぱり、クールに決めるべきね」

 といって、オレの手を引いて、スーツコーナーに行き、濃いグレーのスーツと黒いシャツ、それに細い黒のネクタイをchoice

して、そうして、昼にステーキを食べ、今度はシューズショップに行った。そうして黒のスウェードの靴をchoiceした。

 

 総額129,000円。この値段は童貞を卒業するための出費としては、高いのだろうか? 安いのだろうか?

 

 翌日、オレはエイドリアンがchoiceしてくれたファッションで前日と同じ場所で待ち合わせた。エイドリアンはオレを一目見るなり、

「うん。イケてる」

 と真顔でつぶやいた。その顔を見てオレも自信が持てた。安心もした。

 

 Yinaたちとは駅近くのコーヒーショップで会うことになっていた。そうして、食事に行くというプランんを考えたのはやはり、エイドリアンだ。

 

 コーヒーショップで待つこと十分、画像よりきれいなYinaが日本人らしき男と一緒に入ってきた。

 

 え? 日本人の友達って、女じゃなかったっけ?

 

 Yinaがオレのほうを指さして、なにやら男と話している。オレの画像は、会うことが決まった時にLINEで送ってある。

 背の高い男がオレたちのほうへ来て、開口一番、流ちょうな日本語で、

「ジョーさんですか?」

 と訊いてきた。

 おれが、

「はい」

 と答えると、

「はじめまして。わたしは本田アキラともうします。彼女の母親の弟です。実は、今日来るはずだった彼女の友達が急用で来れなくなってしまったので、自分が代理で参りました。ちなみにボクは日本人なので日本語はまったく問題ありませんし、12歳までフィリピンで育ったので英語も問題ありません。実はイーナも日本語を勉強していて、少しははなせます」

 

「イーナ、っていうんですか?」

 オレは自分の勘違いを自嘲した。

「ワイナさんかと思ってました」

「よくまちがわれます、そう」

「オレは一ノ瀬丈といいます。英語の勉強中で、こちらは講師のエイドリアンです」

「こんにちは。エドと呼んでください」

 エイドリアンは日本語であいさつをした。

 

 その日オレたちは食事をすませると、遊園地をおとずれ、童心にかえって楽しい時間をすごした。

 しかし、そんな楽しい時間をひっくり返すようなアキラの告白。

 

「一ノ瀬さん、正直にいうとイーナは今日本で自分と一緒の生活しているんですが、パスポートが切れたらフィリピンに帰らなけばならないのです。しかし彼女、実は、フィリピン系のマフィアの男に求婚を迫られていて、今、逃亡中のみなんです。それで、パスポートの期限が切れる前に日本国籍を取得しなければならないんだすが、そのためには日本人と結婚するしかないんです。一ノ瀬さん、イーナはあなたを好きになった。あなたとなら結婚してもいいといっています。どうか一緒になってあげてください! お願いします‼」

 

 こういうの、ふつう結婚詐欺っていうんだろうけど、オレはイーナとセックスしたくて犯罪に加担した。

 

 翌日、オレはYinaという名のフィリピン人女性と結婚した。

 だが一週間、少しずつ平常心を取り戻したオレはイーナとの結婚を後悔しはじめた。

 

 離婚しよう……か?

 

 愛情ではなく劣情で結婚するなんて、どうかしてた。

 オレは自分の気持ちをアキラにはなした。

「そうですか……イーナがマフィアの男になにをされてもかまわないと、そうお考えですか?」

 そういわれるとやっぱり、離婚しいないほうがいい、と思えてくる。いったいオレはどうしたらいいんだ⁉

 オレはエイドリアンに相談した。

 

「え? あなたたち、うまくいってないの? わたしたちはラブラブだよ」

「わたしたち?」

「うん。わたしとアキラ」

「え⁉ アキラ、そんなこといってなかったぞ!」

 それから、オレはイーナとの間に発生したあらゆる問題をエイドリアンに打ちあけ、離婚したほうがいいか、このまま結婚していたほうがいいか、choiceをせまった。

 

「ジョーはイーナのこと好きじゃないの?」

「なんか、わかんなくなってきて」

 

 これは、神さまからの警告かもしれない。

 ただ女とイッパツヤリたいから結婚するなんて……。

 

 イーナはオレを好きだといってくれた。でもそれは〝愛とはちがう感情〟に思えた。

 

 この結婚はまちがっている。しかし不法移民とはいえイーナは人生初の恋人だ。しかもオレは来月で五十歳になる。この先、イーナのようなステキな女性とめぐり合うことはもう絶対ないと思う。

 

 その日のレッスン終了後、

「ねえ、またあ四人でデートしない?」

 と、エイドリアンが提案した。

 

 そうだ! 四人なら気も楽だ。二人きりじゃ間がもたない。いまさら、

「イーナ、別れてくれ」

 なんてこと、口が裂けてもいえない。

 

 翌週、オレたちはまたWデートをした。エイドリアンとアキラは大はしゃぎだったが、オレとイーナはなんだかデートを楽しめなかった。

 

 オレが一人、ベンチにすわっていると、イーナはオレにキスをした。すごくやさしいキスだった。それがオレの人生初のキスだと、イーナはわかっただろうか?

 

 自分に正直になろう!

 オレはイーナを強くだきしめた。そうして激しくくちびるを吸った。アキラとエイドリアンはそんなオレたちをどう見、どう感じただろう?

 

 親にも親友にも相談せずに決めた結婚。それだけで、イコール愛してる、ってことじゃないか!

 

 そういして時は矢のようにながれ、一年がすぎた。オレとイーナはとても自然な夫婦として、結婚生活をおくった。

 イーナのつくるフィリピン料理はどれもとてもおいしかった。

 

 これが本当の愛じゃないかもしれないし、本当の愛かもしれない。でも幸せで喜びに満ちた生活を本当の愛というなら、オレは今まさに、本当の愛の中にいる。

 

 先月、アキラとエイドリアンも結婚した。オレたちは結婚式も披露宴もとり行わなかった。それでもよかった。

 愛なんて、本当は、どこにもないんじゃないか? だけどオレは決心した。

 一生かけて、YINAを愛そう。

 まだ、セックスはさせてもらってないけれど……。